クリミア戦争・セヴァストーポリ包囲戦/wikipediaより引用

ロシア

ロシア・クリミア半島侵攻の歴史 不凍港を求め続け各国とドンパチ!

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クリミア半島と不凍港
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一方的な戦いになるかと思いきや意外にも

一方ロシアの装備は、まさに前時代の遺物といってもいいものでした。

とはいえ、英仏軍も地元の地理に疎かったので予想外の苦戦をしていたそうですけれども。

なぜ事前に調べなかったというか、オスマン帝国から教えてもらえばよかったんじゃ……てか、連携って難しいですよね。

しかも化学兵器使ってもケリがつかないわ、慣れない気候で病死者が続出するわで、装備では圧勝してたはずなのにまさかの苦戦に陥ります。

イギリスに至っては一番遠くから来ていることもあり、軍費がかさみすぎて本国の財政が破綻する有様でした。な、何を言っているのか(ry

ちなみに、サルデーニャ王国軍が来たのはこの英仏両国軍がボロクズ状態になったタイミングだったので、非常にありがたがられました。

そりゃイタリア統一にもちょっとは協力したくなりますやね。

このタイミング狙ったカヴールさんやっぱりすげえ。

 


バルカン半島が火薬庫ならばクリミア半島は導火線?

こうしてクリミア戦争は終結に向かったのですが、講和条約の中身はといえば「皆ボロボロだから、戦争前の状態に戻そうね!」(超訳)というまさに誰得なものでした。

しかし、約20年後には、再びロシアとオスマン帝国の間で戦争になったり、共和国が作られたり、第二次大戦時には対ドイツ戦の主戦場になったり、クリミア半島はほとんど平和の訪れることのない土地柄になってしまいます。

バルカン半島が俗に【ヨーロッパの火薬庫】と喩えられるならば、クリミア半島も導火線というか火種というか火元というか。

これは歴史というより地政学の観点ですけども、半島国家は大陸側の強国と海の向こうにある国に挟まれるのが必然なので、独自路線を保ち続けるというのは難しいんですよね。

一方に併合されても他方との最前線になっちゃいますし。

昨今のクリミア問題は海の向こうではなく、地続きになっている国同士の話なのでまた変わってくるかと思いますが、どうなることやら……。

 


カーディガンはこの戦争で生まれた

さて、この全方向誰得な戦争では新しく生み出されたものがいくつかありました。

クリミア戦争は上記の通り、どこの軍も苦戦だったので、それまでにはなかったものが多数考えられたのです。

例えば、カーディガンはこの戦争で負傷した兵士があまりにも多かったため、イギリスのカーディガン伯爵ジェイムズ・ブルデネルが「前が開くセーターなら手当しやすいだろう」と考えて作らせたものだといいます。

ここだけ聞くといい人に思えますが、局地戦の一つ・バラクラヴァの戦いで無謀な突撃を敢行、部隊の約四割を死なせた人でもあったりします。

現代の軍事用語で言えば全滅です。

しかも本人は生き残ってるのが何ともいえません。

ノーブル・オブリゲーション(貴い身分のものこそ国に尽くすべきとする考え方・戦時に最前線へ行くことなど)はどこいった。

 

クリミアの天使・ナイチンゲール登場

また、野戦病院の環境改善が行われたのもクリミア戦争がきっかけでした。

正確には、フローレンス・ナイチンゲールたちが野戦病院のトイレなど、徹底的な衛生管理を進めたことによるものです。

ナイチンゲール/wikipediaより引用

これらの対策により野戦病院での死亡率は42%から5%まで下がったそうで、ナイチンゲールは「クリミアの天使」と呼ばれるようになりました。

夜回りを欠かさず、上流階級の出身であったことから「ランプの貴婦人」とも呼ばれていたとか。

それまでどんだけ汚かったのかとも言いたくなりますが、院内の感染症だけでなく破傷風や出血多量による死者も多かったのでしょう。

病院内での死者が多かった理由としては、当時のヨーロッパに入浴の習慣がなかったこともおそらく一因かと思われます。

シャワーが発明されるのはもっと後。

イギリスで入浴が法律で奨励(!)されるようになるのはクリミア戦争から20年後の話です。

一応理由はいろいろあるんですが、普段、入浴しないのが当然となると、負傷した兵の体を清拭していたかどうかもかなりアヤシイですよね。

あまりこの手の話を続けるとヨーロッパが嫌いになってしまう方がいるかもしれませんので、この辺にしておきましょう。

長月 七紀・記

【参考】
クリミア戦争/wikipedia
カーディガン/wikipedia
ナイチンゲール/wikipedia

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