ロベルト・シューマン

ロベルト・シューマン/wikipediaより引用

音楽家

作曲家ロベルト・シューマン 妻へ残した言葉「僕は知っているよ」って???

1856年(日本では幕末・安政三年)7月29日は、ドイツの作曲家ロベルト・シューマンが亡くなった日です。

この時期はあっちもこっちも激動の時代なのであまり目立ちませんが、音楽界の巨匠が数多く活躍した時代でもありました。

彼の生涯を追う中でも、たくさんの有名な音楽家が出てきます。

 

父は音楽オーケーなれど母は反対 法律の道へ

シューマンは1810年にドイツ東部のツヴィッカウという町で生まれました。

あまり歴史には名前が出てこない町ですが、シューマンが物心つくかつかないかのうちに、ナポレオンがロシア遠征の行き帰りにツヴィッカウを通ったことがあります。

その頃は町中が臨時病院として使われ、切断された兵の手足や遺体でいっぱいになっていたとか。

戦場でもないところに遺体捨てて行くなんてひどい話です(´・ω・`)

シューマンの家は出版・印刷業を営んでおり、比較的裕福でした。

そのため小さいうちは家庭教師をつけられ、6歳から学校へ。

同じくらいの年齢からピアノに触れ始め、作曲もしていたようですね。

学校に入ってからは、ヨハン・ゴットフリート・クンチュという教会のオルガニストからピアノを習ったり、また、カール・エルトマン・カールスという父の友人宅で開かれていた音楽会を見せてもらい、音楽の道に憧れを抱くようになります。

比較的恵まれたスタートというところでしょうか。

ただし、父は音楽の道へ進むことを応援してくれたのですが、母の反対で法律の道へ行くことになります。

法科大学に入る前にバイエルン地方の各地を訪ねたことで、将来の妻となるクララと出会っていますので、結果的には良かったのかもしれません。

 

ハタチの夏「音楽を学ぶことを許して下さい」

ライプツィヒの大学に入ると、シューマンはまず法学を学び始めました。

が、次第に出席率が下がっていき、引き換えるかのように音楽へ熱中。

夜遅くまで友人と演奏会を開くこともあったようです。周辺の住人は迷惑じゃなかったんですかね。

若者らしく(?)ハイデルベルクという町で「遊んで暮らしていた」としかいいようのない時期もありました。

異性関係もブイブイいわせていた(死後)とか。

肖像画からしてもシューマンは美男なほうですし、さぞモテたことでしょう。

シューマン/wikipediaより引用

しかし、根の真面目さは消えておらず、ハタチの夏、母に「音楽を学ぶことを許して下さい」と手紙を書きます。

母は後見人に相談の上で、今度は許可を出してくれました。

一度は母の望み通りにしたことで、「あの子もよく考えたのだろう」と思ってくれたのかもしれません。

晴れて音楽家の道を目指せるようになったシューマンは、クララの父であるフリードリヒ・フリードリヒに弟子入りして、本格的に音楽を学び始めました。

が、フリードリヒは「偏屈」「頑固」を足して2で割らない感じの人で、次第に険悪な仲になってしまいます。

クララとシューマンが親密になっていくのも気に入らず、あれこれと罵声を浴びせられるようになりました。

 

ベートヴェンのお墓の上にペンが!?

その一方で、この時期にシューマンは友人たちと音楽雑誌を発行し、仕事的に成功していきます。

当時のドイツでは音楽の批評の質があまりよくなく、若い音楽家の妨げになっていると感じたからです。

ただ、日頃の練習の長さや執筆で、右手に相当の負担をかけ過ぎたのでしょうか。

この頃から右手がうまく動かなくなることが増えて参ります。

そして彼は無理に器具で補おうとして、かえって症状を悪化させてしまいながらも、音楽の道は諦めず、ピアニストではなく作曲家になることを決めました。

私生活では、25歳のときクララと相思相愛になっていますが、相変わらずフリードリヒは大反対。

シューマンの妻・クララ

シューマンの妻・クララ/wikipediaより引用

諦めようとしたものか、一時期は別の女性と婚約したこともあります。

結局破談になっていますが、シューマンの懊悩がわかる気がしますね。

この時期の彼は、雑誌の仕事を売り込むため、ウィーンを訪れています。

そちらはうまくいきませんでしたが、この小旅行でシューマンは二つの「拾い物」をしました。

一つは、ウィーンにあるベートーヴェンとシューベルトのお墓参りをした時のことです。

なぜかベートーヴェンの墓の上にペンが置かれており、シューマンは何気なくそれを持ち帰りました。そのときから「何となくうまくいくような気がしていた」んだそうです。

そのペンは、後日、交響曲「春」を書くときに使われたといわれています。

天の啓示……といえば大げさですが、似たようなものかもしれませんね。

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