江戸時代の賄賂政治家として、かつては悪人の代名詞であった田沼意次。
最近、その評価が非常に高まっています。
順を追って見て参りますと……。
食うや食わずの戦国時代は、生活の中心がほぼ米で回っていましたが、江戸時代に入って商工業やサービス業も発達してくると、人々の消費先は各種方面へ向かいます。
貨幣経済の発達ですね。
給料の基盤を【米】に頼っていた幕府や全国の大名は、それをいったんお金に換金するシステムに取り組まれている時点で不利であり、米の収穫高と物価や、税金などのコストを考えると、もはや限界に達しようとしていました。
もはや米の時代ではない――。
田沼意次と田沼意知の親子はそこにメスを入れ、商業での税収でもって幕府の財政を安定化させることに注力したのです。
これは確かに現代から見れば筋の通った取組です。
しかし!
いつの時代も新しい考えは、平々凡々な庶民に伝わらないようで。
なんとも悲惨な結末となった田沼政治の締めくくり……マンガ『日本史ブギウギ』第200話スタート!
田沼の苦悩
◆商活動の活発化と、そこから上がる税収入――幕府や大名の財政安定化。
【重商主義】と呼ばれる田沼意次の政策が、現代では評価が高まるのもわかりますね。
田沼意次はワイロ政治家というより優秀な経済人? 評価の見直し進む
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一方「新しい」「自分が見たことない」というだけで反発する人は多いものです。
当時もそうだったのでしょう。
大飢饉生存組
◆田沼意次にとって不幸だったのは、この時期に【天明の大飢饉】が発生してしまったことでしょう。
日本は浅間山噴火、欧州はアイスランド噴火の影響で、全世界的に天候が悪化。
幕府や諸藩の備蓄米対策は十分とは言えず、多くの死者を出してしまいました。
天明の大飢饉は浅間山とヨーロッパ火山のダブル噴火が原因だった
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田沼二世
◆二世というだけで「頭の悪いボンボンじゃないの?」と思ってしまうのも、また人のサガ。
しかし、この田沼意知は決して愚人ではなかったようで。
当時の在日オランダ商館長・ティチングが「父親の田沼意次は高齢だから、さすがにこれ以上の活躍は難しいけど、息子の田沼意知の時代に、改革を進められるんじゃない?」と『日本風俗図誌』に記しています。
まさか息子のほうが評価されていたなんて。しかも200年も前に。
ところが、その意知が非業の展開を迎えることになるのです。
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