こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【田沼意知を佐野政言が暗殺】
をクリックお願いします。
ある決意
◆ちょっと危ない人に見える、この佐野政言(まさこと)さん。
当時は旗本でしたが、そのご先祖様を辿ると佐野源左衛門常世に着きます。
源左衛門とは、北条時頼を助けた人で、つまりは鎌倉時代から続く名門だったのですね。
しかも、家系的に田沼親子は佐野政言の家来筋にあたるという、なかなか複雑な状況でした。
暗殺
◆そして天明4年(1784年)3月24日、事は起こされます。
佐野政言は江戸城内で田沼意知を斬りつけ、重傷を負わせたのです。
すかさず政言は揚座敷(あがりざしき・高位の旗本や僧侶などを収容する施設)へ送られ、田沼意知が亡くなると、切腹を命じられました。
世直し大明神
◆息子の田沼意知が暗殺され、悲嘆に暮れる田沼意次。
世間は、あろうことか佐野政言を「世直し大明神」として称え、ついに田沼の心はポッキリ折れました。
そして次にやってきたのが……。
※続きは【次のページへ】をclick!