主人公の杉元佐一やアシㇼパさんをはじめ、個性豊かなキャラクターが人気の漫画『ゴールデンカムイ』
その中で、一風変わった特徴で人気を博しているのが白石由竹です。
「不死身の杉元」や、毒矢でヒグマを仕留めるアシㇼパさんに比べると、白石は誰かに尊敬されるような能力はなく、一見、平凡な人物像にも映りかねない。
しかし、決してそうではないことは読者の皆さんが最も知るところであり、だからこそ公式の人気キャラランキングでも鶴見中尉や谷垣を上回る堂々の6位に入っているのでしょう(→link)。
そう。白石由竹は凄い――。
単に脱獄に関する能力だけでなく、彼には独特の存在感もあって目が離せないし愛着も湧いてくる。
いったいそれは何処から来ているのか?徹底考察してみました。
【TOP画像】野田サトル『ゴールデンカムイ27巻』(→amazon)
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『ゴールデンカムイ』はクライムサスペンス要素も魅力
『ゴールデンカムイ』は、網走監獄に収監された囚人が重要な役割を果たします。
彼らの皮膚に掘られた「刺青人皮」が、金塊のありかを示すキーアイテムとなっている。
そうなると、囚人を出さねばなりません。
自由民権運動による政治犯といった人物では、追いかけて皮を剥がすとなると不快感がどうしてもつきまといます。倒すべき敵としてもカタルシスが弱い。
そのためか、政治犯と呼べる刺青人皮の持ち主は、土方歳三くらいしかおりません。
プロットの都合上、囚人には凶悪凶暴な連中が揃っております。
連続殺人犯、強盗犯、毒殺魔……などなど。
個性豊かな彼らは、実在した当時の犯罪者がモチーフと推察できるものもいます。
蝮のお銀は、仮病を装い親切な男性に背負わせ、無防備な背後から千枚通しで脳を抉り殺します。
彼女のやり口は「鬼神のお松」をモチーフとしていると推察できる。
美女が川で男を殺すその様は、実に絵になる――言葉は悪いかもしれませんが、そんな見方はあながち的外れでもないでしょう。明治とは、高橋お伝のような毒婦による事件が耳目を集める時代でもありました。
海外の殺人犯をモデルとした人物もいます。
切り裂きジャックの容疑者の一人とされるマイケル・オストログです。
野田先生の作風からは、かつて日本でもブームとなった異常殺人者ブームの影響も感じられる。
映画『羊たちの沈黙』のヒットもあり、1990年代は連続殺人犯や多重人格者が日本でも話題となっていました。
そんなクライムサスペンスのような攻防も『ゴールデンカムイ』の魅力でしょう。
そして、刺青囚人で最も重要な白石由竹にもモデルがいます。
「日本の脱獄王」こと白鳥由栄です。
日本の脱獄王・白鳥由栄
白石由竹のモデルとされる白鳥由栄(しらとりよしえ)。
名前からして近く、モデルにしているそうですが、両者は生誕の年代がかなり異なります。
実在する白鳥が生まれたのは『ゴールデンカムイ』の舞台と近い明治40年(1907年)のこと。
青森に生まれ、2歳で父が病死してしまうと、養子に出され、尋常小学校に通います。
それからは豆腐屋の仕事を手伝っていました。父の残した借金がある彼は働くしかなく、養子先を出ると蟹工船に二度乗り、過酷な漁業も体験しました。
21歳で結婚し、一男二女にも恵まれ、ささやかな豆腐屋を経営する面倒見のいい青年。
そんな平凡な小市民のようで、彼には裏の顔もありました。
19の若さで蟹工船に乗ったとき、彼は博打を覚えてしまいました。
白鳥の妻は、夫が家に戻らず、何をしているのかわからないことに疑念を抱かなかったわけではありません。
しかし、まさか彼があんなことをしていたとは思いもよらず……白鳥は、博打の金欲しさに、土蔵のある家を狙い、金品を奪っていたのです。
そして昭和8年(1933年)のこと。仲間と二人で雑貨商に押し入った白石は、追いかけてきたその家の養子である竹蔵を殺してしまいます。
その場は逃げおおせたものの、共犯者が逮捕されたと知ると、白鳥は自首しました。
当時としてはありふれた事件です。
『ゴールデンカムイ』でも賭博の場面が出てくるように、そのころ道を踏み外す典型が賭博でした。
白鳥が、そのまま刑務所でおとなしく服役していたら、日本の犯罪史に名を残すことはなかったでしょう。
ギャンブルのため金を盗み、強盗のはずみで一人を殺した。平凡な小悪党でしかありません。
彼が名を残したのは、凄まじい脱獄歴のせいでした。
以下に年号と共に振り返ってみましょう。
昭和11年(1936年)6月:青森刑務所を脱獄し3日後に発見、逮捕される。後に、この脱獄により無期懲役となる。
昭和17年(1942年)6月:秋田刑務所を脱獄し、上京後に自首。
昭和19年(1944年)8月:網走監獄を脱獄し、2年間、洞窟で生き抜く。
昭和21年(1946年)8月:北海道空知郡砂川町(当時)で殺人事件を起こし、逮捕される。強盗と間違われて相手に殴られ、反撃したら殺してしまったとは本人の弁。これにより死刑判決がくだされるも、後に傷害致死とみなされ懲役20年とされた。
昭和22年(1947年)3月:札幌刑務所を脱獄し、300日ほど山中で暮らす。
昭和23年(1948年)7月:府中刑務所へ移送。
昭和36年(1961年):模範囚として釈放される。
昭和54年(1979年)2月:死去。享年71。
いかがでしょう?
「日本の脱獄王」という通り名は決してダテではなく、26年間の獄中生活で4度も脱獄に成功し、およそ3年間は外で暮らしていたのです。
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真面目に勤め上げていた方が、より早く自由の身になれたとは思います。
脱獄のたびに罪が重くなるのに、なぜ繰り返したのか?
どうしてそんなことができたのか?
味噌汁の塩分で鉄格子を腐食させる手口など、興味深い事例は多くあります。
出所後の本人や、当時の刑務所関係者が取材に応じたことも好条件でした。
そのため、彼はフィクションに取り上げられます。
吉村昭作『破獄』は複数回映像化されています。
そうしたフィクションにおける最新の像が、白石由竹と言えるでしょう。
ただし、「名前」と「脱獄王」という要素を除くと、キャラクター性としてどこまで似ているかどうか?というのは別の話。
小柄で寡黙、生真面目だった白鳥由栄と、トリックスターである白石由竹は、当然のことながら別人物です。
では、その経歴を見てまいりましょう。
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