2025年の大河ドラマ『べらぼう』は、同ドラマ枠では初となる江戸中期以降が舞台。
あまり慣れ親しみのない時代ですから、演じる役者さんも手本は少なく、なかなか難しい状況ですが、一人だけ稀な例外がいます。
いったい誰なんだ?――そう思われるであろうこの初代・西村屋与八は、蔦屋重三郎のライバルとなる地本問屋(じほんどいや)、つまり江戸で本の製作や販売を手掛ける出版業者。
西村まさ彦さんは2017年のNHKドラマ『眩(くらら)〜北斎の娘〜』で、同じ西村屋与八を演じたことがありました。
そんな西村まさ彦さんと不思議な縁のある初代・西村屋与八とは一体何者なのか?
『べらぼう』公式サイトでは、以下の通りに説明されています。
・鈴木春信など有名絵師とも繋がりのある地本問屋
・蔦屋重三郎と共に『雛形若菜の初模様』を手掛ける
・二代目も含めて蔦屋のライバルとなり江戸の出版界をけん引する
要は出版業における同業者ですね。
時に協力して出版を手掛け、特にライバルとなる。
初代・西村屋与八とは一体どんな人物だったのか?
その生涯を振り返ってみましょう。
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田沼時代に伸びゆく江戸の出版文化
西村まさ彦さんが演じる初代・西村屋与八。
“初代”というからには、後に続く二代目、三代目がいるからそう呼ばれるわけですが、この二代目・西村屋与八というのが興味深い存在でして。
先に見ておきますと、実は初代・西村屋与八の実子ではなく、鱗形屋孫兵衛の二男であり、婿養子として西村屋に迎えられました。
まだドラマが始まっていないため、鱗形屋と聞いてピンと来る方は少ないかもしれません。
この鱗形屋孫兵衛とは、主人公・蔦屋重三郎に出版業のいろはを教えた人物であり、『べらぼう』では片岡愛之助さんが演じます。
孫兵衛は、江戸で一世紀ほど続いた版元の三代目であり、新ジャンル【黄表紙】を売り出し一世を風靡するものの、その後は経営破綻に追い込まれて姿を消す。
一方、若くして吉原に「耕書堂」を開き、地本問屋として歩き始めた蔦屋重三郎は孫兵衛に経営ノウハウを習うと、その後は独自の人脈や流通ルートを開拓して規模を拡大させてゆきました。
鱗形屋の没落は、重三郎にも悪影響がありましたが、そこで終わらないのが彼の優秀なところでして。
安永年間(1772−1781)末に孫兵衛が姿を消すと、行き場を失った作家たちを抱え、蔦屋はメキメキと伸びてゆく。
およそ十年のうちに江戸でも一、二を争う地本問屋に上り詰めたのでした。
蔦屋と西村屋で手掛けた『雛形若菜の初模様』
地本問屋の成功に必要な経営センスとは?
それはひとえに江戸っ子の需要を察知することであり、重三郎はその才に恵まれていました。
鱗形屋孫兵衛の全盛期である安永6年(1777年)から、蔦屋重三郎は初代・西村屋与八と『雛形若菜の初模様(作:磯田湖龍斎)』を手掛け、天明2年(1782年)まで刊行。
これぞ浮世絵の歴史を変える新たな試みがありました。
吉原の遊女と呉服屋をタイアップさせたのです。
スラリとした肢体の美女が身につけた服……江戸っ子たちの目は釘付けとなりました。
「あの店に行けば、これと同じ服が買えるのか!」
そう、いわばファッションカタログだったわけです。
今では当たり前の存在も、当時としては革新的な書物。
現代でもファッション誌のグラビアページには各種アイテムの価格が掲載されていますが、それと同じ工夫が生み出されました。
ファッションをより大きく見せるため【美人画】で判型も変化します。
中判で好まれていた絵が大判となり、さらには【美人画】そのもののポテンシャルも見えてきます。
それまで売れ筋の浮世絵といえば歌舞伎とタイアップした【役者絵】が定番でしたが、その次の枠として【美人画】が浮上してきたのです。
役者の人気に頼るのでなく、センスと画力で勝負したい――。
蔦屋重三郎と初代・西村屋与八は【美人画】という新たなステージに上がり、互いに競い始めることになるのでした。
ポスト田沼時代を生き抜くには
今も昔もメディア運用者は、常に新たなネタ、いわば売れ筋商品を探すことが宿命付けられています。
それは江戸中期以降の地本問屋も同じであり、当時の彼らには、さらに深刻な社会の変化がありました。
天明6年(1786年)、将軍の徳川家治が世を去り、彼が重用していた田沼意次も失脚。
【田沼時代】が終焉を迎えたのです。
重商主義で何かと自由を謳歌できた時代は過ぎ去り、跡を継いだ松平定信は【寛政の改革】で知られる文武奨励策を推し進めます。
これにより、まず大打撃を受けた売れ筋ジャンルが【黄表紙】でした。
政治批判を含めてきたこのジャンルは、恋川春町と朋誠堂喜三二という武士出身の大物作者が売れ筋でした。蔦屋重三郎お抱えの作家でもあり、以下に詳細記事がございます。
恋川春町の始めた黄表紙が日本人の教養を高める~武士から町人への出版革命
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幕府に睨まれると朋誠堂喜三二は筆を折り、恋川春町は急死。
お上の目を掻い潜って【黄表紙】を出し続けることには限界があり、新ジャンルの開拓は急務といえました。
蔦屋重三郎は【黄表紙】挿絵を手がけてきた絵師の中から、喜多川歌麿を見出し、誰も見たことのないような【美人画】を世に送り出すのです。
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