農民から天下人になった豊臣秀吉。
人質から天下人になった徳川家康。
後世にまでよく名を知られた戦国大名には幼き頃から様々なエピソードがあるが、織田信長と同じく若い頃は「うつけ」扱いされながら大国を制するまで成長し、それでいてイマイチ知名度の低い「鬼」が四国にいる。
長宗我部元親だ。
経歴だけ見れば、ハタチを超えて初出陣という異例の遅さでデビューながら、その後は破竹の快進撃で四国を治め、織田信長や豊臣秀吉とギリギリのヤリトリをしてきた。
戦国ファンよ、土佐の人々よ。
今こそ長宗我部愛を爆発させようじゃないか!
長宗我部元親
◆長宗我部元親さんは、ボケっとした子どもで、その将来を不安視されて「姫若子」と揶揄されておりました。同家の礎を築いた父の長宗我部国親もこれには相当参っていたそうで……。
それが劇的に変化するのはハタチを超えてから初出陣した後。瞬く間に出世を果たし、今度は「鬼若子」と、またしても「若子」という言葉でもって賞賛されました。やっぱり、本人、イヤだったんすかね?
長宗我部元親が土佐一国から戦乱の四国を統一!最期は失意に終わった61年の生涯
続きを見る
千雄丸
◆長宗我部元親の跡取りは、後に大坂の陣で活躍した長宗我部盛親です。
一般的にはコチラのほうが有名かもしれませんが、本来、跡を継ぐ予定だったのは長男の千雄丸でした。元親は、この長男を溺愛しており、なんと織田信長に烏帽子親(元服の儀式で頭に烏帽子を載せる大事な役目)を依頼したのです。
なぜか使者には、長宗我部家内で格の高い家臣ではなく、身分の低い中島可之助を送ったのでした
中島可之助
◆自身の子どもに「奇妙(後の織田信忠)」とか「茶筅(後の織田信雄)」など名付ける信長さんだけに、使者に「ベクノスケ」こと中島可之助を送った長宗我部元親の狙いは正しかったのかもしれません。家臣の反対をはねのけて送ったのですから、本当に読み通りだったのかも。だとしたら、マジですごくないっすか?
無鳥島の蝙蝠
◆ベクノスケと対面した信長は、元親のことを「無鳥島の蝙蝠(鳥のいない島のコウモリ・つまり井の中の蛙な上に態度をコロコロさせるヤツ)」と評します。
しかし、ベクノスケは慌てません。
「蓬莱宮の寛典に候」
と答え、信長に気に入られたとか。「ほうらいきゅうのかんてん」とは……ぶっちゃけ、意味がわかりません。現代の研究者にとっても明解な答えは出ておらず謎なんだとか。
しかし、この一件でベクノスケや元親は信長に気に入られ「四国を自由にしていいよ(切り取り次第)」と言われます。ほんと、信長さんもベクノスケさんも元親さんも意味不明過ぎます。天才同士ってのは、こういうところで通じあってしまうんでしょうかねー。
なお、このとき元親の長男・千雄丸は長宗我部信親となり、お家を背負っていく跡取りとしての道を歩むことになるのですが……後に信長は「切り取り次第」という発言を撤回。
織田と長宗我部は対立し、斎藤利三と明智光秀が間に立たされ、後に本能寺の変を起こした――という四国説があるほどです。詳細は以下の記事をご覧ください。
あわせて読みたい
著者:アニィたかはし
書籍版『戦国ブギウギ』です!