「身近なモノの由来が実は外国だった」
という話はままありますよね。
鉛筆は16世紀のスイスで作られたものが原点とか。
「たばこ」はスペイン語及びポルトガル語の「tabaco」そのまんまとか。
8月31日は「野菜の日」ということで、身近な野菜の出身と伝来について触れてみたいと思います。
大根は歴史が古く弥生時代から
日本料理で欠かせない野菜といえば、やはり煮物や天ぷらに使われる根菜類ではないでしょうか。
特に人参や大根は出番が多いですよね。
しかし、この二つ、実は日本原産ではありません
大根は地中海や中東地域を原産とし、弥生時代に日本へ入ってきたといわれています。
おそらくはシルクロードを伝って、他の文物と共にやってきたのでしょうね。外来の野菜としては古株ともいえます。
だからこそ、春の七草のひとつ「すずしろ」として数えられているのでしょう。
練馬大根や桜島大根など、土着品種の多さもうなずけます。
人参は戦国時代に……現代品種は江戸時代から
にんじんは中央アジア・アフガニスタン周辺が原産地で、日本へ入ってきたのは意外にもかなり遅い16世紀、戦国時代のことでした。
しかし、この時点で伝わったのは京野菜のひとつ・京人参に代表される東洋系の品種で、栽培が難しかったため出回る量も少なかったようです。
今でもあまり頻繁に見かけるものではありませんしね。
となると、にんじんを食べたことがない戦国大名もかなりいたのではないでしょうか。
現在スーパーでよく見かけるのは、江戸時代に入ってきた西洋系の品種です。
栽培も容易で味も良いものになって……いることになっていますが、にんじん嫌いの人にとっては「あれで!?」と言いたくなってしまいますよね。
ワタクシもあの甘みと苦味がマッチしていない感じがどうにも苦手です。にんじん農家の方すいません。
熊本城では籠城用のずいきが建材の中に
大根やにんじんほどの出番はありませんが、煮物にやはり欠かせない野菜としてもうひとつ挙げられるのがサトイモ。
これも実は日本原産ではありません。
外来のサトイモは、かなり歴史が古く、縄文時代に伝来していたといわれています。
このあたりとなると考古学や人類学の範疇ですねぇ。
サトイモは熱帯地域で主食とされているタロイモ類に入るので、おそらく日本人のご先祖のうち、南から来た人々が持ってきたのでしょう。
とても壮大な話です。
戦国時代にはサトイモの茎(ずいき)を保存食にするということもよく行われていました。
加藤清正が熊本城を建てたとき、篭城戦を見越してずいきを建材の中に入れていたという話が有名ですね。
北陸地方ではサトイモの葉を乾燥させたものをずいきと同様に食していたこともあるそうですので、葉・茎・根(イモ)全部食べられるという万能な野菜ということになりますね。
しかし、日本料理の代表格である煮物に使われるような野菜がことごとく外国原産となると、
「じゃあ日本原産の野菜ってないの?」
と(´・ω・`)な顔になってしまいますよね。
存在しなくもないのですが、野菜というよりも山菜に近いものがほとんどです。
うどや三つ葉、みょうが、わさびなど。洋食派の方や薬味が苦手な方にとっては無縁かもしれません。
お蕎麦や麦飯の友・山芋も日本原産です。
縄文人もグルメだった?
歴史の授業の最初に縄文時代のことを習ったとき、「この時代の人々はどんぐりなどを食べていました」と聞いて驚いた人も多かったと思います。
同時に『随分と頼りない収穫に頼っていたんだなぁ』という印象を抱いたかもしれません。
しかし、発掘の進む三内丸山遺跡では、敷地内で栗の木の栽培が広範囲で行われていたことが判明し、かつ、縄文土器で魚を煮炊きしていたこともわかっています。
他にも肉と木の実のハンバーグなど。
縄文時代のグルメっぷりは、驚くばかりです。
が、食べられそうな植物がほとんど山菜だけだったら、ちょっとでも実の大きいものを食べたくもなりますよね。アク抜きするのは面倒ですが、栄養価としてはなかなかのもののようですし。
とはいえ、イタリア料理に欠かせないトマトや、ドイツでほぼ主食になっているジャガイモなど、「原産地と消費量が多い国が違う」というのはよくある話ですけども。ちなみに、どちらも南米・アンデス山脈付近が原産地です。
野菜の種類を事細かに挙げるとキリがないのでこの辺にしておきますが、自由研究のいいネタになるかもしれませんねえ。
え? 夏休み最後の日にンなもん書くなって? いやいや、始業式が始まって数日経過するまでが夏休みですよ。
縄文人は貝ばかり食べて「ノロウイルス食中毒」にならなかったの?
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長月 七紀・記
【参考】
日本原産の食用栽培植物/wikipedia
サトイモ/wikipedia
ダイコン/wikipedia
ドングリは食用になるのか/食の雑学