しかし、ごく最近までは危険を伴うものでもありました。
タイタニック号等の大事故はもちろん、海の上で何かトラブルが起きた場合、人間にはどうしようもないことが多いからです。
中にはそれを乗り越えて偉業を成し遂げる人も……。
1832年11月18日は、フィンランドの学者であるニルス・アドルフ・エリク・ノルデンショルドが誕生した日です。
実は彼、北極海航路で日本にやってきたという稀有な人なのです。
彼が日本と関わるのは少々先の話ですので、気長に話を進めていきましょう。
フィンランドで鉱山学者の家に生まれる
ノルデンショルドは、フィンランドの首都・ヘルシンキで鉱山学者の家に生まれました。
小さい頃から父親とともに鉱山の調査へ行っていて、山や自然に親しんでいたようです。
そのおかげか、17歳で独学でヘルシンキ大学へ入り、21歳で博士号を取るという秀才ぶりでした。
彼の興味は未知の鉱物や自然にも向き、ユーラシア大陸横断計画まで立てていたといいます。
ヘルシンキ大学でも若き学者・探検家として期待されていたのですが、クリミア戦争によってロシアからフィンランドへの視線が厳しくなると、大学を追われてお役所の監視下に置かれてしまいました。
フィンランドは当時ロシアの影響を強く受けていたので、無関係ではいられなかったのです。
ノルデンショルドは曽祖父の故郷・スウェーデンに移り住み、25歳の時に北極海遠征隊へ。
本当はヘルシンキ大学に戻りたかったようですが、うまく行かずスウェーデン王立科学アカデミーの教授になります。
スウェーデンではフィンランドほどロシアの目を気にしなくてもよかったため、国を挙げて大歓迎され、貴族議員にもなっています。
しかしフィンランドへの望郷の念は断ちがたく、フィンランド出身の女性と結婚したりしています。
故郷の話で盛り上がって仲良くなったのかもしれませんね。
目指せ北極海航路!
新天地で研究を進め、ノルデンショルドはスピッツベルゲン島という北極圏の島で自然に関するさまざまな研究成果を挙げました。
これによってイギリスから表彰されたこともあります。
北極海航路開拓計画を立てたのは56歳の時です。
この時代、ヨーロッパ諸国で研究や商業目的の北極海探索が行われていたのですが、まだ成功例はありませんでした。
時のスウェーデン国王・オスカル2世のお墨付きで王室と商人たちから支援を得たノルデンショルド。
捕鯨船ヴェガ号を旗艦、自身を責任者として、1878年(日本では明治11年)7月4日にスウェーデンを出発しました。
同年8月にユーラシア大陸最北端・チェリュスキン岬を越えたものの、9月末にベーリング海で流氷により足止めされるというアクシデントが起きます。
1879年7月まで身動きできなかったそうなのですが、よくその間食料が尽きなかったものですよね。
話が前後しますが、この一行はスウェーデン出発から帰国まで、誰一人死者や壊血病が出ていません。
ノルデンショルドだけ船酔いしたそうですが……まぁ、彼は船乗りが本業じゃないから仕方ありませんね。
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横浜へ到着 明治政府からも歓迎される
流氷から抜けだしたノルデンショルドたちは二ヶ月後に横浜へ到着し、明治政府からも歓迎されました。
ドイツ大使が日本に通達していて、歓迎祝典には皇族や諸国の大使100人以上が参加する大規模なものとなったそうです。
この頃、既にスウェーデンと日本は国交を結んでいるはずなんですが、なぜドイツ大使経由で連絡が行ったんでしょうね。
まあそれはともかく、日本到着の2日後にノルデンショルドは明治天皇に謁見しています。毎度のことながら明治天皇の過密スケジュールぶりが偲ばれます。
ノルデンショルドたちは約一ヶ月滞在して神戸・京都などを観光した後、10月21日に長崎から帰国の途につきました。
シンガポール・インド洋・スエズ運河・ナポリなどを経由して1880年4月24日にスウェーデンへ戻っています。
日本から持ち帰った6,000冊の本が蘇る?
日本滞在中には鉱物・化石の収集の他、工芸品や書物を多く買い求めていました。
日本の歴史に感動したらしく、書物については6000冊も買っていたとか。よく船で持ち帰ったものですね。
帰路のほうが補給できる港が多い分、積み荷に余裕ができたんでしょうか。
帰国してからはスウェーデン王立図書館に本を寄付したようです。
まあ、流石に個人じゃ持っていられませんものね。
航海成功については、横浜への到着直後にストックホルムへ電報で伝えられ、世界的に賞賛されました。
しかし、相変わらずロシアからの視線は厳しく、故郷フィンランドには帰れません。
他の探検家と共にロシア皇帝・ニコライ2世にフィンランドの自治権回復を求めたこともあるのですが、ノルデンショルドだけ謁見すら拒否されたそうです。
「フィンランドの血を引く人がフィンランドの権利を主張する」ことが気に入らなかったんでしょうね。
これは無理だ……と感じたのか。
その後は講演活動をしながらスウェーデン国民として過ごしたそうです。さぞかし残念だったことでしょう。
スウェーデン王立図書館は蔵書などのデジタル化を進めているらしいので、ノルデンショルドが持ち帰った日本の書物も、いずれネットを通じて読めるようになるかもしれません。
その後の災害・戦災で日本では焼けてしまったも記録もあるかもしれません。
気長に楽しみに待ちたいところです。
長月 七紀・記
【参考】
アドルフ・エリク・ノルデンショルド/wikipedia
ヴェガ号/wikipedia
スウェーデン国立図書館/wikipedia