伝説上は2600年超で、記録上でも1500年以上続いているのは確実。
一つの皇室・王室が途中で途切れることなく続いている例は他にありません。
しかし、皇室も1500年間ずっと安泰だったわけではありません。
皇位を疑おうとしている!と疑われる人は歴史上何人もいて、昨今、足利義満とか織田信長は否定されていますが、今回はその二人よりずっと前の皇位簒奪騒動のお話です。
神護景雲三年(769年)9月25日、和気清麻呂(わけのきよまろ)という貴族が、皇位継承騒ぎのとばっちりで流罪になりました。
元号の「神護景雲」は「じんごけいうん」と読みます。
四文字は奈良時代に半世紀ほど使われ、その後は採用されなくなりました。
理由はハッキリしていません。
元号は縁起の良い字を意味が通るようにつけなくてはいけないので、後世使える字を残しておこうということになったのかもしれません。
それはさておき、なぜ清麻呂は流罪になってしまったのでしょうか。
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古代に結構いた女性天皇たち
和気清麻呂が流罪になってしまったのは「痴情のもつれが原因かもしれない」と言われています。
事の始まりは当時の天皇と、側近であった僧侶の関係にあります。
時は称徳天皇の時代。
この方は史上唯一「女性皇太子」から天皇になった人でした。
藤原氏の血を引いていたため、外戚として権力を握り続けたい藤原氏が強引に女性皇太子につけたのです。
最初は孝謙天皇として即位し、その後、適した人物がいなかったため再度名前を変えて皇位につきました。
途中で譲位しているので上皇の時期もあるのですが、ややこしいので「称徳天皇」で統一します。
基本的に皇位につくのは天皇の男系男子のみ。
どの国の王様でも基本ですが、皇室の場合「天皇が行う神道の儀式では女性が行えないものが多々ある」という理由もあります。
他の女性天皇もそういった儀式は中止していたそうです。
しかし、神道のトップでもある天皇がそうそうずっと儀式をしないわけにもいきません。
ですから、女性天皇というのは、悪い言い方をすると「その場しのぎ」なのです。
古代の女性天皇をずらっと並べておきますと……。
【飛鳥時代】
推古天皇(33代)
皇極天皇(35代)→斉明天皇(37代)
持統天皇(41代)
元明天皇(43代)
【奈良時代】
元正天皇(44代)
孝謙天皇(46代)→称徳天皇(48代)
結構いるんですよね。
もちろん彼女の後には男系が続いておりますので、皇位継承に決定的な問題は起きておりません。
奈良時代のラスプーチン・道鏡
さて、その称徳天皇。
最初のうちは父親である聖武天皇や母親の光明皇太后の後見もあり、何とか仕事をこなしていました。
しかし両親が相次いで亡くなり、本人もショックで病に陥ってしまいます。
特に光明皇太后に対しては「母の看病したいから、私、天皇辞めるわ」と言って譲位してしまったほどですから、本当に仲の良い母娘だったのでしょう。
そんなお母さんが亡くなってしまっては、衝撃の程も伺えます。
病に伏せる彼女の治療に当たったのが、【道鏡】という僧侶でした。
出ました、皆さんにもお馴染みの黒い僧侶。
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数々の伝説は上記の記事にお譲りして、経過を記していきますと、彼の祈祷により、称徳天皇の体調は回復します。
頼りにしていた両親が亡くなて気落ちしていたところに、病気を治してくれて頼りになる人が現れたのですから、称徳天皇は道鏡に全幅の信頼を置きました。
道鏡だけでなく弟も超絶スピード出世
このころの皇女は未婚が多いものでした。
男子の皇太子が大きくなるまでの「つなぎ役」であったり。
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源氏物語でも不幸な結婚をした皇族の女性に対し「未婚のままでいらっしゃれば、こんな辛い思いをしなくて済んだでしょうに」というようなくだりが出てきます。
つまり、基本的に男性への免疫が少ないということで、案の定、称徳天皇は異常なほどに道鏡を重用します。
そこに恋愛感情があったかなかったか、定かではありません。
しかし、この状況が面白くないのは藤原氏で、反乱を起こしてみるもあえなく鎮圧されてしまいます。
その間にも道鏡の出世は止まりません。僧としては最高位の法王にまで上り詰めるのです。
ちなみにキリスト教は関係ありません。
法王というのは仏教用語なので、キリスト教のカトリックを「ローマ法王」ではなく「ローマ教皇」と呼んで、とアピールしているくらいです。
出世振りは道鏡本人だけでなく、その家族も同様でした。
道鏡の弟にいたっては、あっという間に大納言まで昇進。
大納言がどのくらいエラいかというと、官位の順番でざっくり言えば上から四番目です。
その上は
・太政大臣(平清盛や藤原道長など)
・左大臣
・右大臣(藤原不比等とか)
の三大臣しかありません。
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大した功績もないのにわずか8年でそこまで位が上がったのですから、ますます藤原氏その他からはやっかみを買うことになりました。
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