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【和気清麻呂】
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和気清麻呂 お告げを書くにするため宇佐神宮へ
しかし、その空気が読めないというか、空気を読みすぎたというか、九州の中臣習宜阿曽麻呂(なかとみのすげのあそまろ)がとんでもないことを言い出すのです。
「道鏡を天皇にすれば、日本が平和になるって神様が言ってました!」
称徳天皇に、こんな報告をしています。
どう考えても「道鏡が天皇になればオレも出世できるぜククク」という本音が透けて見えます。
この時点で皇室は200年以上続いていますから、そう簡単に皇位を渡すわけにはいきません。
称徳天皇も怪しんだようで、旧知の仲だった尼僧を確かめに行かせようとしました。
しかし彼女が病弱だったため、代わりに選ばれたのが弟の和気清麻呂だったのです。
清麻呂はナントカさんがお告げを受けたという宇佐神宮(大分県)に行き、違う託宣を持って宮中に帰りました。
その内容は
「そんなアホなこと言っているやつを排除せよ。皇位は皇族が継ぐものである」
という至極まっとうなものでした。
しかし、この託宣を受け取った経緯が問題でした。
神様は何も話さなかった
何が問題となったか?
神様は和気清麻呂の前に出てきてはくれたそうなのですが、もう一度お告げをすることは拒んだというのです。
つまり、清麻呂が持って帰ったお告げは清麻呂が考えたニセの託宣ということになります。
もしこれが本当なら、記録が残ってる時点で清麻呂の詰めの甘さが出ている気がしますが……ともかく、そんなデッチあげがバレたのか、単に道鏡を皇位につけたかっただけだったのか、怒った称徳天皇は清麻呂を流罪にしてしまうのです。
自分で派遣したのに、これはちょっとヒドい措置。
そして罰則はそれだけではありませんでした。
大隅(現・鹿児島県)というかなり距離のある遠流だった上に、
【別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)】
という、いかにも汚そうな名前に改名させたのです。なんて無駄な手の込みようでしょうか。
しかも、清麻呂のお姉さん(尼僧)まで
【別部広虫売(わけべのひろむしめ)】
という名前にさせられてしまうのですから、ここまでくるとヒステリーっぽい感じがしますね。歴史のヒストリーですけどね、HAHAHA……すいません。
今度は道鏡が飛ばされ 地元では名僧に
でっちあげはともかく、こうして皇位は守られました。
翌年、称徳天皇は再び病に倒れ、道鏡も今度は近付くことを許されず失脚。
そして称徳天皇崩御の後、和気清麻呂は罪を許されて仕事に復帰しました。
いろいろありましたがめでたしめでたし、というところでしょうか。
さて、後日談。
悪名高い道鏡さんですが、愛する?女帝亡き後に関東地方のお寺(栃木県の下野薬師寺)に飛ばされたとされます。
そして当地では実にすばらしい名僧だったという伝承が残っているのです。
いったい何が本当だったのか……。
ここまで古いと、そうそう新たな記録も期待できず、真実は闇の中ということになりそうです。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon)
和気清麻呂/wikipedia