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【信長公記第68話】
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浅井の裏切り ショックのあまり事態を呑み込めず
朝倉の城を次々に落とし、勢いに乗る織田軍。
そのまま木ノ芽峠を越え、越前中部へ進む予定でした。
しかし、このタイミングで信じられない事態が信長に襲いかかります。
「浅井長政が裏切った」
そんな知らせが届いたのです。

浅井長政/wikipediaより引用
自身の本拠地・美濃と隣接し、妹のお市を嫁がせ、強固な同盟を結んだ浅井家。
あまりのことに信長は当初、事態を信じられなかったようですが、複数の筋から同じ情報が届いたため、やむを得ず撤退することにしました。
信長の生涯でも最大級の危機である撤退戦「金ヶ崎の戦い」がここで起きたのです。
ただし信長公記では「金ヶ崎城には木下藤吉郎が残った」ことしか書かれていません。
他にも殿として残った武将は多々いたのですけれども……気になる方は、以下の詳細記事を併せてご覧ください。
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金ヶ崎の退き口|浅井長政に裏切られ絶体絶命の窮地に陥った信長や秀吉の撤退戦
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戦国三大梟雄の一人・松永が信長を助けた
◆4月30日 朽木元綱の奔走により、朽木越えで信長一行は京都への撤退に成功した、とあります。
現在の地名でいえば滋賀県高島市あたりで、撤退ルートのほぼ中間地点です。
ここを通れたのは、松永久秀の説得によるものでした。
元綱はこの頃、浅井氏と多少の繋がりがあったため、織田方につくかどうかはわからない状況。
どっちに転んでもおかしくない中、松永久秀はたった一人で説き伏せて無事に信長を通したのですから、割と大事な功績なんですが……。
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松永久秀の生涯|三好や信長の下で出世を果たした智将は梟雄にあらず
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久秀の、この後の行い(謀反)を差し引かれたのか、信長公記にはそのあたりが全く書かれていません。
ちょっと久秀がかわいそうですね。
窮地を脱した信長は休むことなく、武藤友益から人質を取ってくるよう明智光秀と丹羽長秀に命じています。
武藤友益は、松宮清長や粟屋勝久と同様、若狭武田氏の重臣でした。
しかし二人と違って信長に反抗的な動きをしていたため、このような対応をしたと思われます。
実は、今回の出兵も、当初は武藤征伐が目的でした。
こちらは朝廷の意向でもあったようで、山科言継なども書き残しています。
友益は命令に応じて自分の母親を差し出し、彼の城は破却することにして、このときは丸く収めました。
人質を義昭に預けて岐阜へ帰還
◆5月6日 光秀と長秀が帰京し、友益の反応を報告。
この間と思われる時期に、近江の街道筋で織田家に対する一揆が起きていました。
おそらくは、浅井氏の影響でしょう。
こちらは、守山(滋賀県守山市)に配置されていた稲葉一鉄親子と斎藤利三が対応し、長引くことはありませんでした。
もしも一帯を塞がれてしまうと、信長は地元・岐阜へ帰ることができなくなりますから、大手柄ですね。
帰国ルートが確保できたため、信長は一度岐阜へ戻ることにしました。
そして大名・武将から取っていた人質をまとめて、将軍・足利義昭に預け、「京都で何かあれば、直ちに上洛いたします」と言い置いています。
これらの言動を素直に受け取るとすれば、この時点での信長は、義昭と完全に敵対するつもりはなかったのでしょうね。
でなければ、人質たちも一緒に岐阜へ連れて行くか、京都に置いている奉行たちに任せるか、そのどちらかにしたでしょうから。
浅井朝倉との敵対から泥沼の戦いへ
◆5月9日 信長、京都から岐阜へ出発。
途中の宇佐山(大津市)に森可成を残しました。森蘭丸や森長可の父親として知られる、織田家の重臣です。
◆5月12日 永原(野州市)に佐久間信盛、長光寺(近江八幡市)に柴田勝家、安土(近江八幡市)に中川重政を配置し、南近江の備えとしました。
ちょうど琵琶湖の南岸に沿うような形で、信頼できる武将を配置したことになります。
こうして、何とか窮地を脱した信長。
尾張→美濃へと侵攻した後は、足利義昭を奉じて上洛や将軍就任など、トントン拍子でコトが進みましたが、隣接する浅井長政・朝倉義景を敵に回したことで、一気に戦線が泥沼化して参ります。
今日は勝てても一寸先は闇――。
尽きることのない戦闘の日々が始まったのです。
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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link)
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link)
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link)
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link)
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link)
『戦国武将合戦事典』(→amazon link)


