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友松の作品「雲龍図」は建仁寺にあった
絵画の道に生きた友松は、数々の名画を生み出していきます。
でもやはり本望ではなかったのか「オレ、やっぱり芸術家よりも武家として生きたかったよ。年取っちゃったけど、まだどこかにチャンスないかなあ」なんてボヤキが残されています。
未練を抱えていながらも、重要文化財級の絵画を描けたのですから、秀吉の見立ては当たっていたのでしょうね。
そんな友松のお墓は、京都の建仁寺というところにあります。
友松の作品のひとつ『雲龍図』が有名ですね。

建仁寺雲竜図
ここは教科書や資料集によく載っている『風神雷神図』もあるお寺です。

建仁寺の『風神雷神図屏風』(絵・俵屋宗達)/wikipediaより引用
ちなみに、友松のお墓の隣には親友・斎藤利三のお墓もあります。
「オレが死んだら、友達の隣に墓を作ってくれ」と言い残していたそうです。
雲竜図などの名画は、もしかすると利三供養の意味もあったのかもしれませんね。
本望ではなかったものの、人に見出されて立派な作品を残した友松。
我々凡人から見たら羨ましい限りですが……。
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【参考】
国史大辞典
京都国立博物館(→link)
海北友松/wikipedia
ほか