大名だけではなく、下々の目線からの戦国時代も映し出した大河ドラマ『真田丸』。
何と言っても衝撃的だったのが第12回の放送でしょう。
真っ赤に焼けた鉄の棒を主人公の真田信繁さんが掴み、神様の元へ運ぼう……とした『鉄火起請』。
あんなもん、素手で握ったらどんな大火傷になるのか?
三谷幸喜さんもNHKさんも、随分と思い切ったシーンを描いたなぁ……ということで今回のテーマ。
鉄火起請を実際にやったらどうなるか――。
その起源や歴史を、医学面とあわせて振り返ってみましょう。
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最初は熱湯の中に手を入れる盟神探湯
『鉄火起請』とは神明裁判の一種です。
簡単にいうと「正邪を神様に決めてもらおう!」という裁判方法の一つで、起源は日本書紀の時代の『盟神探湯(くがだち)』まで遡ります。
応神天皇の時代、天皇の忠臣であった武内宿禰(たけしうちのすくね)が弟の讒言を受けた際、盟神探湯が行われたとの記載があるんですね。
神に潔白を主張した後に煮え立つ湯に手を入れ、正しい者は火傷を負わず、偽りのある者は大火傷をするという判定方法で裁かれたのでした。
結果、武内宿禰は勝負(?)に勝ち、その場で弟を討ち果たしたそうです。
しかし、この人自体、存在が架空と考えられるので本当に盟神探湯が行われたかどうかは不明です。
また『日本書紀』には、仁徳天皇の第四皇子である允恭天皇(いんぎょう)が氏姓の乱れを正すために盟神探湯を行ったという記述もあります。
自分の姓を詐称して高貴な姓を名乗る輩が増えたため、選別をすべく神明裁判が行われたというのです。
このとき自分に偽りがない者は進んで盟神探湯を受けて無傷。
一方、嘘をついていた者は手に大火傷を負ったため、身に覚えのある者は怖くて盟神探湯を躊躇し、嘘が露見した――以降、嘘の姓を名乗る者がいなくなり秩序が戻ったという言い伝えです。
むろん、正直だから火傷をしないなんてワケがありません。
重要なのは“嘘つきがビビる”というところなんですね。
これを理解しない施政者が言葉通りに盟神探湯をガチで行ったりすると、大火傷を負ったり死ぬ者が続出してしまいます。
6世紀前半の近江毛野臣は盟神探湯を行いまくり、火傷で死ぬ者が多数出たようです。
医学的な考察は後にして、先へ進めましょう。
鎌倉時代の参籠起請は鼻血が出たらアウト
神様に判決をゆだねる狂気の裁判は、日本書紀の記述を最後に室町時代まで一旦なりを潜めます。
たしかに鎌倉時代にも神に審判をゆだねる「参籠起請(さんろうきしょう)」はありました。
誓いを立てて神社や寺に籠もっている7日間または14日間に、身体や家族に異変が起こらないか?で正邪を問うものです。
異変があれば神罰、仏罰が下ったということで有罪とされました。
では何を持って異変とするか?
鎌倉幕府のオフィシャルな法では「鼻血」にはじまり「起請文を書いた後の病気(ただし、元からあった病気を除く)」や「鳥に糞をかけられる」、はたまた「ネズミに衣装をかじられる」など。
細かい注釈もあり「身中よりの下血」を例に取ると、「ただし爪楊枝での出血除く」、「女子のアレ」も除く、「痔もオッケー」など、なかなか被疑者に優しい設定となっています。
この参籠起請の欠点は、判定までに7~14日と時間を要する点でした。
それが、もどかしく感じたのでしょうか。
室町時代には判定が手っ取り早い「湯起請」が行われるようになります。
犯人とされる者、または村境などの紛争を解決する場合はそれぞれの代表者が煮えたぎる湯に手を浸け、火傷をするか否かで正邪を問うやり方です。
直後に火傷が認められない場合は手に袋をかぶせて3日間留め置き、手に変化がないかを観察。
ここで変化がなければシロ、あればクロです。
そんなもん全員火傷するに決まってるだろ!
そうお思いでしょうが、湯の温度によっては火傷をせずに済むようで、統計を見ると確率はなんと五分五分、引き分けとなる場合もあったようです。
戦国時代に入りますと、そんな湯起請に代わり、もっと危ない裁判が登場してきます。
そう、真田丸に出てきた「鉄火起請」です。
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