長宗我部信親

長宗我部信親(落合芳幾・作)/wikipediaより引用

長宗我部家

四国の戦国武将・長宗我部信親の最期「オレは戸次川の戦いで死ぬ」

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長宗我部信親と戸次川の戦い
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「俺は明日討死する」

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そして【背水の陣】という言葉がある通り、そもそも水の側で戦うときには細心の注意を払い、状況を鑑みてから合戦に臨むのが基礎中の基礎です。

もちろん長宗我部元親も信親も反対はしたのですが、既に人の話を聞ける状態ではなかった秀久はこれを決定してしまいます。

これが前日12月11日のこと。

その夜、信親は家臣に「俺は明日討死する」と覚悟を漏らしていたとか。

すでに中央へ組み込まれた後、しかも父の元親が臣従している秀吉の代理に等しい人間の決定ですから、賢明な信親には食い下がることができなかったのでしょう。

「憎まれっ子世にはばかる」といわれますが、その逆に頭や性格のいい人はいつの時代も犠牲になるのですね……。

 

跡取りを失い、元親は茫然自失

そしていよいよ翌12日――。

長宗我部には結果の見えていたような悲壮な合戦が始まります。

これだけ優秀な若様でしたから、もちろん最後の最後まで信親に付き従った家臣も多くいました。

信親自身も勇敢に戦うのです。

しかし、そもそも多勢に無勢なシチュエーションの上に、相手は強兵で知られる薩摩隼人の皆さんであります。

しかも指揮官は、島津四兄弟の中でも戦闘に長けた名将・島津家久でした。

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豊臣軍は、歴史上稀に見るフルボッコにされ、耐え切れずに多くが討死してしまいます。

こうして長宗我部家は有能な跡取りと次期家臣団になるはずだった多くの若者を一度に失い、元親はあまりのことに茫然自失状態。

大名としての寿命を縮めていくことになり、後に、大坂の陣にて長宗我部盛親が戦死を遂げるのはよく知られた話かもしれません。

漫画『センゴク』を読んでいる限り、あの憎めないダンゴがなぜ……というか、こればかりは悔やんでも仕方のないことかもしれません。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
山本大/小和田哲男『戦国大名系譜人名事典 西国編(新人物往来社)』(→amazon
阿部猛/西村圭子『戦国人名事典(新人物往来社)』(→amazon
長宗我部信親/Wikipedia

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