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【戦国ブギウギ65話】
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連歌会
◆『光秀による謀反の意思表明なのか?』
とされるこの一首は、本能寺の変からわずか9日前に行われた連歌会で読まれました。
場所は京都の愛宕神社。
その場には有名な連歌師・里村紹巴も同席しております。
本能寺の前に光秀が詠んだ愛宕百韻~ときは今 あめが下知る 五月かな
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そんな公の場で、謀反の心など詠みますかね……。
アニィ作中の光秀も素っ頓狂な顔をしているように、そういう深い意味はなかった気がしてなりません。
一足先に、本能寺の変最大のナゾ・光秀の動機については以下の考察記事をご参照ください!
なぜ光秀は信長を裏切ったか「本能寺の変」諸説検証で浮かぶ有力説は
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三男坊
◆土佐の長宗我部元親に対し
「四国? とれるもんなら好きなように治めちゃっていいよ!」
という切り取り自由宣言をしてしまった信長さん。
長宗我部元親は戦乱の四国をどう統一した?失意に終わった61年の生涯
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その後、姫若子(女の子みたいにか弱い元親のアダ名)から一転して鬼若子(鬼のように強い元親)となった長宗我部軍が、瞬く間に四国を平定してしまうと、今度は「やっぱり土佐と阿波(の一部)だけにしてね」と態度を豹変させます。
むろん長宗我部元親はブチ切れ!
織田家と長宗我部家は戦闘モードに入り、そこへ送られたのが織田信孝を総大将とし、他に丹羽長秀や蜂屋頼隆などが参加した四国方面軍でした。
信長の三男・織田信孝が迎えた壮絶な最期~秀吉に敗れて十字腹とは?
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!