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【義姫】
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最上家存亡の危機! そのとき、義姫が動いた
岩出山から産まれ育った山形に戻った義姫は、兄・義光の配慮によって悪戸、南館の館で静かに暮らすこととなりました。
その間、息子の政宗と兄である義光は、京都で豊臣政権が衰退する中を生き抜いていました。
この二人とも文禄4年(1595年)の豊臣秀次切腹事件に連座し、義姫にとって姪にあたる駒姫は幼い命を散らしました。
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それからさらに5年後の慶長5年(1600年)秋、義姫はまたしても合戦に直面することとなります。今度は大崎合戦とは異なった意味で、最上と伊達を結びつける役目こととなったのです。
大崎合戦とはちがってこの北の関ヶ原こと長谷堂合戦は、単純化すると図式はこうです。
結果的に西軍の上杉勢が最上領に侵攻したのですが、当初は逆でした。
上杉討伐ということで、徳川家康率いる東軍が会津の上杉を攻めるはずだったのです。
義光は領土をめぐる遺恨もある上杉景勝を叩けるということで張り切っていたはずですが、石田三成の挙兵を受けて家康はUターンしてしまうわけです。
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こうなると景勝はどうすべきか?
家康と戦うのならば、背後にいる伊達と最上をまず片付けねばならない。
かくして最上領に攻め入るわけです。
人生最大のチャンスが一転、最悪の危機に……。義光に選択の余地はほぼなく、結果的に上杉と戦うこととなるわけです。
一方、政宗はどうだったのでしょうか。
景綱「最上の援軍要請なんて断れば二つの国が取れます」
『伊達治家記録』には、政宗と片倉景綱の会話としてこのようなものが記録されています。
景綱「最上の援軍要請なんて断ればいいんです。上杉が最上を滅ぼしてから、我々が上杉を滅ぼせばよいのです。そうすれば一石二鳥、二つの国が取れます」
政宗「最上とは長年仲が悪いからってそんなわけにはいかないよ! ひとつは家康公のため、そしてもうひとつは母上のために、最上を見捨てるわけにはいかないじゃあないか!」
実に綺麗な政宗ですね。
これも『伊達治家記録』ですので、政宗クリーンアップ作戦がなされたやりとりと見てよいかと思います。
片倉景綱は「最上を倒した上杉を伊達が倒せばよい」といとも簡単に言っておりますが、当時120万石を越える石高の上杉、ましてや最上までくだした相手に、伊達がそう簡単に勝てたとは思えません。
むしろ伊達と最上が手を組めば上杉に何とか対抗できるけれども、単独で当たるのは無理というのが現実的な落としどころだったと思います。
気になるところはもうひとつあって、政宗が当時そこまで熱心かつ真面目に家康に味方する気があったか、疑問の残るところです。
そうしたことはさておき、ここでこの部分をもう一度読み返しましょう。
「母上のために、最上を見捨てるわけにはいかないじゃあないか!」
この言葉も、毒殺事件が事実だと信じていれば「あんな酷い目にあった政宗なのにえらい」と感動出来るのですが、今にして思うとそうでもないかもしれません。
さらに政宗に関して厳しいことを言ってしまうと、人質にとられた父を射ち、家の安定のために弟を斬っているとも言われているわけで、そんな彼でも母だけは見捨てられなかったのか、とも言えるかもしれませんね。
しかし、今回の主役は政宗ではなく、あくまで義姫です。
ここでは最上家未曾有のピンチにおいて、伊達の援軍を取り付けた彼女の手腕についてみてみましょう。
留守政景、兄嫁の手紙攻勢にあう
直江兼続率いる上杉勢に攻め入られた最上義光は、嫡男・義康を使者として派遣し、伊達家に援軍を要請します。
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義康は政宗にとってはいとこにあたり、面識もあったでしょう。
当主の嫡男を使者に出すということは、最上側はかなり真剣に援軍を要請しています。
その結果、伊達家から派遣されたのは留守政景でした。政景は輝宗の弟にあたり、政宗にとっては叔父にあたり、義姫にとっては義弟にあたります。
しかしこの伊達からの援軍は、政宗から「あくまで慎重に様子をみて。深入りはしないように」と釘を刺されていたのです。そのため、政景の動きはどうにも鈍く、最上側を苛立たせるのでした。
そんな政景に、義姫から手紙攻勢が続くことになります。
「とにかく早く早く、急いで急いで、本当にすぐに来て欲しいのです」
「急いでください。義光は相手にも都合がある等と口では申しておりますが、本音はともかく一刻も早く来て欲しいと思っています。急いでください。今日の昼までには来て下さい。一刻も早く来てください。遅れるのはあなたのためにもならないと思いますよ」
こんな文面が、真夜中の四時だの、早朝六時だのに書いたと記載の上で届きます。
さらには、
「あなたと私の仲ですから、義光の前だからって遠慮なんかしないでくださいね。義康はまだ若いから失礼があったらごめんなさいね。あなたのご家族はお元気ですか? 多利丸ちゃん(政景の子息か?)もきっと大きくなったでしょうね。様子を聞きたいものです」
と、どんどん距離感を縮めてきます。
子供のことまで持ち出すとは、親戚のおばちゃんそのものになってきました。これは断りづらいです。
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