1911年(明治四十四年)8月12日は、フランス軍人のジュール・ブリュネが亡くなった日です。
映画『ラストサムライ』の主人公ネイサン・オールグレン(演:トム・クルーズ)のモデルとされる人物ですね。
ただし、史実の彼は、映画とはかなり違った生涯を歩んでいます。
どんな一生だったのでしょうか。
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ナポレオン3世の命により軍事顧問団
ジュールは1838年1月2日、フランス東部・スイス国境に近いベルフォールに生まれました。
父は竜騎兵連隊所属の獣医だったといいます。
竜騎兵というのは馬に乗って鉄砲を撃つ兵のことで、日本風に言えば「鉄砲騎馬隊」(実在したかどうかは諸説ありますが)あたりでしょうか。
ちなみに英語では「ドラグーン」というカッコイイ名前になっています。
日本のファンタジー小説などでは、字面から連想してドラゴンに乗った騎士のことを竜騎兵・ドラグーンと呼んだりしますね。
そして馬がいるからには世話や獣医学が必要になるというわけで、ジュールも父から軍属の馬や戦場などの話をたくさん聞いていたと思われます。
成長して工科学校や陸軍学校を卒業した後、フランス陸軍に入隊。
戦功を挙げて順調に出世し、レジオンドヌール勲章(フランスで最も権威ある勲章)を受けたこともありました。
イメージとしては「身分は高くないが、若きエリート軍人」というところですかね。
一方その頃、フランス皇帝・ナポレオン3世は
「東洋での拠点が欲しいし、この前(文久遣欧使節)で見聞きした感じだと、日本はなかなかよさそうだ。いっちょ軍事指導でもしてやって、恩を売っておくか」
と考えていました。
そこで、ジュールらに軍事顧問団として日本へ行くよう命じます。
戊辰戦争の一年前に来日
団長はシャルル・シャノワーヌという人でした。
その下にジュールを含めた五人の士官がいて、それぞれの専門分野を持っています。
ジュールは砲兵の経験があったことから、砲兵教育担当になりました。
こういった流れで、ジュールは上司たちとともにはるばる来日します。
1867年初頭、つまり戊辰戦争の一年前のこと。幕府側でもフランス語を学ぶ環境を整えており、やる気は充分だったようです。
ジュールたちはさっそく幕府の軍隊に訓練を施しました。
三ヶ月ほど経った時点で、シャルルが問題点や改善点などをまとめた建白書を提出しており、彼らが異国の地で熱心に任務をこなしていたことがわかります。
この建白書や、徳川慶喜との謁見により幕府軍の改革が行われ、西洋式軍隊に切り替わっていきました。
慶喜がフランス風の軍服をしている写真が残っていますが、それはこういった流れがあったからなんですね。
しかし、それだけ気合を入れて作った幕府軍は、戊辰戦争が始まると敗北を重ねてしまいます。
フランス本国からはジュールたちに「帰ってこい」という命令が出されました。
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