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政宗や義光の顔を立てながら要求を通す柔軟さ
最上勢絶体絶命の危機は、徳川家康が関ヶ原で勝利したことによって、やっと脱せられます。
このときの直江兼続の撤退戦は有名です。勝敗が結したあとも、最上軍には厳しい戦いが待っていました。
政景は役目を終えて帰ろうとしますが、またも義姫から手紙が届きます。
「帰陣されるって本当ですか? 決着はついたからそれもそうだとは思いますけれども、まだ一戦ありそうなんですよ。ちゃんと見届けてからお帰りになってもよいではありませんか。義光も本音ではそう思っています。私にそう相談してきました。でも、あなたにとどまって欲しいというのはあくまで私に考えです。もう数日留まって、落ち着くまで戦った方が政宗の覚えもよいかと思いますよ」
このような義姫必死の懇願を受けた政景は、直江兼続撤退後も山形に留まりました。
かくして義姫の実家は最大の危機を逃れたのです。
この戦いで最上家が踏みとどまれたのは長谷堂を守り抜いた志村光安らの活躍もあります。しかし、伊達からの援軍を急かし、とどめた義姫の功績もあると言えるのではないでしょうか。
そしてここで注目したいのが、義姫が義光、政景の顔を立てることに気を配っている様子です。
早く援軍として来て欲しい、滞在して欲しいという願いを、あくまで「義光は本音ではそう思っているけれども、それを頼むのはあくまで私の意見」としています。義光の言いにくい本音を、「義姫の意向」という体裁で伝えているわけです。
また政景にも「最上父子との間は私が取り持つ」と伝えています。「私の意見を聞いたら政宗や義光からの受けもよくなるなず」とメリットも示しています。
大崎合戦の時も今回もそうですが、義姫は相手の顔を立ててうまく立ち回ります。
男同士ならプライドが邪魔をして角が立ちそうなところにさっと入り込み「まあまあ、ここは私の言うことも聞いて!」と、場をおさめているのです。
こんなことができるのも、彼女が柔軟でかつ信頼を寄せられる人物であったからでしょう。
政宗はやはり母が大好きだった
義光の死後、最上家は幼主のもとで混乱に陥り、改易となります。
政宗は年老いた母を引き取り、暖かい場所に屋敷をつくるとそこに住まわせたと言います。
現在でも仙台に残る保春院は、義姫の位牌を安置するための寺です。
亡き母を供養する政宗の姿は実に愛情深く、印象的です。だからこそ『独眼竜政宗』のサブタイトルに「母恋い」と使用されたり、義姫出てきたりするのでしょうね。
が、しかし!
この「母への愛」は前述の通り「毒殺未遂があっても子は母を慕うもの」という屈折したものとしてフィクションでは解釈されます。
ここを改めましょう。
政宗にせよ、夫の輝宗にせよ、兄の義光にせよ。彼女を敬愛していたのは、彼女が魅力的だとか家族だからとか、そういう理由もあったにせよ、何よりデキる女で、かつ献身的にテキパキとやるべきことをしっかりこなす人物であったからだ、と。
今こそ『伊達治家記録』以来の鬼母像は捨て、素顔の彼女を見て、そして評価したいところです。
彼女の名誉回復につながるだけではなく、その活躍ぶりは戦国時代の女性のあり方、活躍ぶり、家同士をつなぐ役割を示す好例となります。
男たちが血を流す一方で、女たちも汗を流し、様々な交渉に挑んでいたのです。
有能な戦国の女性像としての義姫を、是非世間にも広く知っていただければと思います。
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記:最上義光プロジェクト
(@mogapro http://samidare.jp/mogapro/ )
【参考】
『戦国時代の南奥羽社会: 大崎・伊達・最上氏』(→amazon)