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【片倉小十郎景綱】
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殿より先に授かるわけにはいかない 殺せ
ある時は、景綱に息子が生まれました。
後の2代目・片倉小十郎重長(片倉重長)です。
しかしどういうわけか、せっかく生まれた長男をあの世に送り返せと言う景綱。
そのことを漏れ聞いた政宗は筆まめなので慌てて手紙を送ります。
「私の心に免じて助けてやってくれ。
おまえの言い分もあるだろうが、ただただ私に任せてくれないか。
これほど言っても助けなかったらおまえのことを許さないぞ。
どうか、どうか助けてやってくれ」(※手紙は現存)
「二日酔いです・遅刻しそう・読んだら燃やして」政宗の手紙が気の毒なほど面白い件
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怒っているんだか、なだめているんだかわからない手紙ですよね。政宗の焦りっぷりが伝わってきます。
政宗には、なぜ小十郎がそんなことをしようとしたのか分かっていたのです。
政宗にまだ子どもがいなかったからです。
主君より先に子宝に恵まれては申し訳ないと思ったそうです。
東北の関ヶ原で上杉と激突
二人がいい大人になった【関ヶ原の戦い】においても、政宗に遠慮のない景綱の暴走は止まりません。
伊達家をはじめとした東北諸将は直で関ヶ原には行っていません。
しかし東北でそれに近い戦いが行われました。
【慶長出羽合戦】です。「北の関ヶ原」なんて言われたりしますね。
関ヶ原+東北といえば、上杉家との戦い。
家柄的にも勢力的にも同等だった伊達家が対峙させられるのはごく自然な流れでした。
政宗は、徳川家康から「上杉の今の領地(会津・米沢その他)は故郷と旧領だろ? うまくやったら丸ごとあげる」(超訳)という口約束を取り付けていたので、非常に魅力的な提案です。
しかし、そうは甘くはありません。
いくら家康から「切り取り次第(好きなだけ領地にしてエエよ)」と言われても、相手は謙信以来の精兵が揃った上杉家です。
敗北だって十分に考えられるところで、時系列的には次のような運びになりました。
家康、上杉征伐に出てくる
↓
三成挙兵に驚いて戻る
↓
上杉家、家康を追わずに山形の最上家を攻める
↓
伊達家が最上家の助太刀という形で上杉家と戦う
ここでポイントになるのが最上家。
政宗の母・義姫(よしひめ)の実家です。彼女は、最上義光の妹としても知られますね。
最上義光(政宗の伯父)は東北随一の名将!誤解されがちな鮭様の実力
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いろいろあって義姫は随分前から実家に戻っていたので、最上家を助けることは政宗にとって母親を助けるも同然でした。
別にこれは内々の話でもなんでもなく、伊達家の人間であれば誰でも知っていたであろうことです。
ここで景綱が、とんでもない献策をしています。
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