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【愛姫】
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秀吉を警戒して「懐剣」を常に携えていた
戦乱の情勢が次々に変わり、豊臣秀吉によって「大名の妻子は京に住むこと」と決められたため、愛姫も京都へ移り住むことになりました。
ただ引っ越しただけではなく、他の大名の妻たちとそつなくお付き合いをこなし、政宗が国許にいる時には手紙で上方の情勢を知らせていたとか。
また、秀吉の女好きや天下の動きを警戒して「いざというときは匕首(あいくち)で首を切りますので、私のことは気にせず去就をお決めください」(意訳)という、気丈な手紙を書いたこともありました。
可愛いだけではない、愛姫の誇りと聡明さがうかがえます。
他の大名の妻にも「秀吉の前に出るときには武器を忍ばせていた」という話がいくつかありますので、当時の常識だったのかもしれません。
まぁ、秀吉の側室たちの出自を見れば、そうせざるをえませんけども、実際は、秀吉当人やその妻・ねね(北政所)には気に入られて厚遇されていたようです。
由緒ある愛姫の出自も気に入られていたのかもしれません。
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豊臣秀吉/wikipediaより引用
老齢の域に入りかけた41才で出産
念願かなって、最初に子供を授かったのは26歳のこと。当時の初産としてはかなり遅めです。
このとき生まれたのが、後に松平忠輝の正室となる五郎八姫でした。
「いろはひめ」と読み、家康に嫌われていた松平忠輝に嫁いだだけに、将軍家とは思えぬ苦労をさせられています。
愛姫はその後、数年おきに懐妊し、三男一女に恵まれました。
残念ながら、幼いうちに亡くなった子もいますが、それは当時の状況では仕方のないことでもあります。
政宗の次に伊達家を継ぐ嫡男は、愛姫から生まれた伊達忠宗でした。
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伊達忠宗/Wikipediaより引用
そして一番下の子供を授かったとき、愛姫はなんと41歳。
現代でも高齢出産に入りますが、そもそも当時の感覚では老人に入りかけの年齢です。
田村家の養子に入って家を継ぐはずだった彼女の次男以下の二人が夭折してしまったため、その願望は叶えることができません。
最後に、政宗死後のエピソードに注目してみますと……。
夫の月命日に旅立ちたい
政宗は亡くなる直前、愛姫の見舞いや世話を拒んだとされます。
「こんなみっともない姿を、正室に見せてたまるか!」という気概からのことで、最期まで愛姫と会わぬまま政宗は息を引き取りました。
しかし、愛姫はそれを恨みはしなかったと思われます。
理由は二つ。
後に「夫のありのままの姿を残したい」と、片目の政宗像を作らせていること。
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瑞巌寺にある伊達政宗の甲冑像。眼帯の着用はなく、右目は閉じるような佇まいとなっている/瑞巌寺公式サイトより引用
そして、政宗の死から17年経った愛姫自身の死に際には「せめて、夫の月命日(24日)に旅立ちたい」と命を永らえさせ、見事その通りになったことです。
承応2年(1653年)1月24日のこと。享年86。
最後に会えなかったことを恨んでいたとしたら、17年も経ってなお「夫の月命日に」なんて考えないですよね。
夫が亡くなるまでだけではなく、自分がこの世を去るその時まで、彼女は政宗のことを本当に愛していたのでしょう。
また、田村家に対する思いも残っていたようで、自身の息子を養子入りさせることは叶いませんでしたが、息子の二代目藩主・伊達忠宗にその任を引き継ぎます。
忠宗は三男を田村宗良として田村家の再興を果たすのでした。
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長月 七紀・記
【参考】
渡邊大門『井伊直虎と戦国の女傑たち~70人の数奇な人生~』(→amazon)
愛姫/Wikipedia
福島県三春町(→link)
瑞巌寺(→link)