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【井伊直孝】
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井伊が滅びるとき 徳川もまた
譜代大名筆頭である井伊家は、5代6度の大老を輩出する別格の家となりました。
そんな井伊家のユニークな名物が牛肉の味噌漬け。
日本で肉食は忌まれていたものの、薬食いと称する滋養強壮としては食べられていました。
その代表格がこの井伊家名物・牛肉の味噌漬けであり、そんな井伊家最後の大老が、幕末の井伊直弼です。
彼は一本気であり、13代将軍・徳川家定の意を受け、剛腕を振るいました。
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この家定を苦しめていたのが、水戸藩の徳川斉昭です。
水戸藩の水戸光圀は、亡命した明人を多く招き入れ、儒教を尊びました。
日本で初めてラーメンを食べたのが水戸光圀とされるのは、そんな背景があったからこそ。
本場の儒教思想を朱舜水から学び、水戸藩にはこんなプライドが築かれてゆきます。
清は夷狄の満洲族だ。
となると、実質的に中華思想を受け継いだのは、亡命した明人を受け入れた日本ではないか?
実はこの思考回路は、朝鮮でも発揮されています。
朝鮮では朱子学を厳守し、倫理と正義があることを誇りとするようになります。
しかし、中国から見たら「どちらも漢族じゃないのに、中華思想を発揮されてもわけがわからん」と困惑する場面。
いずれにせよ、水戸藩はとにかくプライドが高い。
結果、幕政に口出しし、家定の後継者として徳川斉昭最愛の子である慶喜を強引に勧め、黒船来航以来、ただでさえ大変な幕政を大混乱に陥れるのです(【将軍継嗣問題】)。
そこで、困惑する家定の意を受け、立ち上がったのが井伊直弼。
直弼は、徳川斉昭を中心とした一橋派を処罰する【安政の大獄】を引き起こしました。
しかし、これに憤った水戸藩士らが井伊直弼を襲撃するという【桜田門外の変】が起きるのですから、幕府としてはたまったもんじゃありません。
井伊直弼の死は、幕府に暗い影を落とします。
井伊家は直孝以来、京都を監視する役目がありましたが、直弼の死により、それどころではない。
そこで京都の治安維持を任せられたのが会津藩でした。
遠隔地であり、財政的に苦しいにも関わらず、頼まれれば火中の栗を拾うであろう藩主・松平容保の生真面目さにつけ込み、押し付けられたのです。
幕末の井伊家は、影の薄い存在になってしまいました。
後味の悪い話として、水戸藩の天狗党が大量処刑された【天狗党の乱】で厳しい処分を肯定し、首切り役を志願したのは井伊家彦根藩士であったとされます。
そしていよいよ【第一次長州征討】のような戦争が始まっても井伊家の評価は低い。
井伊家の威光を振り翳し、赤備えで威張り散らす――時代錯誤と高慢さの象徴として侮蔑と共に語られ、まったく評価されていません。
京都を守ってきた会津藩士は、劣った装備でも懸命に槍を振るい、敵からも賞賛を浴びた。
けれども彦根藩士は何なのか?
そう言われてしまう事態が幕末に起きてしまったのです。
これは皮肉にも「徳川家康の慧眼がいかに優れていたか」を示すものとも言えます。
井伊直弼は将軍のために悪名を被る覚悟を持つ、忠誠心あふれる大老でした。
そして徳川将軍家の守り刀である井伊が折れると、幕府は崩壊へと向かってしまったのです。
井伊直弼の死は、テロによる世直しに日本人が目覚める悪しき契機にもなりました。
守り刀が破損することがいかに国を危うくするか。
井伊家は流れる血によって、そのことを証明したのです。
招き猫伝説と直孝
最後に一つこんなエピソードを。
井伊直孝には、招き猫伝説があります。
あるとき、直孝が鷹狩りの際、弘徳院という寺の前を通りかかりました。
すると猫が招くような仕草をしているではありませんか。
これも何かの縁だろう。直孝はそう思い寺に立ち寄ると、突然の雷雨に襲われたのでした。
猫のおかげで雨を避けたとして、直孝はこの寺に寄進し井伊家の菩提寺とし、「豪徳寺」と改められました。
かくして井伊家代々の墓は豪徳寺にあり、これに由来する招き猫が作られました。
彦根のゆるキャラ・ひこにゃんも、この招き猫伝説にちなみます。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
藤野保『徳川家康事典』(→amazon)
歴史群像編集部『戦国時代人物事典』(→amazon)
二木謙一『徳川家康』(→amazon)
藤田達生『戦国日本の軍事革命: 鉄炮が一変させた戦場と統治』(→amazon)
他