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【お田鶴の方】
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悲運の伝説から見えてくるもの
お田鶴の方は、家康が殺したというのは、まったく有り得ない話でもないでしょう。
家康が何らかの過失により彼女を死なせてしまい、弔ったことは考えられます。
あるいは今川から彼女を守りきれず、死んでしまったという解釈もできるのではないでしょうか。
根拠のない創作や伝説でもない。
こんなときこそ大河ドラマの持つ力は非常に強いものとなります。
放送がキッカケで資料が再発見され、史実の解明が一気に進むことがままあるのです。
例えば近年では2013年『八重の桜』における川崎尚之助があげられますね。
従来、妻を置いて【会津戦争】から逃げ出した臆病者とされてきましたが、実際は、妻と別れた後も最期まで会津に尽くした人物だと明らかになりました。
幕末明治と戦国時代では資料の残存状況に差はあれど、そこは期待したい。
ジェンダー観点からの見方も進展しています。
女性が家長となることに注目が集まっているからこそ、2017年『おんな城主 直虎』があったといえます。
黒髪を振り乱し、緋威の鎧を着て、薙刀を持ち討死を遂げる――そんなお田鶴の方の姿は、江戸時代以降の女性像が反映されています。
こうした伝説は、古くとも17世紀以降に作られたとされます。
しかし、そうではない、2023年ならではの見方で彼女の姿を見てみたい。
と、井伊家の話が出てきましたので、最後にお田鶴の方と井伊直平に関連する不穏な伝承にも触れておきましょう。
井伊直平は毒殺していない?
不穏な伝承とは他でもありません。
お田鶴の方が、井伊直平に毒茶を飲ませて殺したというものです。
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直平は、井伊氏の16代当主であり、井伊直虎や井伊直政の曾祖父にあたる、遠江の有力国衆。
いわばお田鶴の方や飯尾連龍とは似通った立場となりますが、彼女が毒殺したという点からして、史実ではない可能性を感じます。
なぜなら毒殺というのは、成功率が高くないのです。
時代劇などでは、毒を飲まされると、黒い血を吐き、急にうぐぐぐぐぐぐと呻いて息絶える描写がお約束ですが、現実問題、そう簡単に死なすような毒はありません。
ミステリ感覚で推理するのが楽しい話とはいえ、史実とみなすことはなかなか難しい状況です。
しかし、こうした伝承がいくつか残されているだけでも、彼女への注目度や能力が高かったことは想像できます。
フィクションならではの活躍を今後も期待したいですね。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
黒田基樹『戦国「おんな家長」の群像』(→amazon)
黒田基樹『家康の正妻 築山殿: 悲劇の生涯をたどる』(→amazon)
他