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【宮本武蔵】
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姫路や尾張にお呼ばれしたかと思ったら
その後は大名の間で名が知れ渡ったものか。
姫路城主・本多忠刻(本多忠勝の孫)の下で町割・作庭を行ったり。
尾張藩の家老に弟子を紹介してやったり。
訪れた先の大名に養子を出仕させたり……ある意味かいがいしく働いております。
顔の広さとフットワークの軽さ、知名度がかなり上がっていたことがうかがえますね。
その後、一度江戸に出てきていたようですが、何をしたのかは具体的にわかっていません。
吉原の遊郭を作った人の記録に「島原の乱に行く前は江戸にいたんだってよ」(意訳)という記録があるだけなので、何か目的があって江戸に来たわけではなかったのかもしれません。
吉原のお偉いさんの一人が武蔵の弟子だったらしいので、それに関連してのことでしょう。
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島原の乱では、養子の出仕先である小笠原忠真の下について、討伐軍に加わりました。
忠真の甥・長次の後見役ということですから、武働きよりも戦略・戦況に関するアドバイザーとしてつけられたものでしょうか。
戦後、「一揆軍の投石で怪我しちゃいました」(意訳)という手紙を有馬家に送っているので、完全に後方にいたわけでもなさそうですが。
細川藩で七人扶持・合力米300石
その後、九州の雄となった細川忠利に招かれ、かなり良い待遇を受けています。
七人扶持・合力米(こうりょくまい)300石というものです。
「◯人扶持」というのは、一日あたりに与えられる米の量を指します。
一人一日5合で換算しますと、武蔵は一日35合=3.5升もらっていたことになります。日払いではないので、実際にはもっとまとまった量でもらうのですけれども。
これだけあれば人を雇うことも可能なので、「◯人扶持」=「◯人の家来を持つ身分」と考えることもあります。
合力米とは、不幸やお祝いなどで臨時に物入りになった際に与えられるボーナスのようなものです。
というわけで、武蔵の場合は「定期収入は概ね七人扶持分のお米で、何かあった時に合力米300石も貰えた」ということになります。
また、この他に屋敷と鷹狩りの許可ももらっています。忠利気前良すぎ。
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父の遺志を反映して、忠利の子・光尚も同じ待遇にしたとか……細川重賢が聞いたら「ソレ、将来のために貯金しといてよ」と言いそうですね。
いや、武家として達人にそれなりの待遇をするのは当たり前でしょうか。
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「地・水・火・風・空」
厚遇を受けたからなのか。
それともそろそろ腰を落ち着けようと思っていたのか。
亡くなるまで武蔵は熊本藩内で過ごしました(享年62)。
絵画に手を出したり、五輪書の執筆を始めたのもこの頃です。

宮本武蔵作『枯木鳴鵙図』
それまで武一辺倒だった人にいきなり絵心が芽生えるとは思えませんし、五輪書の章のタイトルも武蔵の教養の高さがうかがえます。
特に水墨画が得意で海北友松の影響を受けた画風ともされています。
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ご存じの方も多いと思いますが、五輪書は前書きと【地・水・火・風・空】の五つの章で成り立っています。
現代人、特にゲーマーからすると何の違和感もありませんが、武蔵の生きていた時代からすると割と斬新なタイトルです。
というのも「地・水・火・風・空」はインドのヴァーストゥ・シャーストラという学問にある考え方なのです。
よく似たものに中国の五行(木・火・土・金・水)がありますが、よく見ると2つしか共通していません。まあ、土=地ととらえることもできますが、その辺はとりあえず置いておきましょう。
ヴァーストゥ・シャーストラがいつ頃日本に伝わったのかは定かでないのですが(調べが甘いだけだったらスミマセン)、もしも武蔵が本当に「出自が全くわからない一般人」として生まれていたら、どこでそんな知識を得ることができたのでしょう?
そこから考えると、武蔵が自分の出自に関して全く書き残していないことが、とても怪しく思えてきません?
となると、何らかの理由で自分の出自を隠したかったのでは……という可能性も無きにしもあらず。
なんせ近い時代の史料ですら矛盾する点が多々あるという人なので。
今後研究が進むかどうかはわかりませんが、何か新しい史料が見つかったら面白い人の一人でしょうね。
一番ありえそうなのは「実は大名の落胤でした」というパターンですけれども、はてさて。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史群像編集部『日本剣豪100人伝』(→amazon)
宮本武蔵/wikipedia
ヴァーストゥ・シャーストラ/wikipedia
五輪書 宮本武蔵の名言(→link)