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日本の狩猟文化が衰退したのは“税金”のため? 奈良時代の法律で食肉が衰退

天武四年(675年)4月17日は、日本で初めて狩猟&漁獲制限・鳥獣保護が法律によって定められた日です。

年号の通り、このときの天皇は天武天皇です。

信仰心の篤い人ではありましたが、このとき狩猟制限が設けられたのは、宗教的というよりも実利的な理由によるものです。もちろん、現代のような動物愛護という観念でもありません。

では何か?というと

「稲を育てて米をたくさん納めてほしい」

「春から秋は畑仕事に専念してほしい」

「(ピコーン!)そうだ、狩猟を制限すれば、みんな畑仕事に集中するよね!」

という発想によるものでした。なんつーか、単純……。

このとき狩猟が制限されたのが4~9月で、10月~翌年3月までは禁じられていないことからも、この方針の狙いがよくわかりますよね。

農作業の拡大により年貢が増え、上流階級の文化水準がどんどん上がりながら、一般民衆の生活レベルは長い間変わっていなかったということも伝わってきます。

法で禁じなければ、農耕・狩猟・漁獲・採集を全部やって食べている人が多かったということになります。

田畑からの収入とそれにかかる税金は必然的に減っていたことでしょう。

 

「牛・馬・犬・猿・鶏は食べてはならない」

狩猟を禁じられた動物の種類からも、当時の価値観がうかがえます。

「牛・馬・犬・猿・鶏は食べてはならない」ということになっていて、この理由が実にリアルというか実利的というか。

・牛や馬は農業や物の運搬に役立つ!

・犬は番犬に使える!

・猿は人に似ているから!

・鶏は朝鳴いて人間を起こしてくれる!

というように「これこれの理由で役に立つ動物は食べちゃダメ」と決められていたのです。

当時の生活を思えば、どれも納得できてしまう理由ですよね。

逆にいえば、当時の日本でこういった動物の肉食が珍しくなかったということにもなりますが。

この後、仏教が広まるにしたがって、肉食はタブー視されていくわけですが、食べてもいいとされる動物も何種類かいました。

 

田畑を荒らす猪と鹿は食べてもOK

特によく食されたのは猪と鹿です。

現代でもたまにニュースになりますように、この二種は畑や田んぼを荒らしてしまうので、「獲って食べておk」ということになっていました。

狩りのやり方については規制がかけられていますが、食べること自体は禁じられていません。

また、この規制は動物の生息数を適当なレベルで保つことにもなりました。山菜だって、根こそぎ採ったら翌年以降採れなくなってしまいますものね。

明治時代あたりまで、日本で動物の絶滅があまりみられなかったのも、こういった考え方があったからなのかもしれません。

ただ、江戸時代でも、場合によっては牛を食べていたことがわかっています。

「彦根藩では、牛肉の味噌漬けを薬として将軍家に献上していた」

徳川斉昭も好物だった」

「しかし藩主が直弼になってから『牛を殺すな』というお触れが出て、作れなくなったため斉昭は直弼を恨んだ」

そして斉昭vs直弼の対立へ……なんて話があるくらいです。食べ物の恨みコワイ。

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他に、明治時代になって牛鍋がブームになってからも嫌がる人に、「体にいいから」と言って食べさせたらハマってよく食べるようになった……なんて話があります。

「肉食は滋養強壮に良い」という概念は、広い範囲にあったのかもしれませんね。

 

家康だけでなく信長にも愛された鷹狩

日本史の「狩り」といえば、ちょいちょい出てくるのが鷹狩り

武家のやるものというイメージがありますが、実は古代の皇室でも行われていました。

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やはり仏教の浸透によって「遊びで殺生をするのはいかん」ということになり、皇室では廃れたようです。

公家の間では続けられていましたが、やがて武家の時代になると「鷹狩りを定期的にやることは、武術の訓練にもなる」とみなされました。例えば……。
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