永祚二年(990年)――摂政となった藤原道隆は、公卿の反発をものともせず、娘の藤原定子を中宮に立てました。
さらには一条天皇の母である藤原詮子を、職御曹司(しきみぞうし)へと出します。
道隆はぬけぬけと、皇太后は内裏で苦労なさっていたからと労うものの、詮子は冷たい声音でこう吐き捨てる。
「心にもないことを」
かくして中関白家の栄光が確たるものとなります。
道兼の堕落
藤原道長が仕事をしていると、「頭中将」こと藤原公任がやってきます。
公任が「頭中将」と呼ばれたとき『あさきゆめみし』とのギャップが話題となりましたが、町田啓太さんはぴったりなイメージだと思えます。
この公任が困惑しつつ、道長に相談してきます。
※以下は藤原公任の関連記事となります
-

藤原公任はモテモテの貴公子だった?道長のライバルが歩んだ道
続きを見る
藤原道兼が家にやってきて居座っているとか。三日前に腹を空かせて現れ、何か食わせて欲しいと言ってきたとのこと。公任が以前「尽くす」と言っていた言質を取られたようです。
夕餉と酒を出したら酔い潰れ、家から出て行かなくなかったようで、まるで野良犬です。
道兼は前回、嫡妻の藤原繁子から離婚宣言をされていました。
繁子が道兼の屋敷から出て行ったように思えましたが、道兼が追い出されていたのでしょうか。だとすれば婿取り婚の恐ろしさを痛感させられます。
そこで道長が道兼を引き取りに向かいます。
もうここから先は、兼家の堕落を満喫する時間です。
なんせ冠も烏帽子もない露頂(剥き出しの頭頂部)――パンツを脱いだような状態ともされますが、性的に恥ずかしいニュアンスというより、卑しいという意味合いもあるのでしょう。
この道兼が実に面白い。服装がだらけきっているのです。
当時の衣装を分解した状態で見られるというのは貴重な機会でもあります。構造を知っていると映像にも反映できて、「光る君絵」を描く方たちも助かるはず。
堕落し切って酔っ払った兄を迎えにきたという道長。
「帰らぬ」と強がる道兼に、この家の者が困っていると持ち出します。
すかさず「公任に裏切られた」と毒づく兄に対し、こんな姿は見たくないと訴える弟に対し、「腹の中では笑っておろう」とそっけない。
道長は笑う気にもなれないそうですが、わかります。相手に強くきつくあたれるのって、弱っていない時ですしね。
「ふふふ……俺は父上に騙されてずっと己を殺して生きてきた。己の志。己の思い。全て封印してきた。そして父にも妻にも子にも捨てられた。これ以上俺にどうしろなどと説教するな! 俺のことなど忘れろ」
自暴自棄に捨て台詞を吐く兄に対し、道長は、もう父上の操り人形ではないと声をかけます。さらには己の意思で好きに生きろと励ますと、道兼は「摂政の首はいかほどか」とのたまう。
摂政の首が得られるなら、魂だってくれてやるとのこと。
「俺はもう死んでんだ、とっくの昔に死んでんだ、死んだ俺が摂政を殺したとて誰も責められぬ! 摂政の首が取れたら未練なく死ねる。浄土にいけずとも、この世におさらばできる」
嘆く道兼に、道長は、この世で幸せになって欲しいと優しく語りかけます。
「心にもないことを……」
それでも疑心が残る道兼に向かって、道長は励ましの言葉を止めない。まだこれからだ、変われる、変わって生き抜いて欲しい。自分が支える。
この場面は、脚本家の大石静さんが、玉置玲央さんの魅力を全部出し切るという気合を込めて書き、それに演じる側も演じさせる側も全力で応じた感があります。
これほどまでに切なく侘しく、意地悪な堕落があるものでしょうか。
ボロボロに傷ついていてみっともないのに、哀愁と愛嬌があって、道長が救おうとする気持ちもわかります。道兼の切なさもわかります。圧巻というほかありません。
-

藤原道兼は実際どんな人物だった?兼家・道隆・道長に囲まれた七日関白
続きを見る
悲しみの中に喜びが、喜びの中に悲しみがある
そして時は流れ、正暦4年(993年)になりました。
摂政・道隆、道兼は内大臣に就き、道隆の息子である伊周は道長と並ぶ権大納言、公任は参議となりました。
すると藤原実資が道長を呼び止めます。
なんでも今回の【徐目】で道隆昵懇の者が66人も位を上げられたようで、道長も驚いたとか。
依怙贔屓の酷い人事であり、こんな調子では公卿の心が離れ、内裏も世も乱れると実資は懸念しています。
「心配じゃ、心配じゃ、心配じゃ、心配じゃ……」
四回も繰り返しているのは「天譴論」(てんけんろん)を踏まえてもいるのでしょう。
中国由来の思想で、為政者が堕落すると、それを罰するために天意が禍を起こすという考え方です。
-

本当は怖い渋沢栄一 テロに傾倒し 友を見捨て 労働者に厳しく 論語解釈も怪しい
続きを見る
藤原為時邸では、官職をいただけないのも慣れたと為時が笑い飛ばしています。
今年の徐目も駄目。いとは若様こと藤原惟規の大学寮の試験はどうだったかとやきもきしています。
受かれば知らせが来ると鷹揚に構える為時が、狭き門だから……と付け加えており、期待は薄いようですね。
するとその惟規がやってきます。自信に満ちた顔からして、もしかして合格か?
と思ったら本当に合格していました。一同の顔に喜びの色が広がります。
-

藤原惟規(紫式部の弟)は実際どれほど出世できた?本当はモテる男だったのか
続きを見る
かくして擬文章生(ぎもんじょうしょう)になった惟規。
文章生まであと一歩であり、まひろも祝うと、惟規は「姉上が男ならとっくに文章生で官職を得ている」と言います。
すると、涙で前が見えないと感動しながら、“いと”が酒を取りに向かいます。酒などあったのかと為時が驚いていると、この時のために作っていたようです。余った穀物を醸していたのですね。
酒というのは案外簡単に作れます。現代人がそう思えないのは酒造が法律で規制されているからでしょう。
まひろが、ようやくこの家に光が差したと感慨深げにしていると、姉上に言われると気持ち悪いと返す惟規。
そんな弟に対し、まひろが祝いの琵琶を奏でる。
琵琶の音色は悲しい。祝いなのにと惟規が呟くと、まひろの気持ちだから黙って聞けと為時が嗜めます。
このとき、まひろは心でこう考えていました。
不出来だった弟が、この家の望みの綱となった。男であったらなんて、考えても虚しいだけ――。
その思いが琵琶に乗ってしまったのでしょうか。
それにしても、この心の声は実に鋭いですね。
以前も書きましたが、唐代の女性詩人である魚玄機は、科挙合格者の名前を見てこう詠みました。
自ら恨む羅衣の詩句を掩(おお)うを 頭を挙げて空しく榜中(ぼうちゅう・合格者リスト)の名を羨む
どうして私は女というだけで、世に出られないのか――そんな女性文人の嘆きをこの作品ではしっかりと出してきています。
この憂いは、決して過去のものではありません。
◆「このままでは東大は地盤沈下する!」副学長が語る、男だらけの東大を変えるために必要なこと 男性8割、私立中高一貫校出身多数の均質空間で、多様な研究は望めない(→link)
なぜ、男ばかりが高等教育を受けられるの?
今もまひろのように悩む人はいることでしょう。
そして、この手の話題になると「IQ分布図」だの「政治家の割合」だの、データを出して反論してくる人もいたりします。
しかし、現に他国の高等教育機関では男女比が五分五分に近づきつつある。
日本では未だに東大生は男ばかりで、構造的な問題があると見なされている。
今もまひろのように嘆く人がいる――そう突きつけてくる今年の大河ドラマは、かなり画期的なことに挑んでいます。
中宮のつとめは、心を惹きつけること
成長した帝が笛を吹いています。
笛を吹く美男はアジア時代劇の華。
長い指の塩野瑛久さんは、アジア時代劇日本代表枠に入れると思える麗しさがあります。
日本の時代劇は、もっと笛を吹く場面を積極的に入れるべきでは?
笛の音を聞く定子も美しい。これぞまさしく、理想的な一条天皇と定子です。
そんな美しい光景の背後には、生々しい噂があります。摂政・道隆の専横に対して女房たちが忌々しげに悪口を言い、中宮も帝をたぶらかしているようだと言われているのです。
道隆の妻である高階貴子まで陰口を叩かれ、この親にしてこの子ありだと言われています。
-

伊周や定子の母・高階貴子|没落する中関白家でどんな生涯を送ったのか
続きを見る
その貴子は、美しい青磁の香炉を定子に渡しています。
「大事にする」として、受け取る娘の定子に向かい、貴子は告げます。
中宮の務めは皇子を産むこと。とはいえ、帝しか目に入らないようではいけない。後宮の長として全ての心を惹きつけ、中宮として輝き、それにより摂政の政治をも輝かせねばならない。
「父上の政が……」
そう驚く定子。彼女は幼いころから、帝と仲睦まじく過ごすよう育てられてきましたが、それだけは足りぬと言われ、戸惑っているようです。
確かに「この親にしてこの子あり」が通じるのであれば、定子が輝けば道隆も輝きます。
家でまひろが漢籍を学んでいると、あの声がしました。
「まひろさま!」
ききょうです。干し杏をつまみつつ、二人でおしゃべりを楽しんでいます。
ききょうは中宮定子の女房になるようです。なんでも摂政様の北の方こと貴子の推挙で、定子の話し相手になって欲しいのだとか。
お相手できる女房がいないと語るききょうは、どこか得意げです。

アニィたかはし『大河ブギウギ 光る君へ編』(→link)より
漢詩の会や和歌の会で見て、スカウトしたのでしょう。
ききょうは祖父・清原深養父(きよはら の ふかやぶ)も、父・清原元輔も、天才肌の歌人として有名です。
代理の女房として働くことはききょう様の志だとまひろが祝うと、ききょうも「そうなの!」と素直に喜ぶ。
夫も、子も、親もいない彼女は、まひろにしか喜びを告げる相手がいないようで。思い出してくれて嬉しいとまひろも微笑みますが、ききょうには他に友達もいないように見える。
『枕草子』には「友情なんてどうせいずれ終わるさ!」みたいなことも書いてありますが……頭の回転が速すぎて、他の人がすっとろく思えるし、まひろと違ってそれが顔や態度に出るし。
キツくて嫌な奴と思われて友情は成立しにくいのかもしれません。
声を尋ねて闇(あん)に問う 弾ずる者は誰ぞと 琵琶声停(や)めて……
まひろは白居易『琵琶行』を読んでいます。
琵琶にふと目をやり、こう思ってしまうまひろ。
私は一歩も前に進んでいない――。
人生が停滞しているまひろです。
こういう大河ドラマ主人公はいないわけでもありません。
『麒麟がくる』の明智光秀も、不惑すぎて花開いた遅咲きの人生で、前半生は不明点が多いものでした。
そこをどう盛り立てていくのか。まさしく創作の味わいでしょう。
そうだ、私は清少納言!
着飾ったききょうが、貴子の推挙を受けて、定子の前に向かいます。
「中宮様です、面をあげなさい」
そして顔を上げたききょうは、何かに打たれたような顔になります。
きれい……感動のあまり、ボーッとなってしまい、伊周が答えるよう促すと、ようやく「あっ」とつぶやきます。
「清少納言――今よりそなたを清少納言と呼ぼう」
定子がそう言うと、貴子はさすが中宮様と褒めます。
清原元輔の娘で、夫は少納言である。しかし、ききょうは夫とは別れていると言い、それに少納言でもないときっちり説明してしまいます。
実はこれが謎のひとつでして。清少納言の「清」は「清原」からとわかります。しかし「少納言」に該当する人物が彼女の周囲にはいないのです。
それでもこのききょうは「清少納言」という呼び名に打たれ、「素敵な呼び名なのでそれでお願いします」と認めました。
定子の花びらのような唇からこぼれた響きに、心の底から参ってしまったのでしょう。
「ふふ、愉快である。清少納言、末長くよろしく頼む」
「はっ、仰せ畏まりました。この上なき誉れ、一身にお仕え申します!」
平服するききょう改め清少納言のなんという清々しさ。
忠誠を誓う主君から贈られた名前を大事にし、生まれ変わり、何もかも尽くすと決めた喜びが伝わってきますね。
このドラマが『源氏物語』ではなく、紫式部を主人公としたドラマで本当に良かったと思います。おかげで、ライバルとしての清少納言誕生物語も見ることができました。
定子と清少納言の君臣関係。この二人の出会い。日本史でも屈指の美しさがあると思います。
日本で最も仕える主人を魅力的に描いた文学者はまさしく清少納言であり、その誕生の瞬間を見られて感無量です。
二人とも説得力のある演技で、本当に美しい瞬間でした。
-

清少納言は史実でも陽キャだった?結婚歴や枕草子に注目
続きを見る
かくして、定子のいる登華殿は、帝と若い公卿が出入りする華やかな場となってゆきます。
摂政から関白となった道隆は一条天皇が成人したと認め、皇子を儲けるよう促すこととなります。
道長、兄の横暴に悩む
そのころ藤原道長は悩みを抱え、異母兄の藤原道綱を呼び出しました。
「おお、何用か」
相変わらずノーテンキな口調で近づく道綱。これを認めたのは道綱か?と道長が問いただすと、関白の兄が言ったのだからと素通りさせたとか。
なんでも中宮定子サロンの費用を、公で賄うのだそうです。税金で豪華な私邸を建てるようなものですね。
さすがに道綱もやりすぎだと思いながら、兄の言うことには逆らえず、そのまま通したようです。
道長もこれ以上話しても無駄だとわかったのでしょう。兄・道隆のもとへ向かいます。
体がだるいからと参内していない道隆。彼もそろそろ糖尿病にでも罹っているのでしょう。
なんせ当時の貴族は極めて不健康な生活であり、藤原実資のような極度の健康マニアでもなければ、なかなか長生きはできません。
今日は伊周が弓競べがあるとか。
だるそうにそう語る道隆に、道長は手短に要件を伝えます。
税金で中宮定子の予算を賄うのはおかしい。そんなことをすれば政治に関与する連中が皆税金で好き勝手するようになって世が乱れる。
なぜ、そんなに予算が必要なのか?というと、華やかなサロンの形成には女房と、彼女達が着飾る衣装が必要だからです。センスのいい襲を着せて、これみよがしに見せる。
道隆は開き直ったように言います。
「細かいことを申すな。お前は実資か、はははは」
ここで補足でも。
「日記を書け」とやたらと煽られる藤原実資。しかし、道長も、行成も、日記をつけています。
では、あの描写は何なのか?
というと、実資の日記はやたらと細かく、愚痴が多いのです。行成も彼の几帳面さと優しさが伝わってくる。では道長は?
と、これが雑なのです。筆跡からして汚らしい。文字を書き損じた時の消し方が雑。雑なので透けていて、それゆえ解読することができる。
後で書き足そうと思っていただろうに、結局そうしなかったと思われる箇所がある。
文法が崩壊している。他に書くべきことがあったであろう日も、天気のことしか書いていないなどなど……ともかく雑です。
相手が道長であったら、こうツッコむべきだ。
「ちゃんと、この一連の流れを日記に書きなさいよ! まあ無理だと思うけど……」
道長の雑な性格は他にも困った事態を引き起こしていて、一条天皇の辞世の歌が数種類あったりする。
亡くなる直前だからうまく発音できず、聞き間違えたのだろうと言われていますが、日記に書き留めた者の性格まで考えると、行成が正しいのではないかと考える説もあるとか。
-

かな書道が光る『光る君へ』「三跡」行成が生きた時代
続きを見る
そんな道長の性格を踏まえて、ここで人事のことでも。
道長は「中宮大夫として見過ごせない」と兄に迫りました。
この役職は中宮周辺を取り仕切る役目。道隆としては、道長の雑な性格と身内であることを任命の力点としておいて、不正もスンナリ見逃すだろうとたかをくくっていたのでしょう。
弓競べに天意が降臨する
話題をそらしたかったのでしょう。しつこい道長に対し、道隆は弓競べを見ていけと告げます。
藤原伊周が矢を次から次へと命中させており、周囲の者たちに「遠慮することはない」と言っております。見物の女性たちも、さぞやうっとりしていることでしょう。
そして道長がやって来ると、叔父上もやりませぬかと誘う。皆が気を遣って本気を出さないから面白くないんですって。
兄の道隆に促された道長は、そのような気分ではないと答えるのですが、伊周も引かない。
「怖気付かずともよろしいではございませぬか、叔父上」
甥っ子に煽られても、あくまで関白様と話に来たと返す道長。話はもうよいと道隆が打ち切ると、渋々弓を射る道長です。
結果は伊周の圧勝でした。
しかし、道長が帰ろうとしても、伊周が矢が残っているとして引き留める。
「そうだ叔父上、これからは願い事を言うてから矢を射るのはいかがでしょう?」
「面白い、やってみよ」
そう促す道隆ですが……。
伊周は、
「我が家より帝が出る!」
と言いながら、矢を放ちました。
矢は的の中心から外れ、今度は道長にも射るように促す。
「我が家より帝が出る!」
すると今度は、道長の矢が的の真ん中に刺さるではないですか。どーっとざわめきがあがります。
伊周が動揺を抑えながら、次の矢を叫びながら放ちます。
「我、関白となる!」
今度は大きく外れて、的にすら当たりません。道隆の顔から血の気が失せ、動揺を隠しきれなくなっています。
「我、関白と……」
道長が矢を射ようとしたそのとき、道隆が「やめよ!」と止めました。道長は弓を返しつつ、「先程の話は改めて」と言い、去ってゆくのでした。
素晴らしい場面でしたね。
弓を引くキリキリという音。的を見る目。道隆や周囲の人々の焦燥と恐怖。伊周も道長も凛々しく美しい。
そしてセット、音楽、照明まで、「天意」を示すように作り込まれていると思いました。
この弓競べは『大鏡』からの場面ですね。聖徳太子が主人公の漫画『日出処の天子』にも似たようなシーンがありました。
弓の特殊性を思えばわかりやすくなることでしょう。
弓とは人類にとって画期的な発明です。
足の速さでも、力の強さでも、素早さでも、他の野生動物には到底及ばない人類。それが攻守逆転できたのは、遠距離攻撃できる弓が使えたからです。
そのため日本に限らず、多くの文化において神話には弓が登場します。
つまり神との対話という意味も有する弓術は、武芸というより神事という意味合いが大きいものでした。
現代でも厄払いの弓の披露を神社が行うことがありますし、破魔矢もおなじみですね。
弓を射ることで天の声を聞くという意味合いがあればこそ、伊周は道長を誘ったとも思える。道隆も「負けるわけない」という見込みがあったからこそ、促した。
それが思いもよらぬ結果となり、伊周だけでなく、道隆も焦っています。
いたずらに天の声を聞こうとした己の浅はかさを思い、悔しがったことでしょう。
-

なぜ鎌倉武士は弓矢をそこまで重視した?難易度の高い和弓と武士の関係
続きを見る
道長の妻たち
道長は源明子のもとにいました。
明子の兄である源俊賢も宮中に姿を見せ、どうやらうまくいっている様子。
スピリチュアルなところのある明子は弓競べの話に喜んでいます。
しかし、八歳も年下の甥相手に馬鹿なことをしたと、いささか後悔しているような道長。すると明子が、お腹の子が蹴ったと嬉しそうに言います。
男子のような気がすると明子が言うと、どちらでも大事にいたせと返す道長。
するとここへ、土御門から「左大臣が危篤だ」との知らせが届きました。明子も急ぐよう促します。
源倫子と藤原穆子が、源雅信の枕元にいて、婿殿が来たと告げられると、雅信が言葉を絞り出します。
「婿殿、出世もこれまでじゃな……」
権大納言でも素晴らしいと穆子が慰めても、どうやら悔しい様子。もっと「不承知」と言えば良かったと悔やんでいます。
倫子が、私は幸せだ、ご心配なくと告げています。
出世は十分だと言いたいのでしょう。
かくして16年左大臣の座にあった雅信は亡くなりました。
-

娘の倫子を道長に嫁がせた源雅信の生涯|宇多源氏の祖で左大臣 実はやり手だった?
続きを見る
享年74。長生きでした。
石山寺参詣
さわがまひろのもとへ来ています。
藤原惟規が文章生になり、官職を得たら婿入りして欲しいと言いたいものの、あの父と母では無理だろうとぼやいている。
さわはまた家にいるのが嫌になってきました。
父と現在の母の子が大きくなり、彼女が邪魔になってきたとかで、父にまで疎まれている彼女にまひろは同情します。
そんなさわは、気晴らしのために旅に出るから、まひろ様も一緒に来て欲しいとのことです。
行き先は近江の石山寺だとか。あの家から連れ去ってくれる殿御との出会いを祈りたいと明かすと、まひろがそういう寺なのかと驚いています。
まひろは為時に、おずおずと石山寺へ行きたいと告げると、為時はすんなりOKを出しました。
「いいではないか、気晴らしになるなら。何を驚く。そのくらいのかかりならなんとかなろう」
父の快諾を得て、旅に出るまひろ。
旅姿となり、歩いてゆく二人の後を、従者たちもついてきています。
旅の途中で、さわは言います。
夫を持つことよりも、ずっと年老いてもまひろと一緒に仲良くしていたい――。
まひろもそれはよいことだと返します。
殿御とではなく、私たちの末永いご縁を祈りたいと笑い合う二人。石山寺で願おうと応じるのでした。
歴史をたどれば、こういう女性同士のシスターフッドも当然あったはずなのに、なかったことにされがちだと思います。
背景にあるのは「女はドロドロしていなきゃ」という強い偏見ですね。
『光る君へ』の関連記事にしても、やたらと「女同士でドロドロしている」と誘導するものが出てくる。
今放映中の朝の連続テレビ小説『虎に翼』にしても、嫁と姑はドロドロ対立するものだと予測する記事はあります。
こういう偏見に由来する記事が、ますます偏見を強める悪循環に陥っているんですね。
女同士となれば「ドロドロー!」と年がら年中はしゃいでいて、虚しくならないのでしょうか。
このドラマで最もドロドロしているのは、男性同士である藤原兼家とその息子たちでは?
二人の旅は、女性同士で寺に参拝するもので、これも重要です。
外出が制限されていた時代、女同士で出かけるとなれば仏事ならば名目として成立する。
日常から離れて女同士で旅をする、こうした仏事はとても楽しいものであったとか。
日本各地には女性のみのささやかな仏事が伝統として残っているものです。シスターフッドの跡は決して失われてはいません。
藤原寧子は書くことで己の悲しみを救った
寺にたどり着くと、誦経をするまひろとさわ。さわはすぐに飽きてしまい、まひろに嗜められています。
すると二人に対して「しっ」と咎める尼姿の女性がいました。
藤原寧子こと藤原道綱母――『蜻蛉日記』の作者ではありませんか。
まひろは、憧れの寧子と話すことになったのです。
あの道綱様母だと感激し、幼いころから『蜻蛉日記』を読んで胸を高鳴らせていた――まひろがそう告げると、「まぁ、ずいぶんおませな姫様」と面白がっている寧子。
まひろは幼い頃はわからないこともあったと言います。
兼家様が何日かぶりに訪れたのに、なぜ門を開けないのか?
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
和歌も引用し、その意味が今は痛いほどわかると語るまひろ。心と体は裏腹なのだとして表情が重くなる。
さわは、そんな激しい恋をしたことがあるのか……と、まひろをちらっと見ながら、驚いている様子です。
まひろは、道長とのことを思い出します。
たとえ一番と言われようと、妾(しょう)はいやだ。嫡妻になれないならダメだとして拒んだ、あの夜のことが頭をよぎるのです。
しかし同じ思いのはずの寧子は「それでも殿との日々が、私の一生の全てであった」と語りました。
日記を書くことで、己の悲しみを救っていたのだそうです。
日々を書き、公に出すことで、妾の痛みを癒した。しかも兼家は、日記が広まることを望んだと言います。
だからこそ兼家の歌を世に出したのは寧子の自負なんだとか。
ただし、妾であることには変わりはないとも語る寧子。
命を燃やして人を思うことは素晴らしいけれど、高望みせず、「嫡妻にしてくれる心優しい殿御を選ぶ」よう忠告するのでした。
なんとも複雑なものではあります。
まひろが幼いころからあんなドロドロ日記を愛読していたのか。当時はまだそんなに選べる作品がありませんから、ともかく文字であれば読んでしまう少女だったのでしょう。
それにしても兼家は、なぜあの日記が広まることを喜んだのでしょう。
こんな女にモテる俺ってすごい!
といった自慢の類でしょうか。以下の記事にもありますが、あの日記に書かれた兼家はともかく最低なので、
-

愛憎劇が赤裸々に描かれた藤原道綱母『蜻蛉日記』兼家とはどんな関係?
続きを見る
実に奇妙なことにも思えます。度量が広いのか、価値観の違いか……。
すると、寧子の子である藤原道綱がやってきました。
寧子がこの二人にお世話になっていたと紹介され、まひろとさわが挨拶。
まひろはしみじみと、日記に出てきた道綱様にも会えるなんて、来た甲斐あったと喜んでいます。
その夜、まひろは月を見ています。心の中には、寧子の言葉がありました。
書くことで、己の悲しみを救った――。
まひろもいつかそうする日が来るのでしょうか。
石山寺、月、執筆の契機がポイント。
紀行での紹介にもあった通り、石山寺で月を見て、紫式部が『源氏物語』を思いついたという伝承はあります。
そうはいっても、あくまで伝承であり、言い切れません。

月岡芳年『月百姿 石山月』/wikipediaより引用
歴史にはこうした伝承の類が多々あり、ドラマではそれを全く無視するパターンもあります。
たとえば「弁慶の立ち往生」伝説。
義経が自害を果たせるよう、弁慶が全身に矢を浴びながら、立ったまま息絶えるというもので、『鎌倉殿の13人』でこのシーンはありませんでした。
伝説があると踏まえた上で、少しずらして出すパターンは『麒麟がくる』にありました。
織田信長の「敦盛」です。
織田信長が燃え盛る本能寺で舞うシーンは定番ですが、ドラマでの信長は戦うだけで舞ってはいません。
しかし、桶狭間の戦いへ向かう前に舞う場面がある。
そう前倒しにすることで、桶狭間の戦いがいかに信長にとって危ういものであったかがわかる作りともいえました。
本作は後者のパターンなのでしょう。
まひろが石山寺で月を見て執筆するとは考えにくい。もっと最新研究を反映させて執筆に向かわせると思われます。
かといって、石山寺で月を眺めるまひろの姿は入れておきたい。そこで前倒しをして入れたと思えるのです。
しかも藤原寧子(藤原道綱母)を出すことで、『源氏物語』に『蜻蛉日記』が影響を与えたこともしっかりとカバーしてくる。
なんとも秀逸な作りではありませんか。
間違った相手へ忍んでくる道綱
石山寺では『源氏物語』の嫌なシチュエーションを彷彿とさせるシーンもありました。
藤原道綱がそっと忍んできた場面です。
彼が寝所へやってくると、さわは受け入れる体制となりました。家から抜け出したい彼女は、いっそのこと道綱と……という思いは感じます。
そもそもさわは、殿御が見つかるよう、願うために寺に行くと言い、まひろは少し意外そうに、そういう寺かと返していました。
これも深読みかつ、下劣といえばそうですが、旅先で思わぬアバンチュールは往々にしてあります。
光源氏も流刑先で明石の君に出会っています。
しかし……
「あれ? すまぬ、間違っておった、すまぬ」
そう言いだす道綱。まひろと間違ったようです。
さわがそう問い詰めると、苦しい言い訳をします。妻もいて、妾もいるので、そなたを抱くのはよくないと気づいたとか。
「偽りを!」
怒るさわ。弁解しようとして「まひろ」と口にする道綱。謝りながら出ていくしかありません。
それでもまだマシだと思ってしまったのは、『源氏物語』での光源氏との対比です。
光源氏は空蝉を契ろうとして忍び入り、途中で相手が別人の軒端荻と気づいたものの、「ま、いっか」と続行しました。
それでも後朝(きぬぎぬ)の文は送らない。弄んだだけで終わったのです。
道綱は、そうしないだけマシでしょうか。あるいは大河でそんなことはできないという配慮か。
まぁ、それでも道綱は最低だと思えますが、上地雄輔さんのこぼれんばかりの愛嬌がカバーしています。
石山寺詣りを終えて、帰りの道中、一休みするまひろとさわ。
さわはこう言います。
「私には才気もなく、殿御を惹きつけるほどの魅力もなく、家とて居場所がなく……もう死んでしまいたい!」
野村麻純さんの愛くるしさもあって、道綱にあらためて呆れてしまいます。
母の姿を見て、男の不実に苦しむ姿に胸を痛めていたというシーンがありましたが、あれはなんだったのか。日記では悲しんでいるのに。
しかし、そんな嘆きすら吹き飛ばす変異が生じています。
目の前の川には死体が……都では疫病が流行し始めていたのでした。
-

平安時代の民がゴミのようだ「地震 雷 火事 疫病」に誰もが為す術なし
続きを見る
MVP:藤原寧子と高階貴子
今回は書くことの効能と、この時代の女性文人を褒め称える内容でした。
本作における藤原寧子(藤原道綱母)は、もう愛に燃えた時代は終わっていました。
何かといえば道綱、道綱、道綱……そればかりです。
あの日記を記していた頃の憂いを帯びた姿はもうないのか。厚かましいおばちゃんになっちまったな! そう毒づかれそうで、実はそうではなかった。
藤原兼家が死の間際に彼女の歌を詠んだ瞬間、何かが開いたような気がしました。
その正体が今週明かされたのです。
彼女は書くことの効能、その意義をまひろに伝える役割を果たした。藤原道綱母に対する最大の賛歌のように思えました。
まひろと藤原寧子が後輩と先輩の関係だとすれば、その対比が清少納言と高階貴子に思えます。
高階貴子こそ、さして高くない身分でありながら道隆の嫡妻となった、理想的な勝ち組の女性です。
彼女の野望はそこにとどまらず、夫をプロデュースしています。
今でこそギラギラしてきた道隆ですが、かつては貴子に様々なことを任せていた。そんな道隆が野心家になったことで、貴子の野望もますます強まってきたと思える。
定子の背後に立ち、麗しのサロンを形成し、磐石の体制を築き上げようとしているのです。
そんな定子サロンの華として、才女である清少納言を作り上げるという自負を貴子からは感じます。
ただ、このドラマのシビアさは、そんな華やかな定子サロンの裏を暴いたところにあります。
今回のサブタイトルである「おごれる者たち」とは、サロンのために税金を流し込む道隆や、その子である伊周、そして貴子を指しているのでしょう。
『枕草子』で描かれるあの華やかな理想の世界は、実は税金搾取の末にあった――そう思うと、別の見え方がするのですからおそろしい。
紫式部は華やかな行事の際でも、下々の者の労力が気になってしまうタイプです。そんな彼女目線のドラマ作りだとすれば、納得できるものがあります。
こういう構造問題は、大河ドラマだからこそ考えたい。
私は『いだてん』を全く評価しません。
それこそ金の流れが不透明な東京オリンピックを推進する一環として、受信料を用いてあのドラマを作ることは正しかったのかどうか? そういう構造問題を指摘したいのです。
けれどもあのドラマについて投げかけると、返ってくるのは「視聴率は低かったし、世間では好かれていないけど、私は好き。最低だけど最高」といった感情論ばかり。
好き嫌いの話は二の次であり、腐敗の構造をどう思うのか?と問い掛けたいのに、今回の道隆みたいにはぐらかしてばかりだ。
そういう不誠実なことは物事の構造そのものを悪くします。
心配じゃ、心配じゃ、心配じゃ、心配じゃ……そう実資のように言いたい。
何年も前のことを蒸し返すけれども、逃げ回っても、問題は必ず追いかけてきて、逃げきれません。
時に私は天意という素朴で原始的なものを信じたくなります。
私利私欲に走り、好き勝手なことをしていれば、いずれ報いがある。権利の濫用は報いがある。そう信じたくなります。
そういう歯止めがないと、誰も彼もが好き放題をして世の中は悪くなるばかりでしょう。
新しいNHKドラマの時代へ
朝の連続テレビ小説『虎に翼』が話題です。
その主題歌を担当する米津玄師さんのインタビューが秀逸でした。
◆米津玄師「さよーならまたいつか!」インタビュー|“キレ”のエネルギー宿した「虎に翼」主題歌(→link)
どこを切り取っても「それだ!」と膝を打ちたくなるほど、痛快なインタビューと申しましょうか。
ものごとを作る姿勢への疑問点も見えてきました。
ここでも語られていますが、嫌いなものを無理やり無難にほめて、ニコニコするのって、できる人とできない人がいるんですよね。
『光る君へ』にも通じるところがあって、まひろも頑固です。イヤなことをそのまま笑顔で飲み込めない性格だと思います。
女性へエールを送ることへの是非にも触れられています。
神聖視するのも、見下すのも表裏一体だという旨のことが語られていて、私が『どうする家康』で許せない点を思い出しました。
あの作品は、瀬名をマザーセナと呼びたくなるほど神聖視している。悪女扱いをひっくり返すどころか、荒唐無稽で不気味な別バージョンをこしらえたようにしか思えなかった。
女性の尊厳を見つめ直すというのではなく、自分が萌える女性キャラをこねくり回しているようにしか見えなかったのです。
2023年大河ドラマと、下半期朝ドラは、手癖がよく似た作風でした。どういう層を狙ったのか透けて見えるようでした。
昭和の末から令和にかけて、サブカルチャーやネット掲示板、SNSで培ってきた冷笑、真面目な態度を嘲笑うことを身につけてしまう人が一定数います。
善意や相手の感情を嘲笑うことで思考を止めてしまうタイプですね。
歴史好きならとりあえず司馬遼太郎ファンを小馬鹿にするものの、では司馬遼太郎読者世代が持っていた知識の代替は何か?というと、サブカルやネットで仕入れたトリビアだったりすることが往々にしてある。
そりゃあ、司馬遼太郎の位置に網野善彦を集中的にインプットした人なんてそうそういるわけでもありません。
その結果、歴史漫画の画像や大河の字幕付きキャプチャを無断転載し、歴史知識と冷笑をひけらかし、論破したつもりになっている謎の存在がSNSに登場する。
大河ドラマとなると女性主人公、登場人物、脚本家を貶す。
往々にして戦国幕末時代以外の大河は受け付けない。
歴史から少しでもはみ出したと思ってしまうと、ともかく貶す。
来年の大河ドラマ『べらぼう』も今から貶している。
歴史総合でカバーする江戸時代後期こそ、これから役立つことがたくさんあるだろうに、武士の殺し合いがないからどうせつまらない、再来年に期待と言い張っているのです。
しかし、そういうノイジーマイノリティに目配せすると失敗しかないことは、NHKの作り手もさすがに学んだと思いたいところではあります。
💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅
あわせて読みたい関連記事
-

紫式部は道長とどんな関係を築いていた?日記から見る素顔と生涯とは
続きを見る
-

藤原道長は出世の見込み薄い五男|なのになぜ最強の権力者になれたのか
続きを見る
-

藤原定子の生涯と辞世の句|最期まで一条天皇に愛され一族に翻弄され
続きを見る
-

藤原彰子は紫式部や一条天皇と共に父・道長を盤石にした功労者だった?
続きを見る
【参考】
光る君へ/公式サイト















