光る君へ感想あらすじレビュー

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第15回「おごれる者たち」

永祚二年(990年)――摂政となった藤原道隆は、公卿の反発をものともせず、娘の藤原定子中宮に立てました。

さらには一条天皇の母である藤原詮子を、職御曹司(しきみぞうし)へと出します。

道隆はぬけぬけと、皇太后は内裏で苦労なさっていたからと労うものの、詮子は冷たい声音でこう吐き捨てる。

「心にもないことを」

かくして中関白家の栄光が確たるものとなります。

 

道兼の堕落

藤原道長が仕事をしていると、「頭中将」こと藤原公任がやってきます。

公任が「頭中将」と呼ばれたとき『あさきゆめみし』とのギャップが話題となりましたが、町田啓太さんはぴったりなイメージだと思えます。

この公任が困惑しつつ、道長に相談してきます。

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藤原道兼が家にやってきて居座っているとか。三日前に腹を空かせて現れ、何か食わせて欲しいと言ってきたとのこと。公任が以前「尽くす」と言っていた言質を取られたようです。

夕餉と酒を出したら酔い潰れ、家から出て行かなくなかったようで、まるで野良犬です。

道兼は前回、嫡妻の藤原繁子から離婚宣言をされていました。

繁子が道兼の屋敷から出て行ったように思えましたが、道兼が追い出されていたのでしょうか。だとすれば婿取り婚の恐ろしさを痛感させられます。

そこで道長が道兼を引き取りに向かいます。

もうここから先は、兼家の堕落を満喫する時間です。

なんせ冠も烏帽子もない露頂(剥き出しの頭頂部)――パンツを脱いだような状態ともされますが、性的に恥ずかしいニュアンスというより、卑しいという意味合いもあるのでしょう。

この道兼が実に面白い。服装がだらけきっているのです。

当時の衣装を分解した状態で見られるというのは貴重な機会でもあります。構造を知っていると映像にも反映できて、「光る君絵」を描く方たちも助かるはず。

堕落し切って酔っ払った兄を迎えにきたという道長。

「帰らぬ」と強がる道兼に、この家の者が困っていると持ち出します。

すかさず「公任に裏切られた」と毒づく兄に対し、こんな姿は見たくないと訴える弟に対し、「腹の中では笑っておろう」とそっけない。

道長は笑う気にもなれないそうですが、わかります。相手に強くきつくあたれるのって、弱っていない時ですしね。

「ふふふ……俺は父上に騙されてずっと己を殺して生きてきた。己の志。己の思い。全て封印してきた。そして父にも妻にも子にも捨てられた。これ以上俺にどうしろなどと説教するな! 俺のことなど忘れろ」

自暴自棄に捨て台詞を吐く兄に対し、道長は、もう父上の操り人形ではないと声をかけます。さらには己の意思で好きに生きろと励ますと、道兼は「摂政の首はいかほどか」とのたまう。

摂政の首が得られるなら、魂だってくれてやるとのこと。

「俺はもう死んでんだ、とっくの昔に死んでんだ、死んだ俺が摂政を殺したとて誰も責められぬ! 摂政の首が取れたら未練なく死ねる。浄土にいけずとも、この世におさらばできる」

嘆く道兼に、道長は、この世で幸せになって欲しいと優しく語りかけます。

「心にもないことを……」

それでも疑心が残る道兼に向かって、道長は励ましの言葉を止めない。まだこれからだ、変われる、変わって生き抜いて欲しい。自分が支える。

この場面は、脚本家の大石静さんが、玉置玲央さんの魅力を全部出し切るという気合を込めて書き、それに演じる側も演じさせる側も全力で応じた感があります。

これほどまでに切なく侘しく、意地悪な堕落があるものでしょうか。

ボロボロに傷ついていてみっともないのに、哀愁と愛嬌があって、道長が救おうとする気持ちもわかります。道兼の切なさもわかります。圧巻というほかありません。

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悲しみの中に喜びが、喜びの中に悲しみがある

そして時は流れ、正暦4年(993年)になりました。

摂政・道隆、道兼は内大臣に就き、道隆の息子である伊周は道長と並ぶ権大納言、公任は参議となりました。

すると藤原実資が道長を呼び止めます。

なんでも今回の【徐目】で道隆昵懇の者が66人も位を上げられたようで、道長も驚いたとか。

依怙贔屓の酷い人事であり、こんな調子では公卿の心が離れ、内裏も世も乱れると実資は懸念しています。

「心配じゃ、心配じゃ、心配じゃ、心配じゃ……」

四回も繰り返しているのは「天譴論」(てんけんろん)を踏まえてもいるのでしょう。

中国由来の思想で、為政者が堕落すると、それを罰するために天意が禍を起こすという考え方です。

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藤原為時邸では、官職をいただけないのも慣れたと為時が笑い飛ばしています。

今年の徐目も駄目。いとは若様こと藤原惟規大学寮の試験はどうだったかとやきもきしています。

受かれば知らせが来ると鷹揚に構える為時が、狭き門だから……と付け加えており、期待は薄いようですね。

するとその惟規がやってきます。自信に満ちた顔からして、もしかして合格か?

と思ったら本当に合格していました。一同の顔に喜びの色が広がります。

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かくして擬文章生(ぎもんじょうしょう)になった惟規。

文章生まであと一歩であり、まひろも祝うと、惟規は「姉上が男ならとっくに文章生で官職を得ている」と言います。

すると、涙で前が見えないと感動しながら、“いと”が酒を取りに向かいます。酒などあったのかと為時が驚いていると、この時のために作っていたようです。余った穀物を醸していたのですね。

酒というのは案外簡単に作れます。現代人がそう思えないのは酒造が法律で規制されているからでしょう。

まひろが、ようやくこの家に光が差したと感慨深げにしていると、姉上に言われると気持ち悪いと返す惟規。

そんな弟に対し、まひろが祝いの琵琶を奏でる。

琵琶の音色は悲しい。祝いなのにと惟規が呟くと、まひろの気持ちだから黙って聞けと為時が嗜めます。

このとき、まひろは心でこう考えていました。

不出来だった弟が、この家の望みの綱となった。男であったらなんて、考えても虚しいだけ――。

その思いが琵琶に乗ってしまったのでしょうか。

それにしても、この心の声は実に鋭いですね。

以前も書きましたが、唐代の女性詩人である魚玄機は、科挙合格者の名前を見てこう詠みました。

自ら恨む羅衣の詩句を掩(おお)うを 頭を挙げて空しく榜中(ぼうちゅう・合格者リスト)の名を羨む

どうして私は女というだけで、世に出られないのか――そんな女性文人の嘆きをこの作品ではしっかりと出してきています。

この憂いは、決して過去のものではありません。

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なぜ、男ばかりが高等教育を受けられるの?

今もまひろのように悩む人はいることでしょう。

そして、この手の話題になると「IQ分布図」だの「政治家の割合」だの、データを出して反論してくる人もいたりします。

しかし、現に他国の高等教育機関では男女比が五分五分に近づきつつある。

日本では未だに東大生は男ばかりで、構造的な問題があると見なされている。

今もまひろのように嘆く人がいる――そう突きつけてくる今年の大河ドラマは、かなり画期的なことに挑んでいます。

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