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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第15回「おごれる者たち」】
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石山寺参詣
さわがまひろのもとへ来ています。
藤原惟規が文章生になり、官職を得たら婿入りして欲しいと言いたいものの、あの父と母では無理だろうとぼやいている。
さわはまた家にいるのが嫌になってきました。
父と現在の母の子が大きくなり、彼女が邪魔になってきたとかで、父にまで疎まれている彼女にまひろは同情します。
そんなさわは、気晴らしのために旅に出るから、まひろ様も一緒に来て欲しいとのことです。
行き先は近江の石山寺だとか。あの家から連れ去ってくれる殿御との出会いを祈りたいと明かすと、まひろがそういう寺なのかと驚いています。
まひろは為時に、おずおずと石山寺へ行きたいと告げると、為時はすんなりOKを出しました。
「いいではないか、気晴らしになるなら。何を驚く。そのくらいのかかりならなんとかなろう」
父の快諾を得て、旅に出るまひろ。
旅姿となり、歩いてゆく二人の後を、従者たちもついてきています。
旅の途中で、さわは言います。
夫を持つことよりも、ずっと年老いてもまひろと一緒に仲良くしていたい――。
まひろもそれはよいことだと返します。
殿御とではなく、私たちの末永いご縁を祈りたいと笑い合う二人。石山寺で願おうと応じるのでした。
歴史をたどれば、こういう女性同士のシスターフッドも当然あったはずなのに、なかったことにされがちだと思います。
背景にあるのは「女はドロドロしていなきゃ」という強い偏見ですね。
『光る君へ』の関連記事にしても、やたらと「女同士でドロドロしている」と誘導するものが出てくる。
今放映中の朝の連続テレビ小説『虎に翼』にしても、嫁と姑はドロドロ対立するものだと予測する記事はあります。
こういう偏見に由来する記事が、ますます偏見を強める悪循環に陥っているんですね。
女同士となれば「ドロドロー!」と年がら年中はしゃいでいて、虚しくならないのでしょうか。
このドラマで最もドロドロしているのは、男性同士である藤原兼家とその息子たちでは?
二人の旅は、女性同士で寺に参拝するもので、これも重要です。
外出が制限されていた時代、女同士で出かけるとなれば仏事ならば名目として成立する。
日常から離れて女同士で旅をする、こうした仏事はとても楽しいものであったとか。
日本各地には女性のみのささやかな仏事が伝統として残っているものです。シスターフッドの跡は決して失われてはいません。
藤原寧子は書くことで己の悲しみを救った
寺にたどり着くと、誦経をするまひろとさわ。さわはすぐに飽きてしまい、まひろに嗜められています。
すると二人に対して「しっ」と咎める尼姿の女性がいました。
藤原寧子こと藤原道綱母――『蜻蛉日記』の作者ではありませんか。
まひろは、憧れの寧子と話すことになったのです。
あの道綱様母だと感激し、幼いころから『蜻蛉日記』を読んで胸を高鳴らせていた――まひろがそう告げると、「まぁ、ずいぶんおませな姫様」と面白がっている寧子。
まひろは幼い頃はわからないこともあったと言います。
兼家様が何日かぶりに訪れたのに、なぜ門を開けないのか?
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
和歌も引用し、その意味が今は痛いほどわかると語るまひろ。心と体は裏腹なのだとして表情が重くなる。
さわは、そんな激しい恋をしたことがあるのか……と、まひろをちらっと見ながら、驚いている様子です。
まひろは、道長とのことを思い出します。
たとえ一番と言われようと、妾(しょう)はいやだ。嫡妻になれないならダメだとして拒んだ、あの夜のことが頭をよぎるのです。
しかし同じ思いのはずの寧子は「それでも殿との日々が、私の一生の全てであった」と語りました。
日記を書くことで、己の悲しみを救っていたのだそうです。
日々を書き、公に出すことで、妾の痛みを癒した。しかも兼家は、日記が広まることを望んだと言います。
だからこそ兼家の歌を世に出したのは寧子の自負なんだとか。
ただし、妾であることには変わりはないとも語る寧子。
命を燃やして人を思うことは素晴らしいけれど、高望みせず、「嫡妻にしてくれる心優しい殿御を選ぶ」よう忠告するのでした。
なんとも複雑なものではあります。
まひろが幼いころからあんなドロドロ日記を愛読していたのか。当時はまだそんなに選べる作品がありませんから、ともかく文字であれば読んでしまう少女だったのでしょう。
それにしても兼家は、なぜあの日記が広まることを喜んだのでしょう。
こんな女にモテる俺ってすごい!
といった自慢の類でしょうか。以下の記事にもありますが、あの日記に書かれた兼家はともかく最低なので、
藤原道綱母と『蜻蛉日記』が今でも人気あるのは兼家との愛憎劇が赤裸々だから
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実に奇妙なことにも思えます。度量が広いのか、価値観の違いか……。
すると、寧子の子である藤原道綱がやってきました。
寧子がこの二人にお世話になっていたと紹介され、まひろとさわが挨拶。
まひろはしみじみと、日記に出てきた道綱様にも会えるなんて、来た甲斐あったと喜んでいます。
その夜、まひろは月を見ています。心の中には、寧子の言葉がありました。
書くことで、己の悲しみを救った――。
まひろもいつかそうする日が来るのでしょうか。
石山寺、月、執筆の契機がポイント。
紀行での紹介にもあった通り、石山寺で月を見て、紫式部が『源氏物語』を思いついたという伝承はあります。
そうはいっても、あくまで伝承であり、言い切れません。
歴史にはこうした伝承の類が多々あり、ドラマではそれを全く無視するパターンもあります。
たとえば「弁慶の立ち往生」伝説。
義経が自害を果たせるよう、弁慶が全身に矢を浴びながら、立ったまま息絶えるというもので、『鎌倉殿の13人』でこのシーンはありませんでした。
伝説があると踏まえた上で、少しずらして出すパターンは『麒麟がくる』にありました。
織田信長の「敦盛」です。
織田信長が燃え盛る本能寺で舞うシーンは定番ですが、ドラマでの信長は戦うだけで舞ってはいません。
しかし、桶狭間の戦いへ向かう前に舞う場面がある。
そう前倒しにすることで、桶狭間の戦いがいかに信長にとって危ういものであったかがわかる作りともいえました。
本作は後者のパターンなのでしょう。
まひろが石山寺で月を見て執筆するとは考えにくい。もっと最新研究を反映させて執筆に向かわせると思われます。
かといって、石山寺で月を眺めるまひろの姿は入れておきたい。そこで前倒しをして入れたと思えるのです。
しかも藤原寧子(藤原道綱母)を出すことで、『源氏物語』に『蜻蛉日記』が影響を与えたこともしっかりとカバーしてくる。
なんとも秀逸な作りではありませんか。
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