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村上水軍vs村上水軍
戦国時代、瀬戸内海ではいわゆる村上水軍が活躍しました。
村上水軍といっても一つの固まった勢力ではありません。
島ごとに来島、因島、能島の3勢力がひっついたり離れたりしていたのです。
おおざっぱに、来島の水軍は鶴姫たちの河野家に、因島の水軍は山口や九州の大大名の大内家に、のちのザ・村上水軍の「村上武吉」率いる能島の水軍は中国の毛利家につきます。
毛利元就が安芸の小勢力から中国地方8カ国の大大名に!その戦略戦術は神業なり
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勝手知ったる水軍同士の戦いはそう簡単なものではありません。
現代人の私達には想像もつきませんが、当時の技術や船の模型を見る限り、人対人の戦を水上で行わなければならないのは、地上戦にまさる難しい戦だったに違いありません。
入水自殺しての最期という伝説
そして、彼の死に思いを寄せる暇など与えられずに鶴姫は河野氏の部下として優秀な戦績を収めていくのですが、兄をなくし、恋人も失い、終わらない戦いに何度涙を隠したことか。
鶴姫の最期は、戦場で散るのではなく、入水して自殺したという伝説が残っています。
辞世の句がこれまた悲恋を思わせる内容となっています。
「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」
この句の意味は、諸説解釈が有りますが私としてはこう解釈しています。
「わたしの恋は海の中の空っぽの貝殻のよう…。彼の名を思い出すだけで身が引き千切られるような想いなのに」
女だてらに闘う武将として「瀬戸内のジャンヌ・ダルク」と呼ばれるようにはなった彼女ですが、私はそう思っていません。
若干16歳の少女が、戦の愚かさと、家族恋人を失う悲しみをこの世に伝承した一人の恋する女性であったと思うのです。
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