吉川元春

毛利家を支え勇将として名高い吉川元春/wikipediaより引用

毛利家

吉川元春(毛利元就の次男)が熱い~11才で初陣の勇将と奥様に注目

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側室も持たず4男2女の子宝にも恵まれ

いずれにせよ新庄局(しんじょうのつぼね)と呼ばれるようになったこの妻が、本当によくできた奥さんだったのは確かなようです。

夫婦仲も円満で、4男2女の子宝にも恵まれています。

なにより元春が生涯側室を持たなかったのがその証拠でしょう。

いくら正室でも、ふさわしい性格と能力がなければ、側室に取って代わられてしまうことは珍しくありません。

「元春のヨメは男みたいな手紙を書くのう」

なんて元就に苦笑されたこともあるそうなので、大人しいタイプではなかったのでしょう。

そのあたりも元春とは気が合ったのかもしれません。

 

弟の隆景と共に毛利家をもり立てる

さて、これだけズバズバ決断するタイプだと、元就やお兄さんの毛利隆元に反抗しそうなものですが、元春はそうはしませんでした。

毛利隆元
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特に元就や1本目の隆元(このお兄ちゃんは元就より先に死亡)が亡くなってからは、甥っ子で毛利家の当主・毛利輝元(隆元の息子)を支えて守り立てます。

3本目の弟・小早川隆景と一緒に盛りたて、同家を残したのですね。

小早川隆景
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この頃には織田信長の配下だった豊臣秀吉が、中国地方へと侵攻してきており、アチコチで奮戦。

信長の死後は、毛利家ともども秀吉に臣従することになりますが、元春は「オレはあんなサルに仕えたくない!あとは頼んだぞ息子!」と言って隠居してしまいます。

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毛利氏は鎌倉時代の大江氏から枝分かれした由緒ある家でしたので、名家のプライドが許さなかったのでしょう。

そんな元春の最期は、秀吉の九州征伐のとき。

既に隠居していたにも関わらず、秀吉の強い要請と、それを受けた隆景や輝元の説得により出陣しました。

そして出征先の小倉城(現在の北九州市)で息を引き取ります。

このとき既に病気を患っていたそうですが、最期まで戦場に立ちたかったのかもしれません。

強弓・元就から放たれた2本目の矢は最期の最後まで猛きヤジリとして、戦国の世を駆け抜けたのでした。

 

【人物概略:吉川元春】

1530-1586年。

父は毛利元就、母はその正室・妙玖(吉川国経の娘)。

元就の次男として生まれると、若くして戦場を駆け回り、

・吉田郡山城の戦い(1540-1541)

厳島の戦い(1555)

・石見銀山の占領(1556)

・出雲遠征(1562-1566)

などで活躍。

毛利家躍進の大きなキッカケとなった【厳島の戦い】では、陶晴賢の家臣・弘中隆兼を倒す武功も挙げている。

1550年に吉川家の跡を継ぐと、弟・小早川隆景の小早川家と共に「毛利両川」として名を馳せ、強敵・尼子家を降すときにも中心的な役割を担う。

※その後も、山中鹿介らの活動によって復興を願う尼子の残党と戦い続けた

1571年に父・毛利元就が亡くなった後も、引き続き毛利家の合戦を主導。

織田信長に京都を追われてやってきた足利義昭も受け入れると、以降、豊臣秀吉との戦いが続いた。

しかし、1582年に本能寺の変が勃発した後は、備中松山城での和睦を受け入れ、秀吉のことを嫌って、その年に自身は引退。

息子の吉川元長に家督を譲っている。

秀吉には、「かつえ殺し」でお馴染みの鳥取城も落とされ、配下の吉川経家を亡くしており、恨みが募っていたのであろう。

後に秀吉からの強い要請もあって九州征伐に参戦はしたが、豊前小倉の陣中で病没。

享年57。

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長月 七紀・記

【参考】
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
阿部猛/西村圭子『戦国人名事典(新人物往来社)』(→amazon
山本大/小和田哲男『戦国大名系譜人名事典 西国編(新人物往来社)』(→amazon
国史大辞典
吉川元春/wikipedia

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