織田信長の前半生で話題になる、大きなトラブルと言えば弟・織田信勝(織田信行)との対立。
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続いて「大うつけ」と呼ばれる原因となった少年時代の言動でしょう。
つまり、他のことについては記録が乏しい……ということが珍しくありません。
今回お話する【岩倉城の戦い】についても『信長公記』ではたった数行で終わってしまっています。
ですので補足を入れつつ進めていきましょう!
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蟻一匹通さない包囲網
永禄二年(1559年)3月、信長は尾張上四郡の半守護・織田伊勢守家の岩倉城を攻めました。
美濃の斎藤道三が戦死してから、信長と明らかに敵対していた家です。
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【岩倉城の戦い】という通称があるワケじゃないのですが、便宜上、付けさせていただきました。
このころ信長は、少し余裕のある時期です。
弟・信勝の始末がつき、上洛時の振る舞いで斎藤義龍にも精神的ダメージを与えることに成功したため(前31話)、いよいよ尾張統一に向けて本格的にケリをつけることにした……という感じでしょうか。
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まず信長は町を焼き払って城を裸同然にし、四方に柵を張り巡らせて、完全に包囲。
さらに、兵に命じて周辺の巡回もやらせていたらしいので、まさに蟻一匹通さないという状態でした。
その状態で包囲を続けたそうですから、城内の人間としてはたまったものではありません。
しかも信長は四方から火矢や鉄砲を撃たせ、心身ともに攻めかけます。
元々【浮野の戦い】で多くの家臣を失っていた伊勢守家です。
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周辺を焼き払われ、完全に包囲され、兵糧も日々減っていくとなれば、あとは時間の問題でしかありません。
籠城は、後詰め(救出)に来る勢力がないと崩れるのが相場です。
バラバラだった伊勢守家
詳しい日付は不明ながら、2~3ヶ月の後、城方はついに降参しました。
将兵は散り散りに逃げ、岩倉城は信長軍によって破壊されたといいます。
……ところで、お気づきでしょうか。
半守護の本拠地を攻めた割に、中心であるはずの織田伊勢守家の人間が全く出てきませんね。
武士の本分・戦功を挙げるべく活躍した人がいない。
そもそも浮野の戦いの前から、伊勢守家はバラバラでした。
当主だった織田信安が、なぜか長男・織田信賢ではなく、次男・織田信家に家督を継がせたがったからです。
そのため信賢にブチ切れられ、信安は城から閉め出されていました。トーチャンかっこ悪すぎます。
しかし、そのおかげで岩倉城攻めの際に命は助けられました。
しばらくは斎藤氏に身を寄せ、義龍とその子・斎藤龍興に仕えた後、しばらく京都に住んでいたといいます。
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さらに時が経ってから、同族のよしみで信長に許されました。
信安は美濃にいくらかの領地をもらい、晩年は安土・総見寺の住職になっていたとか。
長男・信賢は行方知れず
また、信安にひいきされていた次男・信家は、信長の嫡男・織田信忠の家臣として仕えました。
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誠意を示したのか。
父親よりは若い分見込みがあると思われたのか。
信長から一定以上の信頼を得ていたようです。
前田利家が元服する際、烏帽子親を務めたともされています。
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一番割りを食ったともいえるのが、長男・信賢ですね。
岩倉城の戦いで降伏した後、信長に追放された後の行方がはっきりしていません。
降伏から間もなく自刃した説と、「後に旧臣である山内一豊に招かれ、土佐で200石を与えられた」という説があります。踏んだり蹴ったりとはまさにこのことですね……。
なにはともあれ、こうして足元を固めてきた信長。その名前は、少しずつ別の地域にも聞こえるようになっていました。
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次回と次々回は、信長に興味を持った、とある戦国ビッグネームが少しだけ出てきます。
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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)