元浅井家の重臣・磯野員昌に出奔されたり。
中国地方を攻略中の羽柴秀吉(豊臣秀吉)が三木城の別所長治に裏切られたり。
前回161話では中々思い通りに行かない織田家の様子をご報告しましたが、当の信長本人はさほど慌てた様子ではない……どころか、割と余裕があったようです。
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勇将磯野が織田家を去り 三木城の別所が秀吉を裏切る|信長公記第161話
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というのも『信長公記』では、その直後、相撲大会や鷹狩について記されているのです。
大の相撲好きで知られる信長。
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一時の息抜きとも言えるこの時間には、どんなコトが書かれているのか?
金銀の彩色をした特製の扇
天正六年(1578年)2月29日。
信長は近江の国中から300人の力士を集め、安土山で相撲大会を開きました。
そして優秀だった以下の力士23名に扇を下賜しています。
・東馬二郎
・たいとう
・日野長光
・正権
・妙仁
・円浄寺
・地蔵坊
・力円
・草山
・平蔵
・宗永
・木村伊小介
・周永
・あら鹿
・づこう
・青地孫二郎
・山田与兵衛
・村田吉五
・太田平左衛門
・大塚新八
・麻生三五
・下川弥九郎
・助五郎
元亀元年(1570年)にも常楽寺で相撲大会が行われ、このときは鯰江又一郎と青地与右衛門が勝ち抜き、家臣に召し抱えられています。
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ちょっと息抜き 相撲大会 in 近江|信長公記第65話
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上記の23名の中に「青地孫二郎」という方がおりますが、もしかしたら与右衛門の縁者かもしれませんね。
今回、特に優秀だった日野長光には、骨に金銀の彩色をした特製の扇が与えられたようです。
実質的な優勝者ということでしょうか。
行司は木瀬蔵春庵と木瀬太郎太夫が務め、彼らにも褒美として衣服が下賜されました。
春庵は、同じく常楽寺の相撲大会でも行司を務めていたので、信長のお抱えになっていたようですね。
奥の島山で鷹狩
3月6日には鷹狩のため、琵琶湖畔にある「奥の島山」(滋賀県近江八幡市)に登り、長命寺若林坊を宿所としました。
なぜ「奥の島山」と言うのかと申しますと、当時の長命寺周辺は、独立した島だったのです。
現在のように地続きになったのは昭和時代の干拓によるもので、かつては多くの巡礼者が舟で訪れておりました。
西国三十三所(畿内や周辺エリアにおける観音信仰の霊場)では、同じく琵琶湖にある竹生島の次が長命寺だったのですね。

長命寺/photo by 663highland wikipediaより引用
その長命寺周辺で3日間、鷹狩を楽しんだ信長一行は多くの獲物を得て、8日には安土へ帰ったとあり、なかなか慌ただしい行程です。
現地に着いてすぐに鷹狩を始め、帰るギリギリまで楽しんでいたのかもしれません。
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ゴルフに熱中する社長さんみたいですが、今回は単なる遊びだけでなく実用的な一面もあったかもしれません。
というのも鷹狩は、単に狩猟にとどまらず、領地内の視察や訓練などを兼ねていることもあったのです。
上杉家の動きはどうなってる?
他に関係がありそうなところとしては、上杉謙信の動きです。
信長が鷹狩をしていた頃、謙信は遠征の準備をしていたと考えられています。既に前年末には動員令を発しており、3月15日に出発する予定だったとか。
目的地や相手については不明瞭ですが、春先のことでもあり、再び織田氏と戦うことも考えられたでしょう。
この計画は織田家にとっては幸運なことに、3月13日未明、謙信が急死したため、実現していません。
謙信には実子がおらず、養子が二人いましたが、後継者を明言していませんでした。
そのため、14日には早くも養子だった景勝と景虎の間で動きがあり、そのまま【御館の乱】と呼ばれる内乱に発展して、上杉家は外征どころではなくなります。
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武田信玄の死と同様、信長にとっては大きな朗報でした。
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なお、長命寺のように巡礼者が多い寺院は、他国からの間諜(スパイ)が紛れ込むことも珍しくありません。
信長は鷹狩をしながら、上杉氏などの情報を集め、次の一手をどうするか考えていたかもしれませんね。
おそらくこの頃には、別所長治の離反も報告されていたはずです。
信長は3月23日に上洛しているため、鷹狩が終わってからのおよそ半月は様子見をしていたと考えられます。
上洛後は二条御新造に泊まり、しばらくは京都から織田家の諸将に命令しながら、政務や外交を行いました。
次回はその辺のお話です。
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【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)









