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【信長公記162話】
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上杉家の動きはどうなってる?
他に関係がありそうなところとしては、上杉謙信の動きです。
信長が鷹狩をしていた頃、謙信は遠征の準備をしていたと考えられています。既に前年末には動員令を発しており、3月15日に出発する予定だったとか。
目的地や相手については不明瞭ですが、春先のことでもあり、再び織田氏と戦うことも考えられたでしょう。
この計画は織田家にとっては幸運なことに、3月13日未明、謙信が急死したため、実現していません。
謙信には実子がおらず、養子が二人いましたが、後継者を明言していませんでした。
そのため、14日には早くも養子だった景勝と景虎の間で動きがあり、そのまま【御館の乱】と呼ばれる内乱に発展して、上杉家は外征どころではなくなります。
上杉家が真っ二つに割れた「御館の乱」謙信の死後に景勝と景虎が激突した結果は?
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武田信玄の死と同様、信長にとっては大きな朗報でした。
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なお、長命寺のように巡礼者が多い寺院は、他国からの間諜(スパイ)が紛れ込むことも珍しくありません。
信長は鷹狩をしながら、上杉氏などの情報を集め、次の一手をどうするか考えていたかもしれませんね。
おそらくこの頃には、別所長治の離反も報告されていたはずです。
信長は3月23日に上洛しているため、鷹狩が終わってからのおよそ半月は様子見をしていたと考えられます。
上洛後は二条御新造に泊まり、しばらくは京都から織田家の諸将に命令しながら、政務や外交を行いました。
次回はその辺のお話です。
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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)