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真田信之 享年93
確実な生没年がわかる人の中で御長寿といえばこの人・その弐です。
みんな大好き?真田幸村(信繁)の実兄として知られていますね。

真田信之/wikipediaより引用
若い頃からあまり体が強い方ではなかったらしいのですが、その分気を使っていたのか、93歳まで長生きしました。
まんま「一病息災」といった感じでしょうか。
しかし、関ヶ原後は、実家と妻の主家である徳川家との間に挟まれたり、90歳になった明暦元年(1656年)に隠居できたと思ったらお家騒動が始まったり、最終的に2歳の孫を後見しなければならなくなって亡くなる直前まで働いた。
体調以外の苦労もなかなか多い人でした。
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龍造寺家兼 享年93
龍造寺隆信の曽祖父で、同家の基礎を築いたとされる人物です。
といっても「龍造寺本家の力が弱まったので、分家出身の家兼が実権を握った」という流れでした。
当時の龍造寺氏は少弐氏の家臣として働き、あるとき大内氏との戦で主君への援軍にいかなかったため、少弐家臣の恨みを買ってしまいました。
そして家兼が90歳を超えた頃にその復讐として城から追い出されるのですが、なんとその後奪還に成功しています。元気過ぎます。
追い出されたときに息子や孫をことごとく殺されているので、その仇討ちのために力を振り絞ったのでしょう……辛い……。
奪還の後は出家していたおかげで、生き残った龍造寺隆信を還俗させて家を継がせ、生涯を閉じています。

龍造寺隆信/Wikipediaより引用
他にも毛利家の家臣に90代まで長生きした人が散見されるのですが、食事や運動に何か秘訣があったのか、遺伝的な特徴なのか気になるところです。
ちなみに長命のイメージが強い毛利元就は享年75でした。長生きの部類ではありますが、この記事では若く感じてしまいますね。
以降は、ちょっと別次元な方たちを見てまいりたいと思います。
北条幻庵 享年97?
北条早雲の末子で、北条氏の重臣だった人です。

北条幻庵/wikipediaより引用
彼の場合は生年に諸説あるため、没年・享年もハッキリとはできないのですが、90代で亡くなったとされます。
なんと、北条五代のうち四代もの間に仕えました。
『北条五代記』では天正十七年(1589年)11月に亡くなったとされているため、これが事実であれば小田原征伐の前に亡くなり、一族の滅亡を見ずに済んだことにもなりますね。
他にも説はありますが、天正十七年没のほうが幸せかもしれません。
石田重家 享年97あるいは98
石田三成の長男です。
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普通なら真っ先に処刑される立場だったのですが、関ヶ原後、すぐに京都妙心寺の寿聖院へ入れられ、助命嘆願があったことにより救われました。
その後も生涯僧侶として過ごし、貞享三年(1686年)に亡くなったとされます。
生年はハッキリしていないのが難ですが、逆算すると天正十六年(1588年)前後でしょうか。
秀吉が刀狩りを命じた年です。
重家が亡くなった頃、江戸幕府は五代将軍・徳川綱吉の代になっていて、あの「生類憐みの令」に向かう政策が打ち出され始めた頃でもあります。
本人にどのくらい幼い頃の記憶があったかはわかりませんが、複雑な立場でこれほど長生きするのもそれはそれでしんどそうですね……。
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