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【本多正信】
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敗者に優しく、敗者をつくらず、裏方に徹す
正信は、自身のキャリアの影響からか「敗者」に優しかった。
上杉家の重臣・直江兼続から乞われて、正信の次男・政重を養子にやっている。言わずもがなだが、上杉家は関ヶ原の敗者である。
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徳川家と豊臣家の二大閥の間にいた第三勢力の加賀藩も、豊臣家に見切りをつけて徳川家に近づいてきた。
それを取り持って、直江となっていた政重を本多姓に戻し、加賀藩に仕えさせることに成功している。
こうした裏での駆け引きに長けていたため、正信は「謀臣」などといわれるが、苦杯をなめた人生だけに、敗者をできるだけ作らないことに汗を流したと評価することもできるだろう。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で、豊臣家は滅亡する。
この戦いで豊臣家はもちろん滅んだが、多くの豊臣方の武将はもともと浪人であった。
もしも、この戦いを前に、幕府が上杉や前田を改易に追い込み、大量の浪人を世に放っていたら、彼らが豊臣家についてより大きな犠牲が生まれた「IFシナリオ」も見えてくる。
ドコかでガス抜きをする存在が必要だったのではなかろうか。
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正信は晩年、家康第一の側近となったとされている。
しかし、石高は2万2,000石止まり。
本人が固辞したからともいわれるが、やはり武功面よりも行政面で優れていたから、戦国期においてはさすがの家康も高い石高で報いることはできなかったのだろう。
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家康は1616年になくなると、それを追うように49日後の6月7日に正信もこの世を去った。
享年79。
京都の本願寺に墓がある。
徳川内部の嫉妬からか二代で没落
正信没後、本多氏は長男の本多正純が跡を継いだ。
正純は、父が江戸にいる間も駿府(静岡市)の家康の側近として仕え、家康と父の死後は江戸に移り秀忠に仕えている。
秀忠政権では事実上の筆頭家老。元和五年(1619年)には一気に15万5,000石に加増され、宇都宮城(栃木県宇都宮市)を与えられた。
ところが、である。
そのわずか3年後に改易となり、秋田県の横手に配流され、1638年(寛永十四年)に亡くなった。
徳川家の本多氏は二代で隆盛し、すぐに没落したのである。
しかし、正信の次男・加賀藩本多政重の家は最後まで加賀藩筆頭家老として、役目を全うした。
余談となるが、正信が残したとされる教訓書が『本佐録(ほんさろく)』である。
主君に仕えることの大切さをとく儒教的な内容と、家臣との関係に「情け」を重視することなど、正信らしき配慮から、当人の著とされてきたが、実際の著者は不明だ。
同書にはこんな一節がある。
「百姓は、財の余らぬやうに、不足になきやうに治る事、道也」
「ほどほどがよい」というスーパー平凡人の正信なら言いそうなことだ。
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文・恵美嘉樹
【参考】
国史大辞典
『徳川家康家臣団の事典』(→amazon)
ほか