家康の死因

徳川家康/wikipediaより引用

徳川家

家康の死因は「鯛の天ぷら」ではなく胃がんだった?最期まで色々現役でした

2023/04/17

元和二年(1616年)4月17日は、最後の三英傑・徳川家康が亡くなった日です。

家康の死因というと、一昔前までは「鯛の天ぷらを食いすぎ」という扱いでしたが、最近では違う説の方が有力になってきています。

というのも、家康が鯛の天ぷらを食べたのは、同年1月のこと。

直接の死因というのならば、4月中旬に亡くなるというのは、いくらなんでも遅すぎですよね。

では一体、死因はなんだったのか?

徳川家康/wikipediaより引用

晩年の頃のお話と合わせて振り返ってみましょう。

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド

 


塩分過多になりやすい食事環境だった

今のところ可能性が高そうなのは、胃がん説です。

質素倹約を自ら実践していた家康にしては意外な気もしますが、胃がんリスクの一つに「塩分の高い食事」というものがあります。

かつての日本人の食事は「玄米+漬け物+味噌汁+焼き魚」が基本。

というかこれが全部そろえば贅沢なもので、だいたいは「玄米+漬け物・味噌汁・焼き魚のどれか」という感じでした。

つまり炭水化物(糖質・食物繊維)+塩分なわけです。

食事に占める塩分の割合が高くて当然ですね。

他の戦国武将でも胃がんや食道がん、高血圧で亡くなったと言われている人が何人もいますし、この辺の病気はある意味職業病のようなものだったかもしれません。

特に上杉謙信は塩分過多の可能性が指摘されますね。

庶民は食べ過ぎになるほど食べられなかったでしょう。

※謙信の死因については以下の記事にて考察しております

上杉謙信
厠が誘発した上杉謙信の死|高血圧で冬場のトイレは踏ん張りが命取りになる

続きを見る

 


生涯現役~30才以上離れた側室も

さて、家康が亡くなるもう少し前のことにも着目してみます。

といっても亡くなった歳が歳のため、戻りすぎると大坂の陣やら豊臣家とのアレコレやら、全く楽しくない話になってしまう。

今回はプライベートの方を見ていきましょう。

前にも家康の女性関係の話をしたことがありますが、家康はそっちのほうでも生涯現役でした。

後に尾張家の初代となった徳川義直の生母・お亀の方など、30歳以上も離れた女性を多く側室に迎えています。

徳川義直/wikipediaより引用

と言っても、色ボケしていたわけではなく、自分が死んだ後のことをきっちり考えていたようです。

例えば阿茶の局という側室については、その才女ぶりを惜しんで「ワシが死んだ後も秀忠たちを頼む」と言い残し、すぐに出家することを許しませんでした。

阿茶の局は律儀に従い、徳川秀忠が亡くなるまで江戸城に留まり、和子が入内するときもお供を務めたといいます。

 

身内の秩序を固め、長い平和が続く

また、忠輝や家光の父親嫌いについて対処しきれなかったせいか。

幼い下の息子たちや自分の親族たちに対しては、しっかりと序列を作り、身内からの反乱を防ぎました。

後世から見ると当たり前のことなのですが、他国の歴史と比べると結構凄いかもしれません。

多くの国の戦争は親戚同士の諍いだったり「おまえんちの王家はうちの親戚だから、俺にも継承権あるよね! 文句あるなら戦争な!!」というきっかけで起きますから……。

家康の評価が海外で高いのも、この辺のことが影響しているのでしょう。

ウォリアーズ 歴史を動かした男たち
英国人から見た家康と関ヶ原の戦い!BBC版『ウォリアーズ』は一見の価値あり

続きを見る

他にも若い頃から得意だった水泳を続けていたり、自分で薬を調合したり。

年をとっても頭も体も良く使ったからこそ、17世紀初頭でありながら歴代将軍で2番目の長寿を得られたのではないでしょうか。

キリスト教については禁じましたが、眼鏡や鉛筆といったヨーロッパの文物には興味を示していたそうですしね。

この辺の下準備があったからこそ、江戸時代が260年も続いた――そんな印象を受ける家康の死でした。

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド


あわせて読みたい関連記事

徳川家康の肖像画
徳川家康の生涯|信長と秀吉の下で歩んだ艱難辛苦の75年を史実で振り返る

続きを見る

上杉謙信
厠が誘発した上杉謙信の死|高血圧で冬場のトイレは踏ん張りが命取りになる

続きを見る

徳川秀忠
徳川秀忠の生涯|全部で11人いた家康の息子 なぜ秀忠が二代将軍に選ばれた?

続きを見る

家康の妻と側室
20人以上もいた徳川家康の妻・側室ってどんなメンツだったのか

続きを見る

家光の実母はお江ではなく春日局だった?ミネルヴァ日本評伝選『春日局』が濃厚だ

続きを見る

【参考】
国史大辞典
煎本増夫『徳川家康家臣団の事典』(→amazon
徳川家康/Wikipedia

TOPページへ


 



リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

-徳川家
-

右クリックのご使用はできません
目次