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【家康の死因】
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身内の秩序を固め、長い平和が続く
また、忠輝や家光の父親嫌いについて対処しきれなかったせいか。
幼い下の息子たちや自分の親族たちに対しては、しっかりと序列を作り、身内からの反乱を防ぎました。
後世から見ると当たり前のことなのですが、他国の歴史と比べると結構凄いかもしれません。
多くの国の戦争は親戚同士の諍いだったり「おまえんちの王家はうちの親戚だから、俺にも継承権あるよね! 文句あるなら戦争な!!」というきっかけで起きますから……。
家康の評価が海外で高いのも、この辺のことが影響しているのでしょう。
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他にも若い頃から得意だった水泳を続けていたり、自分で薬を調合したり。
年をとっても頭も体も良く使ったからこそ、17世紀初頭でありながら歴代将軍で2番目の長寿を得られたのではないでしょうか。
キリスト教については禁じましたが、眼鏡や鉛筆といったヨーロッパの文物には興味を示していたそうですしね。
この辺の下準備があったからこそ、江戸時代が260年も続いた――そんな印象を受ける家康の死でした。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
煎本増夫『徳川家康家臣団の事典』(→amazon)
徳川家康/Wikipedia