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【大久保長安】
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大久保長安事件
大久保長安が亡くなり、程なくして起きた【大久保長安事件】とは一体どのようなものだったのか。
不正蓄財。
贈収賄。
度を超えた贅沢。
さらには諸大名と手を組んで企てた陰謀……というような罪状から、大久保一族が断罪されたのです。
長安の子である7名はいずれも切腹を命じられ
嫡男・藤十郎
二男・外記
三男・青山成国
四男・雲十郎
五男・内膳
他2名
大久保家は断絶となってしまいます。
他家に嫁いだ女子を通して女系の血は残りましたが、鉱山開発で急速に栄華を極めた大久保一族は、一瞬にして歴史の舞台から消されてしまいました。
翌慶長19年(1614年)には、不可解な経緯で大久保忠隣も改易に処されています。
理由が不明瞭だったため、当時からこんな噂が流れていました。
「本多正信と正純の父子が仕組んだようだ……」
真偽は不明ながら、その後、本多正純も不可解な経緯で改易され、「政敵を貶めた報いである」と囁かれています。
家康派と秀忠派。両御所と呼ばれた二人のもとにいた譜代同士の争いで、擦り潰されるようにして消えてしまった大久保一族。
彼らが三河からの譜代ならば救済の道もあったのかもしれませんが、猿楽師をルーツとする武田家の出となれば、軽んじられても仕方なかったのかもしれません。
金銀の匂いに惹かれて大久保に近寄ってきた大名たちは、誰一人として彼のことを庇いませんでした。
本多正信~家康・秀忠の側近は謀臣か否か~敗者に優しい平凡武将が徳川を支える
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悪名ばかりが残された大久保長安
非業の断絶を遂げ、出自も明らかではなく、武田から徳川へ主君を変え、そして金銀財宝を思うがままに操っていた――。
そんな状況から「極悪非道であるに違い」ないとされた大久保長安は、以降、まるで妖怪のような扱いを受けてきました。
無類の女好きで、妾だけでも70名から80名いたとか。
女たちを引き連れ大騒ぎしていたとか。
その真偽は不明ながら『徳川実紀』では「様々な陰謀を企んでいた」と記載されています。
金と権力が集中したことは、確かにそうなのでしょう。
そのせいかフィクションにおいても、しばしば色好みの怪人として描かれます。
清廉潔白な人物として扱われることはなく、徳川家康を描いた作品でも、後味の悪さゆえか目立った出番は多くはありません。
しかし、そうした毒々しい評価から離れると、江戸の街、なかでも八王子の整備を成し遂げた偉人として顕彰される。
大久保長安は、もしかしたら江戸時代の開幕らしい人物と言えるかもしれません。
安定しない江戸を整えるフロンティアとしての側面。
将軍側近として権威を振るうも、汚職と結び付けられて失脚する大物政治家としての側面。
そんな二面性がある人物です。
伊奈忠次のように顕彰する動きが途切れたことは痛恨事でした。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
二木謙一『徳川家康』(→amazon)
『徳川家康事典』(→amazon)
藤田達生『戦国日本の軍事革命: 鉄炮が一変させた戦場と統治』(→amazon)
他