平岩親吉

平岩親吉/wikipediaより引用

徳川家

なぜ平岩親吉は信康事件後も家康に重用された?徳川十六神将に数えられる実績とは

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家康九男・義直を名古屋で補佐

天正18年(1590年)には、秀吉が北条へ攻め込んだ、小田原合戦(小田原征伐)にも参戦。

本多忠勝・本多忠政・鳥居元忠・植村泰忠らと共に岩槻城(さいたま市岩槻区)を攻め落としています。

この後、家康は関東に移され、親吉は厩橋城3万3000石の大名格となりました。

関ヶ原の戦い後は甲斐へ転封され、再び平岩親吉の転機となります。

慶長8年(1603年)、家康九男・徳川義直に甲斐を与えられたとき、親吉は義直の附家老となったのです。

徳川義直/wikipediaより引用

もしかすると、家康は最初から親吉を義直の附家老にするつもりで、露払い役として甲斐を与えたのかもしれませんね。

慶長12年閏四月に義直の所領が尾張に変更された際も親吉が随行し、犬山に6万石の加増を受けて12万3000石という大身になっています。

さすが御三家の家老職というべきか。親吉一人でちょっとした大名並みの所領です。家康の信頼と期待がそのまま出た数字なのでしょう。

義直は幼少のため、家康の手元で養育され、慶長15年(1610年)に尾張へ向かいました。

親吉はこの慶長15年から名古屋城の二の丸に移り住み、尾張の国政を担うようになります。

そして翌慶長16年12月30日(1612年2月1日)、名古屋城二の丸御殿で亡くなりました。

跡継ぎがいなかったため、平岩氏の嫡流は断絶することになったのですが……ここで、家康が異を唱えます。

養子として迎えていた家康の息子・松千代も慶長4年(1599年)に世を去っており、親吉は自身の死後、犬山藩の所領は義直に返すつもりだったようです。

しかし家康は親吉の家名を惜しんで、庶子を探し当てたといいます。

結局、その子の母親が親吉との親子関係を否定したため、結果は変わらなかったのですが、『犬山藩史』では、甥の平岩吉範が犬山藩を継ぎ、元和三年(1617年)まで続いたともされています。

平岩氏全体で見ると、一族の中で尾張藩士となった系統がありました。

江戸時代後期に姫路藩に移り、家老職を務めていたといいます。こちらの系統は今も続いているとか。

ちなみに、親吉の死にはちょっと黒い俗説があります。

 


清正に毒を盛っただと!?

平岩親吉が亡くなる9ヶ月ほど前、徳川家康豊臣秀頼の会見がありました。

この席を設けた加藤清正が会見の直後に死亡。

領地である熊本へ戻る船の中で発病し、そのまま回復することなく……だったそうです。

加藤清正/wikipediaより引用

あまりにも突然のことだったため、

「徳川方が秀頼を暗殺するつもりで毒を入れた饅頭を用意しており、清正はそれに気付いて身代わりになったのだ」

という噂が立ちました。

そして、その饅頭を用意したのが家康の意向を受けた親吉だ、という説があります。

毒見をしたのは親吉自身であり、そのため親吉も慶長16年中に亡くなったのだ……と。

事が性質上、この件について真偽を確かめることはほぼ不可能です。

おそらく世間の人々や武士たちが「親吉ならば、家康のためにそういう事もできてしまうに違いない」と信じていたために、こういった説が語られるようになったのでしょう。

俗説の類については、嘘か真かという点以外に、”当時の世間一般における認識”が表れているという点も重要かと思います。

「無二の忠臣」とも「家康のためなら手段を選ばない腹黒」とも取れる親吉。

大河ドラマ『どうする家康』では、ちょっと頼りないようにも見えましたが、徳川を支えた人物として目が離せない方でもあったんですね。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
煎本増夫『徳川家康家臣団の事典』(→amazon
『徳川四天王 江戸幕府の功労者たちはどんな人生を送ったのか?』(→amazon

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