加賀一向一揆

柴田勝家(中央)と蓮如筆の『六字名号(南無阿弥陀佛)』/wikipediaより引用

合戦・軍事

鬼柴田が平定した加賀一向一揆~北陸の戦国騒乱はなぜ100年も続いたか

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
加賀一向一揆
をクリックお願いします。

 

勝家を筆頭に織田軍の主力メンバー出動

時代が少し進み、織田信長が朝倉家を滅ぼすと、加賀平定のため一向一揆と正面から戦うことを決めます。

天正四年(1576年)。

織田家の鬼柴田こと柴田勝家が加賀方面の司令官に任じられ、幕下に配されたのは前田利家佐々成政といった錚々たるメンバー。

柴田勝家
当初は信長と敵対していた柴田勝家 秀吉に敗れるまでの生涯62年まとめ

続きを見る

前田利家
信長に追放されたこともある武闘派・前田利家~槍の又左62年の生涯

続きを見る

佐々成政
信長の側近から秀吉の反逆者へ! 佐々成政の悲運な生涯53年まとめ

続きを見る

ただし、一揆勢の向こう側では軍神・謙信が存命中ですので、勝家たちにとっては

「一向宗だけでなく同時に謙信も相手にするんだぞ」

という意味も持っていました。怖い(´・ω・`)

実際、天正5年(1577年)9月に、織田軍は上杉軍と激突。

手取川の戦い】と呼ばれ、謙信相手にボコスコにやられてしまいます。

手取川の戦い
織田軍と上杉軍が大激突!手取川の戦いで上杉謙信が柴田勝家をフルボッコ

続きを見る

さすがに戦の神には簡単には勝てない――。

そんな絶望感もチラついていたでしょうが、その謙信が翌天正6年(1578年)4月に亡くなってしまい、織田信長の超悪運が発揮されるのでした。

織田信長
織田信長 史実の人物像に迫る!生誕から本能寺まで49年の生涯まとめ年表付

続きを見る

 

平定後の勝家「北陸衆」として馬揃えに参加

恐怖・上杉軍のプレッシャーから解放された柴田勝家たち。

それから約2年後の天正八年(1580年)11月17日に一向一揆を平定します。

信長も嬉しかったことでしょう。

一向一揆平定の二年後に行われた京都御馬揃えでは、【北陸衆】というグループの先頭で勝家を参加させています。

京都御馬揃え
信長主催「京都御馬揃え」のメンツが凄ぇ!織田家の軍事パレードに天皇は?

続きを見る

ちなみに石川県には「道の駅一向一揆の里」という場所があるそうで。

物騒なネーミングですが、したたかな印象も受けますよね。

北陸の方たちの気質はいまいちわからないんですが、なんせ当時、自治の国を作ってしまうのもすごいことですよね。

もしかしたら勝家たちも統治に苦労したのかなぁ……なんて、しみじみ思ったりしてしまいます。

あわせて読みたい関連記事

柴田勝家
当初は信長と敵対していた柴田勝家 秀吉に敗れるまでの生涯62年まとめ

続きを見る

前田利家
信長に追放されたこともある武闘派・前田利家~槍の又左62年の生涯

続きを見る

織田信長
織田信長 史実の人物像に迫る!生誕から本能寺まで49年の生涯まとめ年表付

続きを見る

佐々成政
信長の側近から秀吉の反逆者へ! 佐々成政の悲運な生涯53年まとめ

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon
加賀一向一揆/wikipedia

TOPページへ

 



-合戦・軍事
-