浅井畷の戦い

前田利長(左)と丹羽長重/wikipediaより引用

合戦・軍事

信長家臣の二代目たちが激突~浅井畷の戦いは“北陸の関ヶ原”と呼ばれる激戦に

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
浅井畷の戦い
をクリックお願いします。

 


丹羽長重と前田利常のホッコリする話

この一連の戦いのため、前田家も丹羽家も、関ヶ原本戦には参加できませんでした。

また、利長とは別行動をしていた弟・前田利政は、七尾城(現・石川県七尾市)に篭ったまま動かず。

これまた東軍には参加しておりません。

前田利政/wikipediaより引用

弟の前田利政が東西どちらにもつかなかった、明白な理由は不明。

「利政は西軍派だったが、兄が東軍につこうとしたので動けなかった」

「西軍に妻子を人質に取られていた」

といった説があります。全部かもしれませんね。

結局、関が原本戦がたった一日で決着がつき、西軍がほぼ壊滅したことから、丹羽長重や前田利政は改易の憂き目を見ることになりました。

西軍の処分が決まる前に、利長と長重は本戦の直後である9月18日に和議を結びました。

このとき前田家から丹羽家へ人質に出されたのが、後の加賀藩二代藩主・前田利常。

当時まだ6歳の少年でした。

長重は、幼くして人質となった利常を哀れんだのか、手ずから梨を剥いてやったという逸話があります。

前田利常/wikipediaより引用

利常は利長たちとは異母兄弟であることから、前田家での立場が微妙だったため、人質として出向いた先で思わぬ優しさをかけてもらい、非常に感動したようです。

晩年まで、梨を食べるたびに長重との思い出を話していたのだとか。

おそらく、長重とどんな話をしたのかも語ったのでしょうね。

長重は関ヶ原当時はまだ子供がいなかったので、擬似的に親心を味わっていたのかもしれません。って、美化しすぎですかね……。

 


長重の居城だった小松城をガッチリ改築した利常

丹羽長重と前田利常には、もうひとつ接点になりそうなポイントがあります。

長重は改易された後、慶長八年(1603年)に常陸国古渡(現・茨城県稲敷市)1万石で大名に復帰しました。

さらに徳川秀忠の御伽衆(話し相手・相談役)に選ばれるなど、重職を果たすようになります。

徳川秀忠/wikipediaより引用

一方の利常は、慶長十年(1605年)6月から加賀藩主を務めているので、参勤交代や何かの行事の折に江戸で長重と再会することもあったかもしれません。

また、利常は後に自らの隠居所にするため、かつての長重の居城である小松城を大々的に工事しました。

堅城だったことが一番の理由でしょうけれども、小松城は元和元年(1615年)の【一国一城令】によって廃城になっています。

そんなところで、しかも堅城として名高い城をわざわざ再建するというのは、幕府にケンカを売るも同然の行為です。

 


利常「戦場で鼻毛を切るヤツがおるか!」

また、利常は隠居するとき徳川家光に引き止められたのをガン無視しています。

彼は「戦場で鼻毛を切るヤツがおるか!」とばかりに鼻毛を伸ばし切っていた、最後の戦国大名と呼べるキャラクターであり、ともかく最後の最後まで度胸が良すぎでした。

もしかすると、利常は幼いころの思い出や、長重を偲びたかったのでしょうか。

その後、利常の嫡男・光高が29歳の若さで亡くなり、利常は幼い孫・前田綱紀の後見として藩政に復帰したため、楽隠居ではなかったのですけれども。

実際に戦闘が起きているので穏やかとはいいきれませんが、長重と利常の関係については、割と心が温まる話……かもしれませんね。


あわせて読みたい関連記事

前田利家
豊臣五大老・前田利家 “槍の又左”と呼ばれ加賀百万石の礎を築いた武将の生涯

続きを見る

丹羽長秀
織田家に欠かせない重臣・丹羽長秀の生涯「米五郎左」と呼ばれ安土城も普請

続きを見る

前田利長
信長に気に入られ家康に疑われた前田利長(利家の嫡男)関ヶ原をどう生き残った?

続きを見る

織田信長
尾張の戦国大名・織田信長49年の生涯~数多の難敵と対峙し天下人になるまでの道

続きを見る

徳川家康の生涯
三河の戦国大名・徳川家康の生涯~人質から天下人になるまで苦難の道を辿る

続きを見る

長連龍
信長に仕えて復讐の機会を待ち続けた長連龍「一族殺戮の恨み」を倍返しだ!

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon
戦国人名辞典編集委員会『戦国人名辞典』(→amazon
笠谷和比古『関ヶ原合戦と大坂の陣 (戦争の日本史 17)』(→amazon
浅井畷の戦い/wikipedia
前田利長/wikipedia
前田利常/wikipedia
丹羽長重/wikipedia

TOPページへ


 



-合戦・軍事
-,