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【マンガ戦国ブギウギ121話】
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婿舅
◆文禄の役が始まる前に、朝鮮との交渉を請け負ったのが、対馬の宗氏(宗義智・よしとし)。
秀吉からの強硬的な要求を改変し、穏便にコトを進めようとして失敗、結局、合戦へと発展してしまいました。
これには小西行長も協力しており、互いの努力は水泡に帰するのですが、行長の娘・マリアを妻とし、両者の関係は深まるのでありました。
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秀吉からの圧迫と朝鮮への出兵で、両者の苦悩はハンパじゃなかったでしょうね……。
※宗義智は関ヶ原でも行長と同じく西軍に属しますが、朝鮮との交渉役としての立場もあり、徳川政権下でも所領は安堵されます。何か一つ特技があると強いすね
新兵器
◆亀甲車(きっこうしゃ)とは何ぞや?
国史大辞典によりますと「簡単な木製の四つ車の上に生牛の皮を覆って作り、その覆のなかに軍士が入る構造」とあります。
後に、日本で活躍したという話を聞かないことから、さほどの効果はなかったんでしょうね……。
なお、このとき清正が合戦を強硬したため、明との講和を進めていた小西行長・石田三成との仲違いが決定的となり、後の両者の関係に大きく影響したとされます。
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秀吉が自ら朝鮮入りして、陣頭指揮をとっていればこんな事態にならなかったんでは?
とは思うのですが、このとき家康に止められ、現実にはそうなりませんでした。
家康、やっぱり老獪ですね。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!