豊臣秀吉はナゼ朝鮮へ出兵したのか。
「唐入り」と呼ばれるように、この戦いは本来、唐=明(中国)の征服を目論んだものであり、朝鮮にその案内役とさせようとしたところで、合戦へと発展。
ではなぜ、そもそも明を征服しようとしたのか?
そこで影響したとされるのがポルトガルなどの東アジア進出である。
一説には、ヨーロッパの勢いに伴い、従来、同地域を支配していた明の支配力が弱まり、日本も割って入ろうと秀吉は考えた。
かくして勃発した文禄の役。
日本は総勢16万もの兵力を投じ――ということでマンガ戦国ブギウギ121話スタート!
快進撃
◆前回からのおさらいとなりますが、秀吉軍は第一陣に小西行長・宗義智、第二陣に加藤清正・鍋島直茂、第三陣に黒田長政を擁して派兵を行いました。
まんが戦国ブギウギ120話 往くも地獄 退くも地獄 大陸制圧の妄想始まる
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それが4月上旬のこと。
翌5月になって瞬く間に漢城(ソウル)を落とすと、さらに全域へと全軍を進めます。
宇喜多秀家、福島正則、小早川隆景、毛利輝元、黒田長政、小西行長、加藤清正……と、そうそうたるメンバーが各自戦功を競い合ったのです。
赤い漬物
◆文禄の役で持ち込まれたとされる唐辛子。
それが元々地元にあった白菜漬けに利用されてキムチへ発展した――という説が知られておりますね。
むろん唐辛子は日本でも自生していたわけではなく、ポルトガル経由で持ち込まれたものです。
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