奈良時代の女傑・称徳天皇から、平安時代のスター・桓武天皇へ。
その繋ぎ目に、ソっと出てきた光仁天皇は、歴史の授業でほとんど注目されることなき存在である。
しかし彼が単なるお飾りでないことは、自らの血統(天智系)を継いでいくため、妻の井上内親王を排除したことからも明らかであろう。
長岡京や平安京遷都の前に、人知れず起きていた、静かなる権力闘争とは一体いかなるものだったのか?
日本史ブギウギ、第27話、スタート!
◆藤原蔵下麻呂と書いて「ふじわらのくじらまろ」と読む。
なんだか「蘇我蝦夷 - 馬子 - 入鹿」を彷彿とさせるネーミングですが、この藤原百川さんとは兄弟であり、藤原式家の祖・宇合の息子。
宇合の八男→藤原百川
宇合の九男→藤原蔵下麻呂
「藤原仲麻呂の乱」平定にあたって直接兵を指揮しての活躍を果たすなど武闘派でありました。
が、光仁天皇の元嫁である井上内親王と、その息子・他戸親王(おさべしんのう)が排除されると(光仁天皇呪詛事件)、彼らの信任を得ていた蔵下麻呂も排除され……。兄弟であっても方針を違えれば容赦ナシが藤原家の生き方!?
※光仁天皇呪詛事件について下記のは前回をご参照ください。
まんが日本史ブギウギ26話 地味で大人しく受験に出る項目がない
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◆称徳天皇が道鏡を天皇に引き上げようとした時、大分県の宇佐八幡へ出向いて神託を受けたのが和気清麻呂さん。
当代きってのスピリチュアーに、藤原百川が相談した――という話は演出であり、また、井上内親王らしき呪霊に呪われた――という言い伝えもござーせん。
が、光仁天皇と共に井上内親王&他戸親王を廃して、山部親王(後の桓武天皇)を盛り立てのは百川の功績。
残念ながら山部親王の即位を見ることができぬままこの世を去るのでした。
ちなみに、淳和天皇の母は桃川の娘であり、いわゆる天皇の外祖父というポジション。
後に栄華を誇った藤原道長ばかりが注目されますが、当時からその流れはあったのですね。歴史の流れを感じます。
◆藤原百川に擁立されて皇太子のポジションをゲットしたのが山部王。
後の桓武天皇は、当初、母親の身分が低いために周囲の期待は薄いものでした。
しかし、他戸親王がいなくなったことによって天皇の座へと駆け上り、平安時代の幕開けを迎えるのですから歴史とはわからないもんです。
ちなみに能登内親王とは、光仁天皇の姉です(母は同じく高野新笠)。
◆あれれ?
なぜに突然、早良親王が出てきたのか?
桓武天皇でアカンの?
僧侶の恰好をしているように、この早良親王は光仁天皇の息子であり、また桓武天皇の同母弟でもありました。
彼は結婚をしておらず、よって子供もいないため、皇太子から天皇になっても跡を継ぐ候補はおりません。
よって、桓武天皇の息子・安殿親王を皇太子→天皇にするまでの保険的存在であったという見方もあるのですが、その登用がまた新たなトラブルへと発展してしまうのでした(次週へ)。
※なお、能登内親王が亡くなった年に、息子の山部王へ譲位した光仁天皇は、やはり姉を失った影響が大きかったのでしょうか、同年そのまま崩御されております。
次週へ続く!
【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ】
著者:アニィたかはし
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)