『おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]』/amazonより引用

おんな城主直虎感想あらすじ

『おんな城主 直虎』感想レビュー第35回「蘇えりし者たち」

皆さん、三週に渡って大丈夫ですか。武者震之助です。

政次ロスが話題を呼んだ一方、「小野政次がいなくなったら視聴率落ちるでしょ? どうせ高橋一生めあてでしょ?」なんて調子の記事も多く、少々イラ立ちが……。

中には、視聴率目当てで生き返らせるなんて荒唐無稽な記事もあり、もはやドラマを見ずに原稿を書いているとしか思えません。
あのシチュエーションから実は生きていた――なんて展開になったら平日昼間にテレ東で流れるC級映画より痛いではないですか。

政次は、本懐を遂げたんですよ!

一方でこんなうれしいニュースも。

◆直虎効果は大、奥浜名湖の旅へ 静岡県浜松市(→link

ディープなファンは、ゆかりの地めぐりをしたくなるだけの魅力があるということですね。

本作はむしろ、五年や十年先取りしたドラマだと私は信じています。
視聴率の伸び悩みはむしろ時代を先取りしたからこそ。十年後、二十年後、本作はきっと名作として語り継がれ、高橋一生さんや柳楽優弥さんは大河主演を果たしている可能性も高いと思います。

柴咲コウさんもあの挑むような眼力で、かつての岩下志麻さんが演じていた北条政子あたりの役柄をこなせるはずです。
私は本作にどっぷりとはまっております。最終回まで見届け、ファンで居続けます。
今後もきっと期待を裏切らない。そう信じています!!

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殺戮の舞台・堀川城で龍雲丸は生きていた!

さて今週は、殺戮の舞台となった堀川城(堀川城の戦い)から始まります。そこは泥の中に屍がいくつも転がる地獄絵図でした。

「吾が気賀に城など建てるから……(第26回)」

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あまりの惨状を見て苦しむ井伊直虎。あの希望に満ちた城の様子がこの結末です。
ここまで計算してドラマを組み立ててきたのだとすれば、あまりに惨いことをします。

南渓和尚、傑山宗俊、昊天宗建ら龍潭寺の僧たちは「生きている者はおらぬか!」と叫び、生存者を探し回ります。

「次郎、前後際断(今この時を生きる)ですよ」
そう直虎に声を掛ける昊天。
直虎も声をふり絞り「生きておる者はおらぬか!」と叫びます。

泥に落ちた何かに脚をとられ転ぶ直虎。それはかつて直虎が龍雲丸に、話の流れであげることになっていた水筒です(第16回)。

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その近くに、瀕死の重傷を負った龍雲丸が倒れていたのでした。

 


意識のない龍雲丸に口移しで薬を飲ませる直虎

やっと見つけたかすかな希望を生かすべく、直虎たちは奔走します。

まずは看病のために龍潭寺へ。
苦悶の声をあげ、意識すら戻らない龍雲丸を、直虎は懸命にケアします。
泥に汚れた白い袖は、前回頭巾についていた政次の“血のしずく”とは対称的で、今度は生きるための希望のように見えます。

片口を使っても薬を飲み込めない龍雲丸のため、口移しで飲ませる直虎。
予告編ではドキッとさせられましたが、本編で見ると懸命な雰囲気であって、色っぽさはあまり感じさせません。

南渓は瀬戸方久に問いただしました。
「なぜ気賀があれほどの目に遭わされたのか?」

これに対し苦しげな表情で、酒井忠次が提案した「見せしめ」のためだったと語る方久。

確かに効果は発揮されました。この「撫で斬り」の結果、浜名湖で粘っていた大沢基胤は降伏に至ったのです。

 


簡単に殺される者たちとて一つ一つの死は簡単ではない

撫で斬りとは、敵や逃げ惑う相手を次々に斬り倒していく行為です。

このような戦国時代における「撫で斬り」の効能もきっちりと描くわけですが、本作は「見せしめの意図や効能があるにせよ、だからといって殺された側は納得するのだろうか?」と問いかけているように思えます。

(※気賀・堀川城での撫で斬りは史実であり、戦国未来氏の記事に詳細が・興味深い内容です↓)。

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従来の作品ならば「それも戦国時代だから仕方ない」となりそうなところに、きっちりと「それはそうだろうか? 殺される側はそれで納得するのだろうか?」と問いかける。
それが本作の真摯さでしょう

そしてまた、この場面で徳川家康は納得できていないのです。
発案者の忠次はもちろん、信心深いことでも知られる本多忠勝も、撫で斬りとその成果に納得しているのも関わらず、家康はそうではない。

そして家康は、石川数正経由で松下常慶を呼び出すことにします。

松下常慶とは、山伏の格好をした家康の密使役で、諸国との密かな連絡・橋渡しに重宝している存在ですね。
直虎による井伊家傘下入りの密約のときにも活躍しておりました(結果的に小野政次は近藤康用に裏切られるワケですが……)。

 

「父は殿の謡うような経を聞きたがっていました」

龍雲丸の容態は一進一退です。

直虎まで体調を崩し、フラフラ。そんな直虎を見て昊天が「次郎にできることは私にもできます!」と休ませます。
「いいから休め」ではなく、ちゃんと直虎がする看病をすると言うところが実に賢く、優しい。昊天さんは癒しです。

直虎が休もうとしていると、まだあどけない少年がやって来ます。

鈴木重時の子・重好でした。
重時は徳川に従い今川攻めに向かい、命を落としていたと語ります。

まだ幼い子の口から語らせることで、死の重たさを出します。父が命を落とした場所に、こんな幼い子が向かわざるをえないのです。
前回の重時は、小野政次の辞世を届け、詫びていたわけで。いい人ほど亡くなってしまうのか、と思ってしまいます。

亡父のために経を上げて欲しいという重好の願いを一端は断る直虎ですが、「父は殿の謡うような経を聞きたがっていました」と再度請われ、読経するのでした。

柴咲さんの美しい声が流れます。この美しい経はサントラ盤でも聞けます。

「美しい経でした。父もさぞ喜んでおられましょう」
そう礼を言う重好。その幼さに直虎は哀れを感じています。

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ゴクウ、力也、モグラ以外は、死ぬ場面が描かれていない

直虎の経が龍雲丸を呼び戻したのか、やっと意識を取り戻しました。

「よう戻ってきてくれた……」
喜びの涙を流す直虎。
政次の死で凍り付いた心がやっと蘇えり始めたのです。龍雲丸を癒す過程で、直虎自身も自らを癒していたのでした。

龍雲丸は南渓に仲間の生死を尋ねます。
が、南渓は言葉を濁します。
ゴクウ、力也、モグラ以外は、はっきりと死ぬ場面が描かれておらず、死体も見つかっていません。公式サイトの登場人物欄も、龍雲党はグレーアウトしていません。気になるところです。

龍雲丸は生き延びたのが俺みたいなのでよかったのか、と言います。
そして幼い頃の落城した経験を思い出し「また……かね」とつぶやくのでした。

一方、掛川城では家康の密命を帯びた常慶が、和睦の申し入れをしていました。
今川方は驚いています。

 

南渓が口移しで飲ませた……ってマジか!?

直虎に、薬を差し出される龍雲丸。
渋々それを口に含み、さらにムリに飲み込むと、薬の苦さに「これは人が口にするもんじゃねえでしょう」と思わずぼやいてしまいます。

とはいえこれは元気が出つつある証拠でもあり、方久から「やっと自分で飲めるようになりましたねえ」と言われ、そこで思わず聞き返すのです。

「片口でなけりゃ、俺はどうやって飲んだんですかねぇ?」

そう疑問をつぶやく龍雲丸に、自分ではなく南渓が飲ませたと嘘をつく直虎。

「ええっ、和尚様が!?」
当惑する龍雲丸のもとにタイミング良く南渓がやってきて、しかも和尚はなぜか距離をつめてスキンシップをはかります。

思わずたじろぐ龍雲丸に、噴き出す直虎。
背景でのんびりと過ごす猫の“にゃんけい”もあわせて、のどかな雰囲気が漂っています。

そこに近藤の家臣(主君同様もみあげが濃い)が何かを頼みにやって来て、緊迫した空気が流れるのでした。

 


「近藤の者など一人残らずのたれ死ねばよいのじゃ!」

近藤の使者によりますと、館に負傷者がいるようで、看病して欲しいとのこと。
直虎は昊天だけでいいと主張するのですが、龍雲丸は恩を売るためには直虎が行けばいいと言い張ります。

「近藤の者など一人残らずのたれ死ねばよいのじゃ!」
たまらす言い返す直虎。
龍雲丸は直虎の傷の深さを知ったのか「そりゃそうですね」と納得しかけます。

しかし、次の場面では結局直虎も昊天とともに近藤の館へ。
そこには、脚に深い怪我を負い、脂汗を流し、苦悶の表情を浮かべる近藤康用がいました。
もはや二度と馬にも乗れないほどの重傷です。

近藤は自分の治療に来た者の正体を知り、怯えます。
「何故この者たちが……ヒッ、わしを殺す気か!」

直虎は小刀を握り、鋭い眼光で近藤をにらみ付けます。
ほんの一瞬ですが、このまま直虎が刺し殺すのではないかと思うほどの殺気。
「殺すつもりならば、このまま捨て置きます」

直虎はそう言うと近藤の治療にあたります。
少々手荒にしようが、脅そうが、視聴者はむしろ溜飲が下がる展開でしょうね。傷口に死なない程度に塩をすり込むくらいしてもよいかも。あれだけ脅せたのならば十分かもしれませんが。

 

近藤もまた苦しみ、憎しみは憐憫に化学変化し

直虎は龍雲丸相手に、近藤がむしろ哀れだと語ります。
憎しみは憐憫に変わりました。

近藤の脚負傷は史実よりもあとにずらされているわけですが、秀逸な改変だと思います。
この当惑ぶりからすれば、近藤も良心の呵責に悩まされています。身の丈にあわぬ策を弄して心を痛め、復讐に怯えているのでしょう。視聴者の憎しみを一身に集めた近藤ですが、彼もまた苦しんでいます。

その姿を見せることで、直虎も見ている側も、怒りが憐れみに変わるのです。うまいやり方だと思います。

近藤は、我が子・義信を死に追いやっても動じない武田信玄、策のために同じ主君に仕えた春日信達を殺してもひとっ風呂浴びて平然としていた昨年の真田昌幸とは違います。
策を弄し、そのことで苦しむ近藤は弱い人間でもあるのです。

近藤を憐れんだ直虎は、さらに龍雲丸に語りかけます。
戦に勝つということはどういうことなのか。勝っても次の戦いがある。戦死して声変わりもしていない跡継ぎを戦に出すことになる者もいれば、負傷して馬に乗れなくなる者もいる……と。

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