まんが日本史ブギウギ

まんが日本史ブギウギ第48話 道真は大宰府左遷をどう思っていた?

阿衡事件によって祖父・橘広相を失脚させられてしまった宇多天皇

藤原氏への不信感を募らせ、菅原道真を重用すると、今度はその道真が「遣唐使に任命」されてしまう。

ヘタをすれば海難事故死、あるいは無事に渡航できても、もう二度と日本の政治の中心には立てない――。

そんな苦境の中で道真が放ったのが
【遣唐使廃止】
というスーパーボムだった。

まだ若く、基経のような老獪さは持ち合わせてない、藤原時平

宇多天皇に親政宣言をされ、八方塞がりになりつつある中で、次なる一手は如何に?

マンガ「日本史ブギウギ」、第48話、スタート!

 


寛平御遺誡

◆「寛平御遺誡」と書いて「かんぴょうのごゆいかい」と読みます。

何が書かれていたのか?
と申しますと、天皇の日常生活から政務まで、日々のマニュアルに始まり、臣下を治めるための官位についても触れられております。

平安時代の貴族は、自らの身分を示す「官職」と「位階」(2つを合わせて「官位」)が非常に重要でしたので、天皇にとっても大事な事柄だったんですね。

 


世代間隙

◆宇多天皇の第一皇子である嵯峨天皇。これに取り入ったのが藤原時平でした。

時平は、藤原基経の長男であり、藤原一族の頂点に立つようになります。
時平は左大臣、菅原道真は右大臣となり、醍醐天皇の時代は【親政】、つまり天皇が中心となっての政治が進められます。

これを延喜の治と言います。

しかし、単に平和だけの時代でもなく……。

 


昌泰の変(しょうたいのへん)

◆藤原基経の時代、菅原道真は遣唐使に任命されながら、これを廃止することにより難を逃れました。

そして宇多天皇を補佐して政治に取り組みます。
宇多天皇は、天皇の外戚となって権勢を振るう藤原氏の排除に努めておりました。

が、それで諦める一族ではなく、次第に
【宇多法皇&菅原道真】
vs
【醍醐天皇&藤原時平】
という対立構造になっていきます。

そこで起きたのが【昌泰の変(しょうたいのへん)】でした。

宇多法皇と菅原道真の一味が次代の皇位を狙ってる――として、突如、醍醐天皇が太宰府への左遷を命じたのです。

 

番外編(庭と法皇とワシ)

◆かつて源融は京都六条に河原院という邸宅を構えておりました。

ここが風流の贅を尽くした場所でして。
かつて彼が滞在していた陸奥国「塩釜の浦」の景色を庭に再現していたのです。

わざわざ海水を運ばせて作ったというもので、源融の死後は、宇多法皇に献上されておりました。

あまりに素敵なゆえに未練があったのでしょう。
源融が霊となって現れると、宇多法皇にこっぴどく叱られ、結局、退散してしまったそうです。

ただ、単に庭が目的とも言えない一面がありまして。
もともと嵯峨天皇の皇子である源融は、臣籍降下して源氏性となっていました。一度は、皇族に復籍して皇位を望むも藤原基経によって却下されてしまいます。

ところが、です。
その後、基経は光孝天皇の崩御後、その皇子で臣籍降下していた宇多法皇を皇族に戻し、天皇にしていたのです。
そういった恨みもあったのではないか?というのが今回の騒動でした。

源融さん、光源氏のモデルとも言われているのですが……政局では散々でした(´・ω・`)

※次週へ続く

【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ

著者:アニィたかはし

武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)

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