尊皇攘夷を掲げ、外国人へはテロ行為も辞さない――。
幕末の過激思想の代表と言えば水戸藩と長州藩。
水戸藩は、明治維新後も沈んだまま政治の表舞台から消えていきましたが、その後躍進した長州藩には悲壮感などありません。
ゆえに、シックリ来ないかもしれない。
【下関戦争】や【八月十八日の政変】から続く、失態の数々。
孝明天皇にも嫌われ、京都から追い出され、大ピンチに……ということでマンガ『日本史ブギウギ』第220話スタート!
馬関海峡
◆文久3年(1863年)そして4年(1864年)の二度に渡り、長州藩は欧米諸国の船を攻撃しました。
下関戦争あるいは馬関戦争と呼ばれますね。
愚にもつかないこの暴挙に対し、幕府も朝廷も……。
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カモとトシ
◆長州藩というと尊皇攘夷の代表的存在であるからして、天皇のお気に入り――そんなイメージをお持ちの方も多いですが、当時は真逆。
孝明天皇に呆れ果てられていました。
その理由は外国人に対する無謀なテロ行為というより……。
偽勅
◆孝明天皇が訝しんでいたのが【偽勅】です。
当時、天皇の偽造文書が発せられるというトラブルが頻発していました。
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