栄一はがんばっているのに、大久保利通が邪魔する――維新三傑を否定しながらも始まった今回。
岩倉具視は鹿児島まで出向き、島津久光が来るよう説得しています。
これまたクラシカルな久光バカ殿描写をされていますが、責任は彼だけのせいじゃない。
西郷隆盛や大久保が、久光の意思を無視して下策を連発したものだから、久光は怒っています。
下策とは他でもありません。
武力倒幕です。
彼らが強引にやらかした結果、薩摩の財政は火の車になりました。
久光はそこを危惧していたからこそ反対していたのに、無視されたのですから、そりゃあ当然怒るでしょう。
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なのに、まるで西郷が被害者のような描き方。
『西郷どん』に続き、あまりにお粗末な薩摩藩描写です。
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西郷との再会は
徳川家康が登場し、明治新政府の不甲斐なさを説明します。
新しい世の中なのに威張っている藩主が悪いと責任転嫁です。元々は自分が各藩を制定したのでは……。
「新しい世はなんだ?」
そう問いかけられましても、そんな見通しもないまま強引に倒幕しているのですから泣けてきます。
渋沢栄一が歩きながら算盤を弾いています。
演じる吉沢亮さんご本人が、算盤所作の指導はあまりされていないと明かしておりましたが、動きの拙さが見えてしまう印象。
商業をテーマにしたドラマで、ヒロインがちゃちゃっと暗算する場面があったことを思い出します。このヒロインは計算に強いのだと思えました。
しかし栄一は暗算もしないし、算盤もイマイチ。これで数字に強いと言われても困惑してしまう。
そこへ西郷がやってきました。
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この西洋軍服を「ナポレオンスタイル」と記すネットニュースを見ましたが、幕末から明治初期は各国の様式が入り乱れていて特定が困難です。「西洋式の軍服」あたりが無難でしょう。
ここで栄一は、思ったことを全部西郷に話します。
西郷はそんな栄一に「思ったような徳のある人がいないのか」と語り掛けます。
正直なところ、ゲンナリです……。
栄一にせよ、慶喜にせよ、本作には「手柄は自分のおかげ、失敗は周囲のせい」にする傾向がある。
『麒麟がくる』の場合、光秀を筆頭に自分の落ち度を恥じる人物が多かった。
開き直る方が世間の潮流だとすれば、なんと虚しいことでしょうか。
本作の栄一は、吉沢亮さんの持つせっかくの清らかさを消すようなところがある。
帰宅するとだらしない格好で食事をしながら、千代に愚痴を言っています。偉人を身近に見せるという狙いなのかもしれませんが、行儀悪い印象の方が上回ってしまいませんか?
『おかえりモネ』で、内野聖陽さんが食事を取りながら話す場面がありました。
ごく自然なようで、口の中身が全く見えず、しかも発音がクリアで心底驚かされたもの。役者の力量、経験値を見せられた印象です。
栄一は、お父様の言葉を思い出しています。
「上(かみ)の責任」はどの組織でも同じこと。とは、確かにその通りだと思うのですが、なんだか急に父の話を持ち出されて戸惑います。
フラグなんでしょう。ともすれば政府よりお父様の方が偉いと言いたげで、幼いうたまでいきなりおじいさまを褒め始める。
この時代、しかも渋沢栄一がうたと寝るというのはありなのでしょうか?
本作はどうにも家族の描き方が昭和か平成のように見えてしまいます。
五代とも再会
話題は新貨幣へ。
『あさが来た』では、新貨幣制定で西日本の銀本位制が捨てられ、大阪商人がパニックに陥る様がありました。
本作では完全スルー。まぁ、あちらは上方舞台のドラマでしたから避けて通れませんが、だとすれば本作で五代友厚を大きく取り上げる整合性もズレてしまう気が。
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そしてその五代が渋沢と顔を合わせます。
二人は以前、肥料屋で出会ってました。
こうした出会いを『西郷どん』では【フェイス・トゥ・フェイスシステム】と名付けた気がします。
そんな【FtoF】システムばかりでなく、財政通として会議で顔を合わせてはいけませんか?
確かに『麒麟がくる』でも序盤に偶然の出会いはありましたが、光秀が織田家に出仕するころにはそんなことしなくなっていました。
ただし、五代は、肥料のアドバイスをした栄一の顔など忘れていた様子。栄一もイラッとしております。うーん……。
何度となく『獅子の時代』を持ち出しますが、あの作品は会津側と薩摩側の主役がパリ万博から出会って展開していました。
本作にしても、強引にパリで顔を合わせていた方がよかったのではないでしょうか?
フィクションだからこその表現とはそうした方が効果的な気がします。
偶然の出会いといえば『八重の桜』では山本覚馬と西郷隆盛がありました。
ええじゃないかと浮かれ騒ぐ群衆の中にいる西郷。その姿に不吉な予感を覚えた覚馬が追い縋ろうとするものの、消えるように紛れてしまう――この後の会津の運命を示す秀逸な場面でした。
それと引き換え、あの肥料購入アドバイス場面は「イケメンが強引に偶然出会った」程度でしかなく、作劇そのものがおかしい。
フランスからの借款を台無しにされたのですから、パリで出会って怒っていた方が自然でしょう。
こうなると栄一に幕臣としての矜持はないのか?とも思いたくなります。
幕臣ならば、倒幕をして恩人である慶喜を追いやった薩摩の策謀に怒るのが当然。
実際にそうした幕臣の怒りに満ちた告発は残されています。肥料屋での一件なんて本来どうでもいいはずです。
渋沢は人当たりの良さが売りでは
新政府の一行は、三井が用意した宴会へ。
栄一が廊下でうっかり女中とぶつかりかけます。廊下でアクシデントが好きな本作らしいですね。
そこへ五代がポケットに手を入れたままやってくる。
何を話すのか?と思えば、ヨーロッパ女についてのゲストークでした。
史実の女好き栄一でしたら、そのまま朝まで語れそうな話題です。
しかし真面目ぶって「ぶっちゃけお前のこと嫌いだし!」と言い出すのが、妙に子どもっぽい……。
さらに徳川はパリで薩摩に負けただのなんだの言い出しますが、そもそもは慶喜が鳥羽・伏見の戦いで日和ってしまい、女連れで軍艦逃亡をしたのが大きな敗因でしょう。
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それに史実の渋沢栄一もここまで幼稚ではないはず。
彼は女癖をはじめ、人格的に色々と疑問符が付くところもありますが、人当たりだけは抜群によかったと推察できます。
本作のように、やたらと腕組みして、三白眼になり、すぐ口を尖らせる――そんな幼稚さとは真逆だったはず。
優れた商売人・経済人を描くのであれば、腹黒さを魅力に転化してこそドラマの見せ所だと思うのですが……。
渋沢は五代様と経済トークを繰り広げます。
五代は国を思っているアピール。飲み会でなく、執務室や会議でお願いしたかった。酒に乗じて、長々と自分アピールしているようにしか見えません。
思えば土方もそうでした。出会ったばかりの栄一に悩みだのなんだの語っていた。まるで用意されたRPGのセリフです。
女中くにを突然部屋に連れ込む
栄一は井上に呼ばれて戻ることに。
相変わらずムスッとして口を尖らせていると、あの女中が、栄一をジ~ッと見ています。
理由を聞くと、戊辰戦争で亡くなった夫に栄一が似ているとか。
当時の女中がこのような接客態度を許されたものでしょうか。彼女も即座に「失礼しました」と謝りますが、偶然システムに頼りすぎるからこそ、このような展開になってしまうのでしょう。
いや、答えはその後の密室にありましたね。
このあと女中は、寝室にいる栄一に“穴を縫った足袋”を置いていきます。
勅語に、女中を呼び止める声がして、彼女の腕を引っ張る。
ん?
あの手は誰?
栄一……だよね?
あまりの急展開に意味がわからず……整理してみますと。
戊辰戦争で夫が行方不明の女中とぶつかりかけた
↓
夫とオレを見間違えてまんざらでもないみたい
↓
足袋を縫ってくれたしイケるかも!
こうですか?
いや、なんだこれ!
あまりに突然なシーンに戸惑ったのは私だけでないでしょう。
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