栄一はがんばっているのに、大久保利通が邪魔する――維新三傑を否定しながらも始まった今回。
岩倉具視は鹿児島まで出向き、島津久光が来るよう説得しています。
これまたクラシカルな久光バカ殿描写をされていますが、責任は彼だけのせいじゃない。
西郷隆盛や大久保が、久光の意思を無視して下策を連発したものだから、久光は怒っています。
下策とは他でもありません。
武力倒幕です。
彼らが強引にやらかした結果、薩摩の財政は火の車になりました。
久光はそこを危惧していたからこそ反対していたのに、無視されたのですから、そりゃあ当然怒るでしょう。
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なのに、まるで西郷が被害者のような描き方。
『西郷どん』に続き、あまりにお粗末な薩摩藩描写です。
西郷との再会は
徳川家康が登場し、明治新政府の不甲斐なさを説明します。
新しい世の中なのに威張っている藩主が悪いと責任転嫁です。元々は自分が各藩を制定したのでは……。
「新しい世はなんだ?」
そう問いかけられましても、そんな見通しもないまま強引に倒幕しているのですから泣けてきます。
渋沢栄一が歩きながら算盤を弾いています。
演じる吉沢亮さんご本人が、算盤所作の指導はあまりされていないと明かしておりましたが、動きの拙さが見えてしまう印象。
商業をテーマにしたドラマで、ヒロインがちゃちゃっと暗算する場面があったことを思い出します。このヒロインは計算に強いのだと思えました。
しかし栄一は暗算もしないし、算盤もイマイチ。これで数字に強いと言われても困惑してしまう。
そこへ西郷がやってきました。
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この西洋軍服を「ナポレオンスタイル」と記すネットニュースを見ましたが、幕末から明治初期は各国の様式が入り乱れていて特定が困難です。「西洋式の軍服」あたりが無難でしょう。
ここで栄一は、思ったことを全部西郷に話します。
西郷はそんな栄一に「思ったような徳のある人がいないのか」と語り掛けます。
正直なところ、ゲンナリです……。
栄一にせよ、慶喜にせよ、本作には「手柄は自分のおかげ、失敗は周囲のせい」にする傾向がある。
『麒麟がくる』の場合、光秀を筆頭に自分の落ち度を恥じる人物が多かった。
開き直る方が世間の潮流だとすれば、なんと虚しいことでしょうか。
本作の栄一は、吉沢亮さんの持つせっかくの清らかさを消すようなところがある。
帰宅するとだらしない格好で食事をしながら、千代に愚痴を言っています。偉人を身近に見せるという狙いなのかもしれませんが、行儀悪い印象の方が上回ってしまいませんか?
『おかえりモネ』で、内野聖陽さんが食事を取りながら話す場面がありました。
ごく自然なようで、口の中身が全く見えず、しかも発音がクリアで心底驚かされたもの。役者の力量、経験値を見せられた印象です。
栄一は、お父様の言葉を思い出しています。
「上(かみ)の責任」はどの組織でも同じこと。とは、確かにその通りだと思うのですが、なんだか急に父の話を持ち出されて戸惑います。
フラグなんでしょう。ともすれば政府よりお父様の方が偉いと言いたげで、幼いうたまでいきなりおじいさまを褒め始める。
この時代、しかも渋沢栄一がうたと寝るというのはありなのでしょうか?
本作はどうにも家族の描き方が昭和か平成のように見えてしまいます。
五代とも再会
話題は新貨幣へ。
『あさが来た』では、新貨幣制定で西日本の銀本位制が捨てられ、大阪商人がパニックに陥る様がありました。
本作では完全スルー。まぁ、あちらは上方舞台のドラマでしたから避けて通れませんが、だとすれば本作で五代友厚を大きく取り上げる整合性もズレてしまう気が。
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そしてその五代が渋沢と顔を合わせます。
二人は以前、肥料屋で出会ってました。
こうした出会いを『西郷どん』では【フェイス・トゥ・フェイスシステム】と名付けた気がします。
そんな【FtoF】システムばかりでなく、財政通として会議で顔を合わせてはいけませんか?
確かに『麒麟がくる』でも序盤に偶然の出会いはありましたが、光秀が織田家に出仕するころにはそんなことしなくなっていました。
ただし、五代は、肥料のアドバイスをした栄一の顔など忘れていた様子。栄一もイラッとしております。うーん……。
何度となく『獅子の時代』を持ち出しますが、あの作品は会津側と薩摩側の主役がパリ万博から出会って展開していました。
本作にしても、強引にパリで顔を合わせていた方がよかったのではないでしょうか?
フィクションだからこその表現とはそうした方が効果的な気がします。
偶然の出会いといえば『八重の桜』では山本覚馬と西郷隆盛がありました。
ええじゃないかと浮かれ騒ぐ群衆の中にいる西郷。その姿に不吉な予感を覚えた覚馬が追い縋ろうとするものの、消えるように紛れてしまう――この後の会津の運命を示す秀逸な場面でした。
それと引き換え、あの肥料購入アドバイス場面は「イケメンが強引に偶然出会った」程度でしかなく、作劇そのものがおかしい。
フランスからの借款を台無しにされたのですから、パリで出会って怒っていた方が自然でしょう。
こうなると栄一に幕臣としての矜持はないのか?とも思いたくなります。
幕臣ならば、倒幕をして恩人である慶喜を追いやった薩摩の策謀に怒るのが当然。
実際にそうした幕臣の怒りに満ちた告発は残されています。肥料屋での一件なんて本来どうでもいいはずです。
渋沢は人当たりの良さが売りでは
新政府の一行は、三井が用意した宴会へ。
栄一が廊下でうっかり女中とぶつかりかけます。廊下でアクシデントが好きな本作らしいですね。
そこへ五代がポケットに手を入れたままやってくる。
何を話すのか?と思えば、ヨーロッパ女についてのゲストークでした。
史実の女好き栄一でしたら、そのまま朝まで語れそうな話題です。
しかし真面目ぶって「ぶっちゃけお前のこと嫌いだし!」と言い出すのが、妙に子どもっぽい……。
さらに徳川はパリで薩摩に負けただのなんだの言い出しますが、そもそもは慶喜が鳥羽・伏見の戦いで日和ってしまい、女連れで軍艦逃亡をしたのが大きな敗因でしょう。
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それに史実の渋沢栄一もここまで幼稚ではないはず。
彼は女癖をはじめ、人格的に色々と疑問符が付くところもありますが、人当たりだけは抜群によかったと推察できます。
本作のように、やたらと腕組みして、三白眼になり、すぐ口を尖らせる――そんな幼稚さとは真逆だったはず。
優れた商売人・経済人を描くのであれば、腹黒さを魅力に転化してこそドラマの見せ所だと思うのですが……。
渋沢は五代様と経済トークを繰り広げます。
五代は国を思っているアピール。飲み会でなく、執務室や会議でお願いしたかった。酒に乗じて、長々と自分アピールしているようにしか見えません。
思えば土方もそうでした。出会ったばかりの栄一に悩みだのなんだの語っていた。まるで用意されたRPGのセリフです。
女中くにを突然部屋に連れ込む
栄一は井上に呼ばれて戻ることに。
相変わらずムスッとして口を尖らせていると、あの女中が、栄一をジ~ッと見ています。
理由を聞くと、戊辰戦争で亡くなった夫に栄一が似ているとか。
当時の女中がこのような接客態度を許されたものでしょうか。彼女も即座に「失礼しました」と謝りますが、偶然システムに頼りすぎるからこそ、このような展開になってしまうのでしょう。
いや、答えはその後の密室にありましたね。
このあと女中は、寝室にいる栄一に“穴を縫った足袋”を置いていきます。
勅語に、女中を呼び止める声がして、彼女の腕を引っ張る。
ん?
あの手は誰?
栄一……だよね?
あまりの急展開に意味がわからず……整理してみますと。
戊辰戦争で夫が行方不明の女中とぶつかりかけた
↓
夫とオレを見間違えてまんざらでもないみたい
↓
足袋を縫ってくれたしイケるかも!
こうですか?
いや、なんだこれ!
あまりに突然なシーンに戸惑ったのは私だけでないでしょう。
「こうなったら戦じゃ!」「廃藩置県だ!」
明治4年、なんだか雑な座り方をした政府内部が混乱しています。天気が悪くなったら書類まで吹っ飛ばされそうな、あまりにあけっぴろげなオフィス。障子がないのでしょうか。
ここで政府がまとまらないと、西郷がキレ始めます。
「こうなったら戦じゃ!」
ん? 一瞬、征韓論かと思いましたが、タイミングがおかしいですよね。
皆が戸惑っているのに、根がテロリストである栄一はワクワク。彼の言うみんなの幸せって何でしょうか?
平九郎を戦死させ、戊辰戦争の戦死者遺族を目の当たりにしたばかりで、さらなる流血を期待する姿勢って一体なんなのでしょう。
しかし、これがどうやら井上馨の解釈では「廃藩置県アピールだ!」ということらしい。
いやいや。そんなノリで廃藩置県を決められたら、ブチギレる人が大勢いますよ!
と思ったら、キレたのは栄一でした。本作は、ほんとよくキレる。『麒麟がくる』の信長よりも頻度が高い。
廃藩置県になったら不平士族が反乱を起こして戦争が勃発するというから……と色々すっ飛ばす。
そもそも藩札の問題など、栄一が指摘するまで廃藩置県のリスクに気づかない明治政府も絶望的。
ここまで無能な明治政府の作品は過去に見たことがない気がします。栄一が森羅万象を司る神のように思えてきました。
まぁ、本当に栄一が神眼の持ち主であれば、もっと早く大河で取り上げられていたはずなんですけどね。
井上馨もホイホイ説得されてしまうし、栄一に反対すれば大久保ルートで、賛成すれば井上ルートなのでしょう。
このあと「四日で廃藩置県」とかなんとか言い出しました。
まるで文化祭の準備! と、脳内で突っ込んでいると、井上は叫ぶばかりで何もしません。
嫌すぎる、こんな政府は嫌すぎる。もしかして現代は、明治時代よりもマシでしょ、というアピールでしょうか。
栄一は懲りずに「日本はまた必ず戦になる!」と言い出します。
またもや来ました「事後諸葛亮」。こういう預言者じみたことを言えるのは、書いている側が歴史を知っているからであって、リアリティがまるでない。
兎にも角にも、廃藩置県は四日で完了。
単に叫んでいるだけの人材でも、どうにか導入できてしまうからには、意外と楽だったのでは?なんて印象も抱いてしまいます。
昔、流行ったネットミーム「ジェバンニが一晩でやってくれました」(『DEATH NOTE』)を彷彿とさせます。
そうそう、このネットミームを思い出したのは、奇しくもスタッフと脚本家が通じる『あさが来た』以来です。
『あさが来た』では、開拓使事件の際、無能で無気力であったはずのヒロイン夫が、ジェバンニ並の早業と操作力で証拠を積み上げ、五代様の冤罪を主張していました。
実際は、冤罪でもないし、ましてやノホホンとした夫がそんなことできてたまるかと感じたものです。
このあと、まるでzoomな画面分割廃藩置県。遊びのような演出が大好物な本作らしいシーンですね。
そして「廃藩置県は世界に類のない無血革命として伝えられた」と言いますが。
モロにプロパガンダですし、色々とおかしいので後述します。
栄一と西郷が再び廊下で出会います。
レビューを書いていると「廊下」のシーンの多さに辟易としますが、西郷が栄一を本気で評価しているなら、アポを取ってシッカリ話し合うところでしょう。
こうした状況からも、二人の関係性の希薄さが浮かび上がる。なのになぜか西郷は栄一に重要な話をしたがる。
このあと大蔵大丞に出世した栄一を、またも陰険大久保がイジメに来ます。
なぜ、この大久保はヤンキー漫画の嫌な女のように、腕組みをして斜めから睨むようなポーズなのでしょうか。すぐ後ろにいる取り巻きが栄一を脅すあたりも、ヤンキー漫画っぽい。
ただし、それを言うなら、データも提示せず、論拠薄弱なまま三白眼で怒鳴る栄一もそうです。
にしても……人間同士の距離が異常に近い!
明治時代の人間ってこういう所作をするものか気になってしまいます。
場面変わって、岩倉と面会している大久保。欧米への渡航を提案します。
「ええええ〜異国ぅ?」
素っ頓狂な声を出して、この岩倉もなんだかなぁ……。
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父の死もまた
栄一は千代の待つ家へ。
穴を縫われた靴下(浮気の証拠)を見つけ、暗い顔になる千代。
このあと史実通りに妻妾同居へGO!
とはならず、視聴者の目線を誤魔化すためか、血洗島の父が危篤タイムです。
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雨の中、人力車を走らせる栄一。テレポート状態で血洗島へ帰り、いきなり何をしているのかと家族にキレ出します。
威張り散らす姿が見てて辛いのですが、家族の配慮だと知って謝ります。
何度も申し上げたくなる。人当たりの良い渋沢栄一だからこそ、史実では人脈構築などに役立ったはず。なぜ、こんな怒りっぽいのでしょう。
家の奥には、危篤のとっさまが寝ていました。
本作は『麒麟がくる』と異なり、医療考証をしていません。
これだと死因が全く推察すらできませんし、老けメイクも甘いし、演技も割と元気。滑舌も良いので「まだいけるんちゃう?」と思ってしまいます。
そう言えば平岡円四郎が両側から袈裟がけで斬られても、数歩ほど歩き、ハッキリした滑舌で感動的なセリフを言えていましたね。平九郎に至っては……。
死のリアリティを薄くしてでも、わかりやすさを重視したということでしょうか。
しかも長い。
土方退場でもう【ロス戦術】(重要人物が死ぬんでロスロス連呼される)は使えないかと思っていましたが、父でも同様の視聴率狙いをやりましたね。
ロスできるなら親でも使え――だとすれば清々しいほどの開き直りです。
このあと葬儀の様子が描かれます。
父の長いセリフを描くぐらいなら、葬儀の準備なんかも見てみたかった。
血洗島近辺ではどんな風習だったのか。冠婚葬祭をきっちり描くことには意義があります。しかし本作にはそういう場面がありません。
それにしても栄一は、どこがよい息子なのでしょうか。
明治時代、かつ政府の有力者ならいくらでも事前に名医を呼べたはず。
それでも、もう死を避けられぬとわかったら、家を任せるように言い、葬儀の準備を万端にすることが、財力と責任のある親孝行の示し方です。
葬式の準備をパリっとこなすマネジメントスキルが見たかったのに、嘆き悲しんでいるばかりでは、まるで高校生ではありませんか。
死後に帳簿をめくって回想シーンを流すぐらいなら、他にできることはあったはずです。
ただ……既視感はあります。
本作とスタッフが重なる『あさが来た』の葬儀も、時代考証がおかしいと思える点が多くありました。おそらく最初から興味がないのでしょう。
ところで引っ張るだけ引っ張って、女中のくにはどうしましたか?
総評
本作の作り手は、歴史や昔の風習に全く興味がない――そこがわかりすぎる悲しい回でした。
決定的に出ていたのが、くにとの場面です。
大河でここまで酷い恋愛描写もないでしょう。
そもそもそこに恋はあったのか?
同情して、チョロそうな女中を、いきなり部屋に連れ込む、ゲスな性犯罪にしか見えません。
大河って主人公を持ち上げるものだと思っていたのですが、あの描写は谷底へ蹴り落とすようで、困惑させられました。
もう、これは渋沢栄一の名誉毀損ものでは?
渋沢栄一の女遊びが史実よりも汚くなった
渋沢栄一の女遊びは酷い――そう散々言われてきたものの、ロンダリングされてきました。それもこれまでだった模様。
栄一の女遊びは確かにひどいのですが、ある意味「綺麗」ではありました。
・手出しするのは基本的に玄人。金銭を支払って契約した上でのことと推察できる
・既婚者や少女まで強引に手出しした伊藤博文と比較すると「綺麗」ではある
・栄一は美形好み。まず見た目が美人でなければ手出ししない。これまた見境がない伊藤よりは「綺麗」
・栄一は女についても商売人。トロフィーとして自慢できるくらいハイスペックでなければ手出ししない!
現代人からすればゲス極なのは事実なんですけどね。
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それでも明治という時代背景を考えれば、ドラマと比べて綺麗ではあった。
一夫多妻制がなくなった現代人からすれば、妻ひとすじか、そうでないかのゼロかイチしかありませんが、当時の色の道にもルールというものはありまして。
同じ遊ぶにせよ、そこにはグラデーションがある。
千代を裏切ったことは前提としてあります。それ以外に、本作の栄一はどこが汚らしくされていたたか。見てゆきましょう。
・くにはあくまで給仕をする女中。そういう裏オプションがない女に手をつけるのはルール違反でひどい
・相手の弱みにつけこんでいるように思える。しかも栄一が敬愛している徳川慶喜の責任放棄が一因である戊辰戦争のせいで、くには困窮しているというのに……
・腕を引っ張っただけで、“関係”を表現することは不適切。あの描き方では同意があったのかどうか不明
・お互いがどこに惚れたのか全くわからない
昨年の『麒麟がくる』の松永久秀は、美意識の高い、粋な色を楽しんでいると伝わってきたものです。
久秀は妻が亡くなったばかりだというのに、伊呂波太夫を側室にしようとしていました。
その場面と比較してみますと。
・伊呂波太夫は芸人ではあるが、当時の女芸人が色を売ることは公然の秘密。そんな彼女ならば側室とする契約が成立すれば一切問題なし
・伊呂波太夫は自立した女性。断ってもペナルティはなく、自活してゆける。久秀も、相手の弱みにつけ込んではいない
・久秀はちゃんと相手の意思を確認している。断られたら引き下がっていた
・久秀は伊呂波太夫の美貌のみならず、美意識や価値観にも共鳴しているとわかる。伊呂波太夫は魅力的だ!
今回の栄一は、弱みにつけ込んでうっかり手をつけたようにしか見えません。
これは女性像の貧困さにも原因があるかとは思います。
そもそも千代からして、史実の方が個性がある。あの気の強さやプライドの高さ、生真面目さがあればよかったのに。いつみても生気のない顔をした人形みたいでなんとも。
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「千代は真面目で堅苦しいけど、もっとフワッとした女の子もいいよな〜」
そう思っている栄一の前に、ふんわりとした個性を持つ芸妓くにが現れた……こういう描き方ではいけませんか?
来年の『鎌倉殿の13人』における亀の前への期待が高まるばかりです。
久光には久光のの言い分がありもす
また島津久光がバカ殿扱いされてますよ……。
明治維新のあと、島津久光は自分が将軍になるつもりで、そうならないから不満を漏らし、駄々をこねたということは言われています。
今時そういう嘘を準拠にしてはならないでしょう。本作は流石に言ってはいませんが、それでも久光がバカ扱いであることは変わらない。
確かに久光はやけっぱちになって花火をぶちあげたり、いろいろ西郷隆盛に嫌がらせを繰り返しました。
その理由は何か?
これは久光の言い分もわかるのです。
・主君筋の言い分を無視した
→武力討幕は薩摩藩ですら反対していたものを、「戦の鬼」(『西郷どん』より)になった西郷や大久保が押し切ってやってのけたもの。
おかげで西郷の弟・吉二郎ら人命の損失はでるわ。それ以上に経済的損失も出るわ。
そんなことを勝手にされて納得できますか?
・しかもそのことを開き直っている!
→それでも真摯に謝罪すればよいものを、適当に誤魔化される。久光の苛立ちは西郷にぶつけられ、精神状態が悪化します。
・攘夷はどうした?
→久光は明治になってからも和服と髷を守り、古典に親しんでいたことがいかにも古めかしい人物のように言われます。
でも、それの何が悪いのでしょう?
久光は英明です。薩英戦争のあとはイギリスへの接近も認可しています。
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そんな久光だって、日本の伝統を忘れ洋服に身を包み始めた連中には腹が立つことでしょう。
しかも、倒幕派は攘夷から倒幕へいつの間にかシフトしていた。久光の目から見れば、新政府なんて不誠実極まりない存在です。
・不満な久光だけでもない!
→新政府は急ピッチで東京周辺の開発は進めておきながら、鹿児島周辺は後回し。明治になっても生活がよくなるばかりか、停滞しています。
そんな鹿児島の人からすれば、チャラチャラと鹿鳴館だの浮かれている東京の連中は、ともかく最低最悪に思えます。こうした不満は全国各地にありました。
本作でも、パリで日本の風習を貫こうとする水戸藩士、夫の断髪に失望する千代がギャグのように描かれました。
そう単純なものでしょうか?
当時来日した外国人も、本質を突いたことを言っています。
「和服は行動的でないし、洋服を着るのは理解できる。しかし、日本人は和服だと素敵に見えても、洋服を着た途端にガッカリさせられるんだよなぁ」
似合っていない洋服を着て、日本の伝統を疎かにする連中……水戸学以来の廃仏毀釈のようなことまでやらかし、鹿児島の寺社仏閣は壊滅的なまでに打撃を受けています。
こんな文化の大破壊をやられ、かつ、かつての家臣は主君なんて無視して不誠実な言い訳ばかりをしてくる。
久光が怒るのも当然ではありませんか。
そんな不都合な史実を隠すために、フィクションでは散々バカ殿扱いされた。島津久光を暗君とするなんてもう古臭いのに、一体いつまでやっているんでしょう。
『青天を衝け』のスタンスは明らかです。
一昔前に流行り、今でも信じでいるイメージありきで話を作る。
新説を取り入れて上書きする箇所を大仰に示す一方で小細工をする。
そういう不誠実な姿勢に疲れるばかり。
ちなみに五代友厚も鹿児島では最悪の評判をとっています。
やっかみもあるのでしょうが、あまりに節操がないとみなされたのかと思います。性格最悪で傲慢と、地元では嫌われていました。
廃藩置県をタップでクリアされ
『信長の野望』――最新作「新生」も楽しみですね。
ただ、このゲームが天下統一をゴールとするためか、こういうことは指摘されます。
「どの戦国大名も天下統一をめざしていたわけではないのですね」
これは実のところ織田信長ですらそうで、当初は好きな貿易をしたかったくらい。
そんな信長に光秀が「大きな国を作るのです、誰もみたことのない、大きな国を」と伝える。斎藤道三から光秀を経て、信長へ。それが悲劇へと繋がる……そんなプロットラインがあったのが『麒麟がくる』でした。
一方、今年の渋沢栄一はなんなんだ。
まるで廃藩置県クエストをクリアすれば、信長ならぬ『西郷の野望』を阻止できるような描写でわけがわかりませんでした。
それに廃藩置県とは、かねてより議論の種になるものです。
こういう雑な描き方ですと、反発をかうのではないかと思います。
半藤一利さんの記事をご覧ください。
◆半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」 「賊軍地域」出身作家が祝賀ムードにモノ申す(→link)
――賊軍となった側は、具体的にはどのような差別を受けたのでしょうか。
宮武外骨の『府藩県制史』を見ると、「賊軍」差別の様子がはっきりわかります。
これによると、県名と県庁所在地名の違う県が17あるのですが、そのうち賊軍とされた藩が14もあり、残りの3つは小藩連合県です。
つまり、廃藩置県で県ができるとき、県庁所在地を旧藩の中心都市から別にされたり、わざわざ県名を変えさせられたりして、賊軍ばかりが差別を受けたと、宮武外骨は言っているわけです。
たとえば、埼玉県は岩槻藩が中心ですが、ここは官軍、賊軍の区別があいまいな藩だった。
「さいたま」という名前がどこから出たのかと調べると、「埼玉(さきたま)」という場所があった。こんな世間でよく知られていない地名を県の名にするなんて、恣意的な悪意が感じられます。
大久保なりのビジョン――富国強兵
大久保利通もまたバカな侍扱いをされていました。
経済が全くわかってないとされましたが、これはどういうことなのでしょう。
富国強兵――この言葉は歴史の授業で習いますよね。富国と強兵は相反するもので、ワンセットで同時にやるのは困難。優先順位が政治問題になっていました。
国を豊かにしたい富国路線の大久保と。
ともかく強兵、戰をしたい西郷。
そういう対立があったはずなのに、大久保を蹴り出してその位置に渋沢栄一が座っています。
バカな大久保が一方的に「改正掛」を解散させたように思える描写ですが、そもそもこれもどうなのか。
明治の初期はともかくムチャクチャでした。
『図説明治政府』という良書がありますが、組織変遷を見ているだけで頭痛がしてきます。
そういうムチャクチャな政治状況で「改正掛」が廃止されたのならば、大久保の責任でもないでしょう。
それを無理やり大久保を安直な悪党にしたいから、こういう小細工をやらかす。
どうしてこんなことになるのやら。
廃藩置県は“世界に例のない無血革命”か?
廃藩置県は世界に例のない無血革命だった――そう報道されたと言い切りました。
かなり悪質な誘導です。
革命とみなすのであれば、大政奉還から戊辰戦争を含め、廃藩置県に至る流れでなければ不自然ではありませんか。
戊辰戦争を踏まえた明治までの流れのどこが「無血革命」なのでしょう。
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戊辰戦争のリアルは悲惨だ|生活の場が戦場となり食料を奪われ民は殺害され
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本作でそう描かれることに関し、どのあたりを根拠としたかは想像つきます。
伊藤博文です。
伊藤は海外で、明治維新全体を「無血革命」とスピーチをしていた。つまり、本作で散っていった平九郎も、土方も、流血としてカウントされていません。
これにはいくつものカラクリがあります。
・伊藤博文の認識では、戊辰戦争で死んでいった“賊軍”の血はカウントされないのでしょう。現に靖国神社に合祀されておりません
・明治維新はイギリスの思惑ありきで成立したもの。無血革命ということにすれば、イギリス側としてもメリットがある
要は、長州閥とイギリスがタッグを組んでいてやらかしている誤認識を、誤魔化しつつ堂々と流している。
ゆえにこのドラマが歴史認識を悪化させるばかりで辛くなるのです。
幕臣出身者にスポットを当てるのも、ゴマカシのようにしか見えません。
佞言は忠に似たり
今週の漢籍タイムです。
佞言は忠に似たり。『宋史』「李沆伝」
ベタ褒めする意見って、一見すると忠義があるように思えるから困ったものよ。
対義語は、
忠言は耳に逆らえども行いに利あり。『孔子家語』「六本」
誠意を込めていさめる言葉や忠告は、聞く側にとっては耳に痛いもの。だからなかなか素直に受け入れられないもの。
これを話の枕として、以下の記事をご覧ください。
◆ 異色の大河ドラマ?「青天を衝け」好調の裏にある数々の仕掛けと大胆な演出(→link)
「例えば、薩長同盟があるのに坂本龍馬が出てこなかったり、池田屋事件が描かれても、新選組で出てくるのは土方歳三だけなど、作品の随所に大胆な省きが見られます。勝海舟も出てきませんし、他にも、鳥羽・伏見の戦いや戊辰戦争を全然描かなかったりという演出にも驚かされました」
「これらは今までの大河にはなかった描き方です。賛否両論こそあるものの、こういった人たちや出来事を全部描こうとすると、話がややこしくなってしまう可能性もあり、大胆なカットや割り切りはむしろ、今作の特徴であって、面白いなと思う点でもあります」
まさに「物は言いよう」ですよね。私のようにうるさい奴が絶対指摘するところではあります。
しかし「話がややこしくなってしまう可能性がある」から出さないとは、どういうことでしょう?
「いろいろややこしくなるから、すき焼きから肉を取り除きました。でもヴィーガン対応です」
そんなことを言われているような手抜き感がある。
要するに詭弁の類では?
以前も突っこみましたが、これは『天地人』における最上義光と前田慶次を出さなかった慶長出羽合戦のようなシロモノであり、本来褒められたもんではありません。
とりわけ勝海舟抜きの江戸城無血開城は、それこそ「肉のないすき焼き」です。
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実際は流れた血も多かった江戸城無血開城|助けられた慶喜だけはその後ぬくぬく
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2010年台以降は世界的にポスト『ゲーム・オブ・スローンズ』時代です。
登場人物3桁でいけ! ややこしくてもガンガンいけ!
そういう世界基準を考えると、今年の大河はオワコン感が半端ない。
そして何かと話題のこの記事ですが。
◆「明治維新は薩長によるテロだった」初めて大河ドラマでそう描いたNHKをもっと褒めよう 維新賛美の「司馬史観」から脱却した(→link)
まず、記事タイトルから突っ込ませていただきますと……。
この場合は「テロ」でなく、「明治維新は志士を自称するテロリスト集団によるクーデター」が相応しいのではありませんか。
テロリストの中には渋沢栄一も含まれています。
渋沢は倒幕は必要だったと主張しておりますし、天狗党と関わりが深い人物です。
私なりの記事タイトルはこうです。
◆「明治維新は薩長によるクーデターだった」久々に描いたって? 初志に戻ったようで、中途半端……NHKはもっとがんばれ! 維新賛美の「明治礼賛」変化球はバレます
補足させていただきますと。
・「明治維新は薩長によるクーデターだった」久々に大河ドラマでそう描いた
→後述します。
・初志に戻ったようで、中途半端
→ここを今更きっちりと描くと、叩かれます。
『新選組!』は国会質疑でまで叩かれた。
『八重の桜』は大物政治家が怒っていると報道されていました。
そういう動きがない本作はいわば「プロレス」、八百長でしょう。そもそも渋沢栄一って、紙幣の顔になるからには政府お墨付きです。
・維新賛美の「明治礼賛」変化球はバレます
→実は『あさが来た』の時点で、朝ドラでまで露骨な「明治礼賛」をしたと指摘されています。
そのドラマとスタッフキャストが被っている以上、頭隠して尻を隠さず……といったところです。
かつて大河は挑戦的だった
さて、ここから先は大河ドラマそのものの歴史うんちくでも。
大河ドラマの第一作目は井伊直弼が主人公の『花の生涯』です。
井伊直弼を再評価することで、薩長中心の目線を変えていく意気込みがありました。
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井伊直弼を殺した実行犯は薩摩藩士と水戸藩士ですから、ここに大河の高い志がみて取れます。
というのも、井伊直弼は正真正銘テロによる犠牲者でありながら、結果的に【桜田門外の変】が倒幕の契機になったから否定されてきました。
倒幕は果たして正しかったのか?
井伊直弼の顕彰とはそういった意図とセットになるものであり、このテーマを選んだ時点で当時のNHKには明治礼賛に挑む心息があったのです。
この作品の原作は1952年から53年。ドラマは1963年。
アジア・太平洋戦争後、日本人は明治以来の価値観や歴史観に疑念を抱いた。そんな当時の世論が反映されたからこその題材といえます。
当時の歴史ものは、戦争を体験して「武士道のせいでこんなことになったんだ!」と怒りを募らせた作品が多い。
現在でも有名かつ入手しやすいものとして『シグルイ』原作である南條範夫『駿河城御前試合』があります。
映画『武士道残酷物語』等も、武士道のせいで日本人が死ぬ場面が延々と繰り返される。地獄のような作品でした。
「2021年、初めて大河ドラマで薩長を否定!」では断じてありません。
大河ドラマは第一作目からそうしてきました。
ただ、あまりに歴史が長い。
初期はドラマの映像が残っていませんし、大河放映後に生まれた世代が多くなった。ゆえにこういう事実誤認が通ってしまう。実に悲しいことではありませんか。
それに、NHKだって問題はあるんですよ。
大河は、NHKなりに試行錯誤を繰り返してきました。
前述の通り、初期はかなり冒険作が目立つ。1967年5作目『三姉妹』なんて今からすれば信じがたいほど斬新な要素が揃っています。
なんせ架空の三姉妹が主人公です。『麒麟がくる』のオリキャラだった駒に対するバッシングを思い出してください。今はもう架空の主人公などできないでしょう。
しかもこの三姉妹は、明治維新によって人生が暗転しています。
明治維新で翻弄される三姉妹なんて、それこそ薩長の英雄史観からは程遠い。
つまりNHK大河は挑戦的だったのです。
そして渋沢栄一大河だった説もある1980年『獅子の時代』。これは架空の会津藩士と薩摩藩士のW主人公です。
会津藩士目線からすればずっと過激に、薩長に物申す視点になっています。
薩長礼賛と、NHK大河はむしろその真逆でした。
では、この路線はどこで変わったか?
この記事にも出てくる司馬遼太郎の大ヒットとも関係ある話です。
司馬遼太郎も初期の作品は、稗史(民間の歴史重視)で伝奇色が強かったものですが、だんだんと変わってゆきます。
ぶっちゃけ、英雄史観をベースにした方がヒットする。ゆえに司馬の作風は、英雄が坂の上にある雲をめざすようなもものを中心に変貌してゆきます。
もちろん『燃えよ剣』のような作品もありますが、幕末の司馬作品ナンバーワンとされるものは『竜馬がゆく』あたりでしょう。
時は高度経済成長です。
反省よりも英雄の物語が受ける。一国一城の主となって天下を取る――そんな価値観が受けます。
こうした世論は大河にも反映される。
たとえば真田幸村は戦国一の人気武将とされながら2016年まで大河の主役になりませんでした。
その理由として、討ち死にが懸念されたという指摘があります。
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司馬と同じく、大河も路線変更を余儀なくされました。
皮肉にも、その一因とされがちなのが『三姉妹』であり『獅子の時代』です。
作品としての評価は悪くない。しかし、いかんせん数字が取れなかった。それで守りに入ったと指摘されるのです。
NHK大河の試行錯誤といえば、1984~86年の近代路線もあげられます。
これまた高評価、低視聴率。
反動もあってか87年『独眼竜政宗』が大当たりをしたものだから、露骨な守りに入ります。
クオリティよりも、好景気らしい豪華な作りにする。それで無難な当たりを狙う――そういう無難路線に入ったのです。
では、どうしてそんな不正確な記事が出るかということですが。
・『青天を衝け』を褒めてください!
・大河、ドラマ、歴史ファンが唸るようなトリビアを入れましょう!
この二点で条件を絞り、受諾するライターを探せばよいだけのことです。
耳に優しく数字が取れれば、不正確だろうがなんだろうが構わない。
ネットニュースはアクセス数が全てですから、例えば司馬遼太郎については、肯定しても否定してもどのみち数字が取れる定番です。
司馬遼太郎のみを槍玉にあげることに私は賛同しませんが、戦術としては巧みだと思います。自分にはできず感服させられるばかりです。
私ならばそこは「司馬史観」でも「薩長史観」でもなく「明治礼賛史観」としたい。
微を以て明を知る
では「明治礼賛」とは何ぞや?
その解説は『青天を衝け』の模範的なレビュー記事を読めばよくわかります。
と、その前にまずは漢籍を。
微を以て明を知る。『荀子』「非相篇」
ちょっとした要素を組み合わせると、見えてくるものがある。
出来のよろしい大手レビューとして、こちらを使わせていただきます。
明瞭爽快、読ませる記事のお手本といえましょう。
◆『青天を衝け』29話。渋沢栄一、新政府で大活躍。郵便、鉄道、富岡製糸場を作る(→link)
行政改革担当大臣がデカいこと言っていたわりにハンコの廃止も大して進んでおらず、結局、何やったんだ感が漂っている一方、改正掛の改革スピードはスゴイ。
実質、活動したのは2年足らずだが、その間に郵便制度や電信、鉄道の建設。度量衡の統一。富岡製糸場の創立。戸籍法や租税法の改正などなど、現在の日本につながる基礎を作りまくったのだ。
数年前までチョンマゲつけて年貢米だ御用金だという話をしていたのに、一気に郵便や鉄道の整備が進んでいくとは……。改正掛は江戸時代と近代日本をつなぐオーパーツ的な存在といえるだろう。
なぜ、改正掛がこうも早いのか?
そりゃあ一から国家の土台を崩したのならば、租税濫造でもナントカしなければいけません。
そして「オーパーツ的な」と出てきてしまう。
つまり、現実的でないと誉めている方も内心思って感想に書いてしまうんですね。
それもそのハズ、大隈重信も、明治国家の近代化とは小栗忠順の模倣に過ぎないと言ってました。
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本作では、その小栗がネジ好き脳筋モブです。
40代で「年寄り」呼ばわりされてしまうのはショックだが、日本の近代化はそれだけ若い力によって成し遂げられたということだろう。
ここも重要でしょう。
司馬遼太郎読者のみならず、明治維新を誉める論調で出てくる。若者が成し遂げたという話ですが、そりゃそうなりますよね。小栗忠順ですら殺してしまうほどですから……。
そしてこれまた本作は描写不足でわかりにくいのですが、実は明治政府よりも、幕府の方が外交面では「大人のお付き合い」ができていました。
ドラマでウェイウェイしている伊藤博文を筆頭に、明治新政府の重鎮たちが英国人パークスのパシリ状態だったなんて、恥ずかしくて言えませんよね。ゆえに隠蔽されまくってしまう。
そこを隠蔽して幕臣の偉大さを語られても、よくわかりません。
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この二点をとってみても本作では「明治礼賛」が継続し、かつ幕臣の功績など全く描かれなかったことが明白です。
岩瀬忠震、川路聖謨、栗本鋤雲、永井尚志、勝海舟、榎本武揚、小栗忠順……まさに綺羅星のごとき幕臣たちを出す機会などいくらでもありました。
蚕ダンスやら無駄にしか思えない回想シーンを頻出してる場合じゃないでしょうに。
本作が真に画期的ならば……
「国会の屋台骨ごと破壊したのならば、そりゃスピード感が重要になる。倒幕の必要があったのかと不思議になるばかりだ。」
「幕府の方がよほど大人の対応が取れていたのである。なぜ、ああも優れた幕臣を死なせたり、登用しなかったりしたのか?」
こういう感慨がもっとあってもよさそうなものです。
幕末から京都でテロ活動に励んでいた渋沢栄一。
それがテロ仲間のコネで出世し、公私混同を繰り広げつつ雑な仕事をする。
実際、明治政府の朝令暮改ぶりは本当に凄まじい。
そんなことは近年の一般書でも散々言われているのに、一切反映されない。んで、イケメンでお茶を濁されてしまう。
もう21世紀です。そろそろ「明治礼賛」から卒業したい。
それにはどうするか?
北海道ご当地大河――アイヌと屯田兵でやりましょう。
NHKでは『アンという名の少女2』を放映中です。
このドラマは原作を逸脱しながら、黒人、フランス系、性的少数者の苦悩の姿を描いています。そうすることで、新たな歴史観を見せてきます。
白人だけが歴史を作ったわけじゃない。そんな当然のことです。先住民についても今後描かれるそうです。
さしずめ日本ならば、北海道開拓史でしょう。
今までなぜ題材にならなかったか?
想像がつきます。明治政府の失政が凝縮しているから。それが北海道の歴史です。
その北海道開拓から目を逸らしたままでは、NHK大河の評価はできない。それが私の持論です。
今後10年以内には、ぜひとも北海道大河を!
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【参考】
青天を衝け/公式サイト

















