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【青天を衝け第30回感想あらすじレビュー】
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久光には久光のの言い分がありもす
また島津久光がバカ殿扱いされてますよ……。
明治維新のあと、島津久光は自分が将軍になるつもりで、そうならないから不満を漏らし、駄々をこねたということは言われています。
今時そういう嘘を準拠にしてはならないでしょう。本作は流石に言ってはいませんが、それでも久光がバカ扱いであることは変わらない。
確かに久光はやけっぱちになって花火をぶちあげたり、いろいろ西郷隆盛に嫌がらせを繰り返しました。
その理由は何か?
これは久光の言い分もわかるのです。
・主君筋の言い分を無視した
→武力討幕は薩摩藩ですら反対していたものを、「戦の鬼」(『西郷どん』より)になった西郷や大久保が押し切ってやってのけたもの。
おかげで西郷の弟・吉二郎ら人命の損失はでるわ。それ以上に経済的損失も出るわ。
そんなことを勝手にされて納得できますか?
・しかもそのことを開き直っている!
→それでも真摯に謝罪すればよいものを、適当に誤魔化される。久光の苛立ちは西郷にぶつけられ、精神状態が悪化します。
・攘夷はどうした?
→久光は明治になってからも和服と髷を守り、古典に親しんでいたことがいかにも古めかしい人物のように言われます。
でも、それの何が悪いのでしょう?
久光は英明です。薩英戦争のあとはイギリスへの接近も認可しています。
薩英戦争で勝ったのは薩摩かイギリスか? 戦後は利益重視で互いに結びついたが
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そんな久光だって、日本の伝統を忘れ洋服に身を包み始めた連中には腹が立つことでしょう。
しかも、倒幕派は攘夷から倒幕へいつの間にかシフトしていた。久光の目から見れば、新政府なんて不誠実極まりない存在です。
・不満な久光だけでもない!
→新政府は急ピッチで東京周辺の開発は進めておきながら、鹿児島周辺は後回し。明治になっても生活がよくなるばかりか、停滞しています。
そんな鹿児島の人からすれば、チャラチャラと鹿鳴館だの浮かれている東京の連中は、ともかく最低最悪に思えます。こうした不満は全国各地にありました。
本作でも、パリで日本の風習を貫こうとする水戸藩士、夫の断髪に失望する千代がギャグのように描かれました。
そう単純なものでしょうか?
当時来日した外国人も、本質を突いたことを言っています。
「和服は行動的でないし、洋服を着るのは理解できる。しかし、日本人は和服だと素敵に見えても、洋服を着た途端にガッカリさせられるんだよなぁ」
似合っていない洋服を着て、日本の伝統を疎かにする連中……水戸学以来の廃仏毀釈のようなことまでやらかし、鹿児島の寺社仏閣は壊滅的なまでに打撃を受けています。
こんな文化の大破壊をやられ、かつ、かつての家臣は主君なんて無視して不誠実な言い訳ばかりをしてくる。
久光が怒るのも当然ではありませんか。
そんな不都合な史実を隠すために、フィクションでは散々バカ殿扱いされた。島津久光を暗君とするなんてもう古臭いのに、一体いつまでやっているんでしょう。
『青天を衝け』のスタンスは明らかです。
一昔前に流行り、今でも信じでいるイメージありきで話を作る。
新説を取り入れて上書きする箇所を大仰に示す一方で小細工をする。
そういう不誠実な姿勢に疲れるばかり。
ちなみに五代友厚も鹿児島では最悪の評判をとっています。
やっかみもあるのでしょうが、あまりに節操がないとみなされたのかと思います。性格最悪で傲慢と、地元では嫌われていました。
廃藩置県をタップでクリアされ
『信長の野望』――最新作「新生」も楽しみですね。
ただ、このゲームが天下統一をゴールとするためか、こういうことは指摘されます。
「どの戦国大名も天下統一をめざしていたわけではないのですね」
これは実のところ織田信長ですらそうで、当初は好きな貿易をしたかったくらい。
そんな信長に光秀が「大きな国を作るのです、誰もみたことのない、大きな国を」と伝える。斎藤道三から光秀を経て、信長へ。それが悲劇へと繋がる……そんなプロットラインがあったのが『麒麟がくる』でした。
一方、今年の渋沢栄一はなんなんだ。
まるで廃藩置県クエストをクリアすれば、信長ならぬ『西郷の野望』を阻止できるような描写でわけがわかりませんでした。
それに廃藩置県とは、かねてより議論の種になるものです。
こういう雑な描き方ですと、反発をかうのではないかと思います。
半藤一利さんの記事をご覧ください。
◆半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」 「賊軍地域」出身作家が祝賀ムードにモノ申す(→link)
――賊軍となった側は、具体的にはどのような差別を受けたのでしょうか。
宮武外骨の『府藩県制史』を見ると、「賊軍」差別の様子がはっきりわかります。
これによると、県名と県庁所在地名の違う県が17あるのですが、そのうち賊軍とされた藩が14もあり、残りの3つは小藩連合県です。
つまり、廃藩置県で県ができるとき、県庁所在地を旧藩の中心都市から別にされたり、わざわざ県名を変えさせられたりして、賊軍ばかりが差別を受けたと、宮武外骨は言っているわけです。
たとえば、埼玉県は岩槻藩が中心ですが、ここは官軍、賊軍の区別があいまいな藩だった。
「さいたま」という名前がどこから出たのかと調べると、「埼玉(さきたま)」という場所があった。こんな世間でよく知られていない地名を県の名にするなんて、恣意的な悪意が感じられます。
大久保なりのビジョン――富国強兵
大久保利通もまたバカな侍扱いをされていました。
経済が全くわかってないとされましたが、これはどういうことなのでしょう。
富国強兵――この言葉は歴史の授業で習いますよね。富国と強兵は相反するもので、ワンセットで同時にやるのは困難。優先順位が政治問題になっていました。
国を豊かにしたい富国路線の大久保と。
ともかく強兵、戰をしたい西郷。
そういう対立があったはずなのに、大久保を蹴り出してその位置に渋沢栄一が座っています。
バカな大久保が一方的に「改正掛」を解散させたように思える描写ですが、そもそもこれもどうなのか。
明治の初期はともかくムチャクチャでした。
『図説明治政府』という良書がありますが、組織変遷を見ているだけで頭痛がしてきます。
そういうムチャクチャな政治状況で「改正掛」が廃止されたのならば、大久保の責任でもないでしょう。
それを無理やり大久保を安直な悪党にしたいから、こういう小細工をやらかす。
どうしてこんなことになるのやら。
廃藩置県は“世界に例のない無血革命”か?
廃藩置県は世界に例のない無血革命だった――そう報道されたと言い切りました。
かなり悪質な誘導です。
革命とみなすのであれば、大政奉還から戊辰戦争を含め、廃藩置県に至る流れでなければ不自然ではありませんか。
戊辰戦争を踏まえた明治までの流れのどこが「無血革命」なのでしょう。
戊辰戦争のリアルは悲惨だ~生活の場が戦場となり食料を奪われ民は殺害され
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本作でそう描かれることに関し、どのあたりを根拠としたかは想像つきます。
伊藤博文です。
伊藤は海外で、明治維新全体を「無血革命」とスピーチをしていた。つまり、本作で散っていった平九郎も、土方も、流血としてカウントされていません。
これにはいくつものカラクリがあります。
・伊藤博文の認識では、戊辰戦争で死んでいった“賊軍”の血はカウントされないのでしょう。現に靖国神社に合祀されておりません
・明治維新はイギリスの思惑ありきで成立したもの。無血革命ということにすれば、イギリス側としてもメリットがある
要は、長州閥とイギリスがタッグを組んでいてやらかしている誤認識を、誤魔化しつつ堂々と流している。
ゆえにこのドラマが歴史認識を悪化させるばかりで辛くなるのです。
幕臣出身者にスポットを当てるのも、ゴマカシのようにしか見えません。
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