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【八月十八日の政変】
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◆これを【八月十八日の政変】といい、薩摩と会津が手を組み、京都から長州を排除しました。
後に【薩長同盟】が結ばれるため少し違和感があるかもしれませんが、この一件がキッカケで、長州は会津と薩摩を凄まじく敵視するようになります。
そして新選組が最も名を挙げるのはこの後の【池田屋事件】でのこと。
一方の長州は
八月十八日の政変
↓
池田屋事件
↓
禁門の変
という流れで徹底的に敗走を繰り返すことになります。
【七卿落ち】もまた八月十八日の政変からの流れで起きていました。
七卿落ち
◆七卿落ちのメンバーは以下の通りです。
・三条実美
・三条西季知
(さんじょうにし すえとも)
・東久世通禧
(ひがしくぜ みちとみ)
・壬生基修
(みぶ もとおさ)
・四条隆謌
(しじょう たかうた)
・錦小路頼徳
(にしきこうじ よりのり)
・沢宣嘉
(さわ のぶよし)
彼らは、暴風雨の中、長州藩を目指すのですが、途中で二名がいなくなり五卿になっています(詳細は以下の記事に)。
岩倉とならぶ幕末維新の代表的公家・三条実美~七卿落ちからの復活劇
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長州征伐(長州征討)でも関連してきますが、それはまた後日へ。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
【参考】
国史大辞典
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を掲載!