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【キューバと勝新太郎『座頭市』】
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日本は米帝国主義の犠牲者 にもかかわらず国を再建できた
アメリカに占領され、そのまま西側についた島国の日本。
米国の近隣にありながら大国ソ連の傘の下に入った、これまた島国のキューバ。
人種も気候もまるで違う両国の共通点と言えば国土が小さいぐらいのことかもしれませんが、実は革命後も日本とキューバは通商関係を維持しており、メイドインジャパンのクオリティやデザイン性の高さなどはキューバ人を驚かせたといいます。
教授によると、今でも日本製のラジオを自慢する人がいるとか。
いったいキューバ人は我々日本人をどう見ていたのか。
教授の講義文から引用させていただきますと。
キューバの詩人で批評家のエミリオ・ガルシア=モンティエルの言葉を紹介します。
「現代の日本に対して我々が抱いているイメージは、おおかた教訓的なものである。すなわち、日本は米帝国主義の犠牲者であり、原子爆弾を 2 回も投下されたうえに、第二次大戦後に米国に占領され、それにもかかわらず国を再建することができたというイメージだ」
戦中の日本に対してはアメリカの犠牲者という見方であり、それでいながら戦後の驚異的な復興を評価されていたようです。
反米意識というのも働いたのですね。
10年間でシリーズ16作品を放映
こうした良好な関係を背景に1967年、キューバの映画協会・ICAICが来日。
その際、「サムライ映画」として買い付けていった中に勝新太郎さんの『座頭市』があり、それを放映するやいなや同国で爆発的な人気となりました。
初めて公開されたのは『座頭市地獄旅』で、上映館数は7館だったそうです。
えっ、7館?
少ね(゚⊿゚)
と思うなかれ。
キューバの劇場は総じて規模が大きく、7館でなんと9815 席もあるそうです……デカすぎ!
そんな映画LOVEな国で、座頭市シリーズは1967年から77年までの10年間で16作品を放映。
年に1本以上が放映されている計算であり、同作品は、主人公・市(いち)から取って、キューバでは「イチの映画」として広く知られるようになります。
再び、教授の講義文のなかで記されていた、同国の親子の様子を引用させていただきます。キューバのある高名な映画批評家が次のような思い出を語ってくれました。
「ある日、気がつくと私は日本語を話していた。もしくは話しているかのごとく見せかけた。70 年代当時、まだ幼かった息子を喜ばせようとしたからだ。
息子は「サムライ映画」の大ファンだった。息子にとって「サムライ映画」は、アメリカ西部の伝統ある叙事詩、すなわち西部劇(ウエスタン)に取って代わる存在だった。
私は息子に木で刀をつくってやった。息子はおでこに武士が締める鉢巻の代わりに古いネクタイを巻くと、勢いよく刀で斬りかかってきた。何やら日本語らしき言葉を発しながら」
ちょっと、ちょっと、頭にネクタイを巻くのはサムライではなく、昭和のサラリーマンですよ。
そう突っ込みたくなるのを押さえてもう一度よく読んでみてください。
そこにはアメリカ(西部劇)に取って代わって日本が浸透していく様子が象徴的に語られております。ま
るで日本の男児たちが子供のころにやるチャンバラをキューバの親子が楽しんでいるではないですか。
また、「息子に木で刀をつくってやった」というのもすごいですよね。
日本でしたら普通にプラスチック製の刀が売っておりますので、ビジネスマンはすぐにでもキューバへチャンバラセットを輸出すべきかもしれません。
キューバ人の気質を表す「パケーテ!」
それにしても、文化も言葉もまるで違う遠い南国でなぜ『座頭市』が流行ったのでしょうか。
単にサムライ映画が好きでしたら他にも数多くあります。
実際、三船敏郎さんも勝新太郎さんに続く人気を誇ったそうで、仲代達矢さんは、2人から離れた次点ぐらいとのこと(いずれも黒澤作品で知られております)。
しかも、主人公の市は外見的には全然イケてません。
子供たちにとってヒーロは見た目のカッコ良さも重要です。
7割ぐらいは外見で人気を左右するかもしれません。
それでも勝新太郎さんが強烈に受け入れられているとしたら、背景にどんな理由があるのでしょうか。
その疑問を教授は「パケーテ」という言葉をもって説明しております。
いったい何のことか?
再び教授の言葉を引用させていただきましょう。
さて、ここでキューバ人にとって“パケーテ”とは何かを説明しなければなりません。
キューバ人は“現実味の無い”“信じ難い”出来事や話を“パケーテ”と呼び、あくまでそれは冗談として受け止めます。いわゆる“共感を呼ぶ誇張”として知られるコミュニケーションです。
あまりにも誇張が過ぎると、受け手はかえっておかしみを感じ受け入れてしまうのです。つまり、受け手も作り話に加担してしまうわけです。
この“パケーテ”という魅力的な嘘がたいていのキューバ人は大好きだと言えば、イチの評判がご理解いただけるでしょうか。
日常的な表現を含め、「何事においてもキューバ人は誇張したり、行き過ぎたりする傾向を楽しむ国民性がある」という指摘を軽んじてはなりません。
例を挙げると、キューバ人は「Estoy muy cansado(私はとても疲れた)」とは言わず、「Estoy muerto(私は死んだ)」と言うのです。
かくして座頭市シリーズが公開されるたびに観客は映画館に行列を作り、教授によると「当時のハバナの人口は150 万人強だったが、観客の数は 50 万人近かった」といいます。
これもまんざらパケーテではないのでしょう。
いずれにせよ麻薬でタイーホされ、「もうパンツははかないようにする」と言い放った勝新太郎さんが受け入れられるキューバ人の土壌がここで見えて参りました。
もう少し講義文の内容を見てみたいと思います。
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